栗山さんの思想を支える古典からの言葉を読みながら、WBCの痺れるような感動が蘇りました。
P69
侍ジャパンのメンバーに選ばれた選手には、球団から選手へその旨が伝えられます。
それがこれまでのルールだったのですが、私は選手一人ひとりに自分で伝えたいと考えました。球団からの事務的な連絡では、「そうか、選ばれたんだな」といった程度の受け止めかたになるかもしれない。それでは困るのです。なぜその選手を選んだのか、どんな思いで戦ってほしいのかを私から伝えて、いまこの瞬間から侍ジャパンの一員としての意識を持ってほしい。
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どうするべきか悩んだ末に、電話をかけることにしました。
大切にしたのはタイミングです。22年12月24日のクリスマスイブに、その時点で決定している15人ほどに電話をかけました。
クリスマスプレゼントになるかどうかは分かりませんが、「心に残る形」というものはあります。タイミングで受け止め方は変わりますので、選ばれた瞬間の思いを胸に刻んで、やり甲斐に変えてくれるような伝えかたをしたい、と考えました。
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ファイターズの監督当時から、大切なことを伝える際にはタイミングにこだわっていました。
たとえば、16年の開幕投手に大谷翔平を指名したのですが、彼には2月6日に伝えました。その日は元祖二刀流ベーブ・ルースの誕生日だったからです。
メディアのみなさんには、2月22日の午後2時22分22秒に発表しました。「22」ではなく「2」に意味を持たせました。そう、「二刀流」を貫く翔平へのエールだったのです。
開幕投手が誰になるのかは、メディアのみなさんにとっての関心事です。そこにトピックを織り込むことで、より大きく取り上げてもらうことができます。そうやって周囲を巻き込み、ムーヴメントを起こすことが、当事者のためにも、野球界のためにもなると思うのです。
P92
塩沼亮順大阿闍梨は、「報われてはいけない」と言います。
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塩沼さんの教えを、私は『論語』の「己に克ちて礼に復る」に紐づけます。自分自身の欲求を満たすのではなく、ルールをきちんと守ることや人の役に立つことを優先したい、と考えます。
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宮崎キャンプでのダルは、一切の見返りを求めていませんでした。グラウンド上で多くの選手とコミュニケーションを取り、休日には食事会を開いて交流を深めました。投手陣が集まった食事会は、『宇田川会』と名付けられました。調整に苦しんでいた宇田川を励ますためであり、「自分がチームを勝たせる」という当事者意識を植え付けるためだったのでしょう。
オフの食事会は、野手の選手とも行われました。ダルの心配りとしてメディアでも取り上げられましたが、実は宿泊先でも彼のアイディアからコミュニケーションが深まっていきました。
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親愛なるダル!
このチームになぜあなたが必要なのかを、様々な場面で説明させてもらいました。宮崎キャンプでは初日から一切の壁を作らず、若い選手たちのなかへ飛び込み、伝えるべきことをしっかりと浸透させつつ、10歳以上も年齢が下の選手に質問をして、新たな感覚や思考に触れ、自分の進化の糧にしていく姿勢を見せてもらいました。宮崎キャンプの初日から決勝戦を終えたあの夜まで、感謝の思いを胸いっぱいに抱えて君を見ていました。
報われることを一切求めず、無私の心でチームに尽くしてくれたその姿は、人間としての魅力に溢れていました。
P130
中国春秋時代の思想家・孔子は、「自分は人生で貫き通してきたものがある。それは忠恕の二文字だ」と話しました。
「忠」とは自分の良心に真っ直ぐに従うことです。「恕」は他人の身を思いやり、自分のことのように親身になって思いやることです。
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・・・名古屋から大阪への新幹線での移動は、駅員さんと警察のみなさんの連携で実にスムーズでした。一般とは違う動線へ誘導してもらい、混乱を引き起こすことなく移動できました。
