意識すること

善く死ぬための身体論 (集英社新書)

 イメージするのと違って、意識することには実感が伴うというお話。たしかにヘミシンクで例えば宇宙船の中にいる時も、こうだろうなとイメージするのではなくて、へぇこうなってるんだと気づく感じなので、なるほどと思いました。

 

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成瀬 ・・・瞑想能力は、要するに自分をどこかから俯瞰する能力だから。自分を知る、自分を見ることが瞑想です。自分は何なんだろう、どうして生まれてきたんだろう、どうやって生きていったらいいんだろう、どうやって死ぬんだろうと、全部自分に関する疑問を少しずつ解決していく。瞑想することによって、自分がこうだなとわかってくる。

 ・・・

 自分の意識を広げていくことによって、壁に突き当たってそれ以上行かないよとはならない。突き抜けても構わない。それが広がっていくことが「宇宙いっぱいに自分の意識を広げる」ということです。

「宇宙の果てまで行ってくる」というのは、瞑想者にはよく出て来るフレーズです。自分の意識が広がっていくと、距離はどのくらいかというのがなくなって、宇宙の果てでも構わない。それが自分の体感としてあれば正しいんです。しかし、イメージだけだとダメなんです。「イメージ」と「意識」はまったく違います。

 意識できると、まさに今やっている動きがその人の脳内で生じているわけです。だけど、イメージは違います。・・・「こうだろうな」と思うのがイメージですね。だけど、意識するというのは、脳内で動いていることです。その違いはすごく大きい。

 ・・・例えば自分の意識を広げていって、地球いっぱい、宇宙いっぱいまで広がるというイメージをしても広がらないんだけど、瞑想して意識すれば広がるんです。体感としてつかむことができます。

 死の先も一緒ですね。みなさんはたぶんイメージしかできない。でも、意識できたら、それはその人にとっての本物じゃないですか。瞑想家というかヨーガ行者は、死の瞬間から死の先までを意識できます。だから怖くない。イメージだけしていると怖いんです。・・・

 瞑想は本当に可能性がどこまでも広がるから、限定解除みたいなものですね。すべての五感は、物理的な常識を取っ払ってしまうとどうにでもなります。・・・

 体感したことを「イメージした」とはいいません。「意識できた」ということです。イメージには体感が伴わなくて、意識するというのは体感があるのです。瞑想で得られるものはすべて体感があるので、本人にとっては疑念の余地がないのです。