死なないカラダ、死なない心

死なないカラダ、死なない心 宇宙のエネルギーで身体をつくりかえる

 成瀬雅春さんの本、続けて読みました。興味深かったです。

 こちらはちょっと長くなってしまいましたが、寿命の話です。

 

P57

 私は一九九〇年ごろまで、人間が二百歳や三百歳まで生きたというのは、あくまでも話の上のことだろうと思っていました。しかし、私も空中浮揚や心臓の鼓動を止める技法など、いろいろなヨーガ修行を積み上げていくうちに、それが話の上のことでは済まされないと理解せざるを得なくなったのです。

 自分自身、可能性としてまだ寿命が四百年ぐらいあると確信するに至ったときはショックでした。どうショックだったかというと、四百年肉体を維持したまま生きるほうがいいのか、あるいは四十年ぐらいで終わりにしたほうがいいのかを、自分自身が選択できる可能性があることに対する驚きです。一九九〇年当時は、そのことで戸惑いがありました。しかし今は、それも含めて自分の死期が来るのを楽しみに待てる心の余裕が生まれました。それは、私が頭だけではなく、いわば全存在で、自分の寿命が四百年ある可能性を信じるようになったからです。

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 ・・・自分の全存在が一つのものを認めたときには、他のものが入る余地はなくなります。具体的に言うと、脳の百パーセントが一つのものを確信して、さらに潜在意識や深層意識、無意識も含めて全細胞の百パーセントがそれを認めると、異なった情報が入る余地がなくなります。そうなって初めて、真にそのことを理解したことになり、本当の確信が生じるのです。その確信は、何があっても覆すことができません。これが全存在で確信するということです。

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 ・・・私は全存在によって、八百歳や九百歳の寿命というのが単なるフィクションではないと確信し、理解してしまったのです。それで計算すると、私の場合は四百年ぐらい残っていることが判りました。そういう理解をしたら、なおさら生きることに対する執着が減って、楽しみに死期を待てるようになったのです。

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 そう言われても、八百歳という途方もない年齢の可能性が人間にあるなどとは、すぐには信じられないかもしれません。その点を私が確信した理由をもっと詳しく説明しないと、単なるほら吹きだと思われてしまうでしょう。

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 オールド・パーで有名なイギリス人トーマス・パーは、「百五十二歳と九ヵ月」まで生きたそうです。循環を発見した医師、ウィリアム・ハーベイがトーマス・パーを解剖しました。ハーベイは、「パーの死は早く来すぎたもので、国王に謁見するためのロンドンへの旅で、汚い空気と豊かな食事を強いられ、それらに慣れることができずに不幸にも起こった」と信じていたそうです。パーは普段、質素な食事で生きており、心配事もなく、田舎の空気を吸っていた貧しい農夫だったと言います。この「質素な食事」「心配事がない」「新鮮な空気」というのは、長寿の重要なキーワードです。

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 一七世紀から一八世紀にかけては、超長寿の例について多くの報告がありました。デスモンド伯爵夫人は百四十年以上生きたと言われていました。一九世紀には、ドイツの医師クリストフ・フーフェラントが、百十一歳を超える六十人、百二十歳を超える二十九人、百三十歳を超える十五人、百四十歳を超える六人……といった人々の例を挙げ、ヘンリー・ジェンキンスという人が百六十九歳で死んだとしています。これらの人々のほとんどは、田舎の新鮮な空気の中で働き、あっさりした物を食べ、簡素な生活をしていました。これが彼らの非常な長寿の原因であったと言います。

 他にも、長寿者に関する記録や文献はたくさんあるのですが、それらのすべてを否定することはできないと思います。むしろ、こういった記録の中に正しいものがあっても何ら不思議ではないでしょう。

 そういう観点で考えると、これまで学問的に言われてきた「人間の極限寿命は百十五歳」とか「百二十歳」という話には納得できません。健康で元気に二百歳まで生きる人がいてもいいと思いますし、その可能性は十分にあると私は考えます。