お金にもモノにも、ありがとうの気持ちを自然に持っていたいです。
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お金を人格化するなんて無理があると思われるかもしれませんが、「命のないモノを人格化する」というだけなら、日本ではとくに珍しくないような気がします。
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・・・モノを人格化することの良いところは、モノに対する感謝や愛着がわくことです。
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お金に感謝するのは序の口です。
支払う時は「使わせてくれてありがとう。旅先でも楽しんできてね」、受け取るときは「私のところに来てくれてありがとう」という気持ちを込めます。
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受け取ったお札が折れていたり、くしゃくしゃになっていたら、きちんとのばしてから財布に入れます。身だしなみを整えてもらって、気分が悪い人はいないですから。
・・・「私はお金のことをいつも気にかけているよ」という気持ちが、お金に伝わることをより大切にしています。
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お金を人格化すると、お金を使う時はもちろん、使わない時も含めた普段の自分の言動について、注意して観察するようになりました。
なぜかというと、「お金は人間のことを見ているに違いない」といつも妄想しているからです。
ときどき、今日使ったお金は旅立った先で元気にしているかなあ、なんて考えることがあります。
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・・・ポイントは、これがあるのとないのとでは普段の行動が違ってくることです。いつも第三者の視点でものごとを見ることができる。これは自分を律するのにすごく役立ちました。自分以外の視点を獲得すると、多角的なものの見方ができて楽しいし、お金をムダに使ってしまうなどの失敗も減ると思います。
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いまの私は、・・・幸いにも年収百万円でお金に困ったことがありません。ですから、悪く思われていない程度にまでお金の信頼を回復できたと感じています。
とくに、家賃の更新や、年に一度の帰省のときに、タイミングよく単発のアルバイトを頼まれたりして、過不足のない臨時収入が入ることはしょっちゅうです。
まるでお金たちが相談して、私のもとに、必要な分のお金を回してくれているような、不思議な気がします。
都心で働きまくっていたときのほうが、収入が多かったにも関わらずいつも足りなくて困っていたのに、隠居して手元にあるお金を大切にしていたら、なぜかいつも足りていて、必要なときに必要なお金は入ってくる。こういうことを何度も体験したので、今は最低限、生活できていればお金のために慌てて行動することもありません。何かやりたいことがあったときに、お金がタイミングよくやってきたら、お金がそれをやるように応援してくれている。もしやってこなかったら、今はその時じゃないんだな、まあそれでもいいか、とあきらめる。なんとなくそんな感じで気楽に考えています。