名古屋駅の待合室に、ホワイトボードがありました。部屋を出るときに、私のよく知るサインが書かれていました。翔平です。
彼は茶目っ気のある人間で、ユーモラスな行動でみんなを和ませます。自分たちが安全に移動できるために、駅員さんと警察のみなさんが力を尽くしてくれている。彼らの頑張りを少しでも労えたら、という気持ちだったのでしょう。それに加えて、駅員さんを驚かせたかったのかもしれません。いずれにしても、「忠恕」の心を育んでいるからこそできることです。
移動中はスーツを着用しますが、翔平は私服でした。ヌートバーの移動用スーツが間に合っていなかったので、翔平もスーツではなく私服を選んだのです。「たっちゃん」をチームに溶け込ませるための、彼なりの心配りでした。
ヌートバーを独りぼっちにしなかった翔平の行動は、心温まるものでした。「さすがだなあ」と感心させられましたが、決して特別なことではありません。相手の立場になって考えれば、気づくことができるものです。
P141
『論語』には「高い道徳を持った人間は、自分が立ちたいと思ったら、まず他人を立たせてやり、自分が手に入れたいと思ったら、まず人に得をさせてやる」という教えがあります。「高い道徳」と聞くと何だか緊張してしまいそうですが、日常の何気ないところで、「他人を立たせる、人に得をさせてやる」ことを意識すればいいのです。
部活中に水分を摂るときに、我先にと慌てない。
仕事中に自分の用事を優先して、誰かを待たせない。
使ったものはあったところへきちんと戻す。
肩の力を抜いて、無理せずにできることからはじめてみましょう。
P223
アメリカ入り後2日目は、大学で練習をしました。・・・
翌19日は、大会の舞台となるローンデポ・パークでの前日練習でした。
私自身には、はっきりさせておかなければいけないことがありました。
まずは、ダルビッシュ・有についてです。
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時計の針を数週間前に戻します。
宮崎キャンプから名古屋へ向かうタイミングで、パドレスの開幕投手の候補だったジョー・マスグローブがトレーニング中に骨折したとの情報がもたらされました。
ダルとマスグローブは、先発の二枚看板です。チームから連絡を受けた彼は、自分までいなかったらローテーションが回らないと考え、侍ジャパンを離れる可能性について相談をしてきたのでした。
もしダルが離脱することになったら、先発の一角としてだけでなく、チームの精神的支柱を失うことになります。そうなったら、本当に苦しい。喉の奥に押しとどめた「行かないでほしい」のひと言が、何度も出てきそうになりました。けれど、これまで培ってきた経験と、技術と、情熱を、ダルは宮崎キャンプの初日から侍ジャパンに捧げてくれました。これ以上望むのは、私のわがままでしかありません。
「ダル、分かった。いつ戻ることになっても大丈夫です。決断をしたら教えてください」
と伝えました。
『易経』に「美その中にあって、四支に暢び、事業に発す。美の至りなり」というものがあります。謙虚、柔和、柔順、受容の精神の大切さを教えたものです。
ダルがこれまでチームのためにしてくれたことを考えれば、彼がどんな決断を下しても謙虚に、物柔らかに、真っ直ぐに、ありがたく、心から、受け入れよう。それこそが、私が彼に対して示すべき「誠」です。そうやって考えていると、『中庸』の「誠は天の道なり。これを誠にするは人の道なり」との教えに行き着きました。
P272
野球が日本で盛んになった昭和初期、競技の本質はこう教えられていました。
無私道―。
己を捨てて、チームを、チームメイトを生かす道を究める。人として大切なことを学び、身につけ、教え、広めることができるからこそ、野球はかくも長きにわたって愛され、多くの人たちに感動を届けてきたと思うのです。
侍ジャパンとして戦ってくれた選手たちは、己のプライドを脇に置いて、日本野球のためにすべてを懸けてくれました。彼らは甲子園出場を目ざす球児のようなひたむきさと謙虚さ、それに我慢強さを持っていました。
好きなものに全力で打ち込む姿は、掛け値なしに心を打ちます。感動させられます。彼らとともに過ごした一か月強は、人間としての素晴らしさに気づかされる日々でした。