ハチャメチャ

放っておいても明日は来る― 就職しないで生きる9つの方法

1人目に登場したのはこんな方でした。

 

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高野 こんにちは。二村さんは僕が言うのもなんですが、ものすごいハチャメチャな人生を送ってますよね。ところでおいくつなんですか。

二村 高野さんにハチャメチャとか言われるともう終わりのような気がしてきましたが、四十五歳です。

 ・・・

 そもそもは専門学校を卒業してタイルの輸入会社に勤めたんですね。

 ・・・当時は若かったので「俺はこんな仕事をしていていいのか」なんて考えちゃって。それで世の中で本当に必要な仕事って何かなっていうのを考えたら、「農業しかない」と思って、大学の農学部に入ったんです。

 ・・・実際に栽培したりとかそういう仕事に就きたいなと考えていたところに、サラリーマン時代に知り合いだった人が、マレーシアで農産物をヨーロッパへ輸出する仕事をやっていて、それを日本向けにやりたいので来てくれないか、と誘われたんです。・・・そしたらマレーシアへ行く一週間前に話がおじゃんになった。・・・会社がなくなったんです。・・・親とか親戚とかには「マレーシアで就職することになった」って報告して、すでにご祝儀とかもらってるし。だから会社がなくなったって言えなくて、スーツを着て行ったわけですよ、マレーシアへ。

 ・・・やることがないから街をぶらぶら歩いていた。・・・しばらくしたらバイクにサッカーボールを乗っけた兄ちゃんがやってきて、・・・「お前、今日の試合出るのか?」って。・・・違うって否定したんだけど、人数も足りないから出ないかって誘われて、・・・試合にも出まして……。・・・それで「お前どこに泊まってるんだ?」って訊かれて、ゲストハウスに泊まってるって答えたら、チームメイトの家に空いてる部屋があるからそこに住めと。一カ月くらいそこに居候させてもらった。・・・とにかく日本に早く帰るのが恥ずかしいわけでしょう。だからできるだけマレーシアに滞在するのを延ばしたいわけですよ。・・・それで英字新聞を買って、求人欄を見ていたら、日本語教師求むっていう募集が載っていたんですよ。そこへ応募したらタイミングよく採用になり、日本語を教えた経験もないのに、いきなりチーフインストラクターになってしまった。

高野 めちゃくちゃですね。

二村 めちゃくちゃなんですよ。でもね、僕が採用されたとき生徒数が三百人だったんだけど、僕が入ってから一年間で五百人にしたんです。・・・

高野 日本語教師はどれくらいやったんですか。

二村 契約が一年だったので一年で辞めました。

高野 それからいろんなビジネスを試したんですよね?

二村 試したんですけど、惨敗につぐ惨敗で……(苦笑)

 ・・・

高野 今やっているジャングル・ビジネスもその頃始めたんですか。

二村 ジャングルはもともと好きだったんですよ。・・・なんかこう生き物の気配がものすごく濃厚な感じと、それなのにわりとシーンとしている感じが交互に来るって言ったらいいのか、渾然一体としている感じがたまらないんですよ。

 ・・・

高野 ・・・二村さん、ゾウに襲われたことがあるんですよね?

二村 毎回ほぼ襲われてますね(笑)。・・・

 ・・・

高野 怖いですねえ。怖いっていえば密猟者とも戦ったそうじゃないですか。

二村 あれは戦いどころの騒ぎじゃなくて、一方的に負けてるわけなんですけど(笑)。・・・いきなり撃ってきたんですよ。パーンって。ハッと見たらそこにいるわけ。もう必死に逃げて……。

 ・・・

高野 そんなジャングルがどうやってビジネスになっていったんですか。

二村 運命の出会いが……(笑)

 

(長くなっちゃうので、明日つづきを書きます)