印象に残ったところです。
P176
先日、出版社の人と打ち合わせをしているとき、編集者の佐渡島庸平さんが、こんなことをいって、わたしの自尊心がちょっとだけモチャッとなった。
「岸田さんは2か月単位で、興味があること、あきることが変わるからね」
彼はニコニコしていて、それを聞いた出版社の人も本当にそうですねと相づちを打っていた。そこに不穏さや不快さは、まったくなかった。
じゃあなぜ自尊心がモチャッとなったかというと。
大学生時代も、会社員時代も、わたしは「長期計画」をまったく立てられなかったからだ。・・・
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戦略をたてる間に、状況が変わり、そしてわたしの飽き性と衝動性も手伝って、どんどん予測していない方向へ舵が切られていく。
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必死で計画を立てようにも、立てている間にまた次の波がきて、舵が根こそぎくつがえされる。持続することを前提に経営活動をし、チームで動き、計画を見える化して顧客を安心させる会社組織において、わたしは「予定を立てられず、気分で動くポンコツ」だった。
もちろん評価されたこともたくさんあったけど、これはけっこうキツかった。自分の将来の目標すら「どうせ無駄だし」と立てられなくなり、自尊心がゴリゴリにけずられていった。
だから、佐渡島さんがいったことを、わたしは悪い方向に受け止めてしまった。もしかしてこれ、エージェントや出版社に迷惑をかけているんじゃないかって。
打ち合わせが終わったあと、佐渡島さんにおそるおそるたずねた。
「趣味が2か月で変わってしまう人間で、ごめんなさい」
「えっ、いきなりなに⁉」
佐渡島さんは、わたしが後ろめたそうにしていることに対して、本当にびっくりしていた。
「岸田さんの生きるスピードがめちゃくちゃ早くて、運や興味もすごいスパンで変わるから、読者も俺も見てておもしろいよ!たかだか数か月でこれなんだから、数年後はどうなるのかなって、予想できなくて楽しみだよ」
わたしは、ポカンとしていた。まさかほめられているとは思わなかった。
わたしがもつ「興味が移りやすく、衝動的で、類まれなる運に出会うこと」は会社員としては短所だった。
これがワクワクを届ける作家になった瞬間、長所になった。・・・
できるだけ、長所が照らされる場所にいたい。わたしはそう願っている。
P214
豊かさって、なんだろう。
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思い返せば、わたしが出す答えはいつも違っている。
答え、つまり価値観っていうのは。自分の芯であり、絶対に変えず、つらぬくべきものだと思っていた。それをコロコロ変えるなんて、かっこ悪いことだとも。
でも、違った。
なにが起きるか、1か月先ですら予想できなかった人生だ。
大切なのは「芯」を取り替え続けることじゃないか。
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大好きだった父が、心筋梗塞で死んだとき。わたしの豊かさとは「健康であること」から、はじまった。
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健康であるからといって、豊かだとは限らない。
わたしの豊かさとは「お金があること」になった。
大学入学と同時に、ベンチャー企業へ入社した。これがまあ、びっくりするくらい、お金がなかった。でも、寝袋にくるまって眠り、アホみたいに油っぽくてバカみたいに安い中華丼を食べ、売上を書いたホワイトボードをながめて、一喜一憂した日々は楽しかった。お金がないからこそ、腹の底からゲラゲラ笑えていた。
わたしの豊かさとは「時間があること」になった。
写真家の幡野広志さんに会った。自分のがんは、現代の医療で完治する見こみはないと、彼はけろっとした顔でいった。わたしから見れば、決して余裕のある時間とは思えなかったけど、幡野さんは人生をおおいに楽しんでいる。・・・
わたしの豊かさとは「未来があること」になった。
投資家の藤野英人さんの本を読んだ。・・・未来へのモヤモヤした不安を打ち破るためには、自分がやりたいことをやりなさい、と藤野さんは背中を押す。主体性をもって使った時間とお金は、何倍にもなって未来の自分に返ってくる。
わたしの豊かさとは「やりたいことをやる」になった。
こんなふうに、出会う人たちから、芯を1本ずつもらってきた。
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いまのわたしが、豊かさの芯として選びとったのは。
「好きなことをして、好きな人と、好きに生きる」だ。
好きなことは、文章を書くこと。好きな人とは、家族と、わたしの文章を世に送り出してくれる人。好きに生きるとは、〝やったことない〟をへらすように生きる。
10年前のわたしだったら、まったく考えもしなかった。
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いまのわたしはすばらしく豊かだ。いつかしんどくなるかもしれないけど、たぶん大丈夫だ。そのときはまた、ヒョイッと芯を入れ替えればいい。芯を入れ替えると、強くなるだけじゃなくて。見えるものまで、変わってくる。・・・