こういう心境でありたいなぁと思います。
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お金の不安がなくなっていくにつれて、豊かさに対する考え方も変わっていきます。
都心で働きまくって経済的に余裕がなかった頃は、豊かさというのは自分だけのことでした。何よりもまず自分が豊かになって金銭的に苦しい状態から抜け出したいと思っていたし、他人のことはどうでもよかった。
ところが隠居を始めてから、私の銀行口座には、少ないながらも当面必要なぶんだけのお金がいつもありますし、欲もないので自分のためだけに使おうとしても限界があります。
それで、自分がある程度豊かになったのなら、それ以上のことは、必要な誰かのためにも使えないか?と常に考えて行動するようになりました。
といっても、もとが年収百万円ですから、大した金額ではないのですが……。
たとえば直接的なことで言うと、私はコンビニなどで募金箱を見ると、財布に小銭があれば必ず入れます。これは自分以外の誰かのためにお金を使うときに、一番身近で、簡単な方法です。・・・
それから、お金がないときは、人にささやかなおみやげを持って行くのも、自分でスコーンを焼いてラッピングしたものを差し上げたりしていましたが、今では高くないものなら何かを買う余裕もあります。
あとはここ数年のマイブームなのですが、歳末が押し迫ると、その年お世話になった人たちに年末ジャンボ宝くじを配る、ということをしてました。遠くに住んでる人には、クリスマスカードに同封して送ることも。数年続けてみたら超楽しかったので、最近では宝くじをいつも持ち歩くことにしています。
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間接的なことでいうと、目先の損得よりも、いま私が使ったお金がどんなふうに社会に還元されていくのか、ということを考えて使うようになりました。
隠居する前までは、ただ自分が一円でも安く買い物ができればそれでいいと思っていたのですが、今はディスカウントストアで安売りセールのお米よりも、国産の自然栽培で育てた玄米を、生産者からなるべく近い形で買いたいと思うようになりました。これは、頑張っている農家に応援の気持を届けたいからです。・・・それはとりもなおさず、自分が良いものを手に入れることができるシステムにも貢献することです。
こんなふうに全体的に考える癖がつくと、目先の安さを追いかけなくてもよくなって、非常にラクです。
自分以外のためにもお金を使う余裕がいつもある、という快適さを知ることができたのは、隠居の果実という感じがします。
金額の多寡は問題ではなくて、同じお金を使うなら、私ひとりだけが幸せになるよりも、百人が幸せになる使い方のほうが、全体的に見ればお得じゃないですか。どうすればひとりでも多くの人が幸せになるか、という視点ができたことは、低所得生活をさらに豊かなものにしてくれたと思います。
少ないお金で、幸せを最大化することをいつも考えるようになると、自然と自分が今ここで使ったお金が、社会にどんなふうに影響していくのかを知りたくなります。・・・