不死とは?

善く死ぬための身体論 (集英社新書)

「死んだ後に生まれてこない」のが不死だとは、初めて知りました。

 

P141

成瀬 ・・・本当の意味の「不死」は「自分が死なない」ということではなくて、「死んだ後に生まれてこない」。それが不死なんです。

 

内田 輪廻しないのが不死なんですか。

 

成瀬 そうです。ヒンドゥー教の考えには解脱願望があって、「生まれ変わりしたくない」というのがベースにあるわけです。生まれ変わらないということは、もう一回死なないで済むということです。先ほども申し上げた通り、私はヒンドゥー教徒ではありませんし、「自分教徒」ではありますが、このヒンドゥーの世界観は同じくしています。

 

内田 死は一回だけ。

 

成瀬 それが「本当の不死」なんです。今生で一〇〇年、二〇〇年生きたいというのではなくて、ヒンドゥー教では、今生は死ぬだろうけど、その後、ひどいところに生まれ変わって、その上また死ぬのは悲惨だ。だから、二度と死にたくない。それが解脱というこで、「解脱を得ることは不死を得た」ということになるのです。・・・

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 「死」とは人間卒業だから、卒業した後にもう一回勉強し直す必要はないわけです。

 

内田 ・・・そういう教えにリアリティがあったということは、解脱することが身体的な実感として、共感されたということですよね。わずかでも、「解脱って、もしかして『こういう感じ』なのかな」という手がかりがなかったら、アイディア自体浮かんでこないですものね。

 

成瀬 インドの民衆だったり行者さんは、実感としてそれがあるわけです。

 

内田 ・・・「解脱感」というのは一体どんな感じなのでしょう。「人間卒業したかな」って、どういう感じなんだろう。

 

成瀬 結局、死に対してどのくらい執着、不安、恐怖が大きいか小さいか。解脱感というのは、そういう執着からどんどん離れていくということです。

 今持っている「財産を手放したくない」ということは死にたくないということです。例えば、恋人がいるとか、会社の地位を手放したくない、家族からも離れたくないという思いがあると、「まだ死にたくない」となる。だけど、そういう執着からだんだん離れていくと、今この瞬間に人生が終わっても悔いが残らないし、未練はないのです。この瞬間に未練がないような生き方というのはベストな生き方だと思いますね。

 

P165

成瀬 僕の場合は、最終的にはなくなりたいんです。解脱というのは、基本的にヒンドゥーの考え方に照らし合わせると、「二度と生まれ変わってこない」というだけの単純な話です。生まれ変わってこないということは「人間を卒業する」ことだから、イコール「人間でいる間に卒業するための単位を全部取ってしまいたい」という発想です、やれることは何でもやって、いろんな経験をいっぱい積んでおけば、「一単位取れたから、もう一回経験しなくてもいいよ」という判子をもらえるわけです。

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 そう考えると、この現世でやりたいことをいろいろやったほうがいいんです。