宇宙意識?

瞑想法の極意で開く精神世界の扉

 昨日、成瀬雅春さんの「4年に一度の内緒話」という講演会に行きました。

 テーマは「宇宙意識と人間意識」ということだったのですが、そもそも、宇宙意識とは?というところからして、どうとらえたらいいものやら…(;^ω^)と思いつつ、把握できるところを把握できる範囲で聞いてきました。

 自分のための覚書として、メモしておきたいと思います。

 

 悟りのプロセスの第一段階は、瞑想中に神様的な存在が出てきたり、メッセージをくれたりすること。

 第二段階になると、神様と思っていた存在が自分と一体になる…というか、神様という偶像を通して自分の奥深くと繋がっていたことに気づく。

 初めから偶像なしで繋がれればそれに越したことはないが、神社に神器として鏡がおいてあるようなもので、何か対象があった方がやりやすい。

 そして一体になっているので、この状態では、自分とか、自分の思考は認識されない。

 

→この〝悟りのプロセス〟について、「精神世界の扉」にはこのように書いてあります

P221

 この第二段階のニルヴィタルカ・サマーディ(無尋三昧)にまで到達しても、「解脱への道」「真理獲得の道」「真の悟りへの道」は終らない。この二つの段階は、「対象」に対する瞑想によって、対象が認識できる(第一段階)レベルから、対象が認識できない(第二段階)レベルまでたどり着いたに過ぎない。

「真の悟り」を求めるならば、この二つの段階を越えて先へ進まなければならない。そこでヨーガ行者はサヴィチャーラ・サマーディ(有伺三昧)へ向けての瞑想を続ける。

 第三段階のサヴィチャーラ・サマーディでは、それまでの物質的対象(原子、物理的粒子等の集合体から成り立っている対象)から、さらに繊細な世界に入っていく。サーンキャとヨーガの論書がタンマートラ(唯)と呼ぶ、エネルギーの極小諸原子を直接に知るのである。しかし、この場合の瞑想はまだ時間と空間の意識をともなっている。

 ここにきて、現代物理学の枠を超えることになる。つまりタンマートラというのは、素粒子クォークではなく、それよりも微細な存在を指している。

 そして、そのタンマートラを認識する時間とか、タンマートラをとらえる空間などの意識がなく、思考(=自分自身)がタンマートラそのものであると知るとき、ヨーガ行者は第四段階のニルヴィチャーラ・サマーディ(無伺三昧)の状態を得る。そのとき思考(=自分自身)は、物理的宇宙の真の基礎を構成するこれらのエネルギーの極小諸原子と一体になる。

 ・・・

 ヨーガ行者は「深い瞑想」によって、宇宙の真の基礎を見つけ出した。そして、自分自身がその宇宙の真の基礎そのものになってしまい、それ以上の何物でもなくなった状態が第四段階のニルヴィチャーラ・サマーディ(無伺三昧)である。