楽しみはどこからでも見つけ出せる、とても幸せな状態だなーと思いました。
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私は隠居生活をはじめてから、海外旅行などの贅沢な消費活動とはほとんど無縁の生活になってしまいました。
もともとバックパッカーで世界中を働きながら旅行していましたから、そのころと比べるとさぞ不自由な生活と思われるかもしれませんが、いざ隠居してみると、意外と不自由って感じないんですね。
これは負け惜しみで言ってるのではなくて、たしかに隠居している間は世界一周をするだけのお金はなかったけれど、経済的な自由から見放されてみると、自由ってそれだけじゃないんだということに気づかされます。
一般的には、使えるお金がたくさんあって、買いたいものが買えたり、生きたいところに行けたりすることを、自由と呼んでいるような気がしますし、私もそれはたしかに自由だなあと思います。
この自由の特徴はお金が必要で、お金のあるなしに左右されること。それから、お金があるうちはいいけれど、いざそれをするためのお金がなくなったら、一気に不自由になってしまうことです。
一方で、隠居生活をしていると、買いたいものがなんでも買えたり、生きたいところにどこでも行けるわけじゃない。むしろ経済的にはできないことの方が多く、とても不自由に見えます。なのに、実際はなぜか毎日ハッピー。
これはどういうことかというと、隠居生活のなかで、楽しみごとをお金に依存しない方法が身についたからだと思っています。
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海外旅行に行くほどのお金はなかったけど、行ったことのない場所なら家の近所にも意外とたくさんあって、見つけるたびに頭の中の地図を書き換えていくのも楽しかった。普段はこんなふうに半径五百メートル圏内で生活していますが、たまに温泉に行ったりすると、これまた楽しい。
要するにもうひとつの自由って、「幸せをお金に依存している状態から自由になること」なんですね。お金があってもなくても、どこで何をしていても、ハッピーを感じられるような心のありかたと言いますか。
ここではないどこかではなく、身の回りの身近なところから、楽しみごとを見出していくこと。それがやがて、お金があってもなくてもどちらでもハッピーな生活につながっていきます。