僕には鳥の言葉がわかる

僕には鳥の言葉がわかる

 ここまで夢中にハマれるって、読んでいるだけでも面白かったです。

 

P118

 博士課程三年目の九月末。成田から約十二時間のフライトを経て、僕はオーストラリアのパースに降り立った。・・・

 今回、パースに来た目的はただ一つ。国際行動生態学会・・・への参加である。・・・

 僕が発表するのは博士課程の研究。シジュウカラのヒナが親鳥の鳴き声を聞き分けて、天敵から身を守るというものである。・・・国内学会で発表した時はとてもウケがよかったので、実はかなり自信があった。日本だけではもったいない。世界に発表すべきだと思って、はるばるパースまでやってきた。

 初日はウェルカム・レセプション。各国から参加した研究者が一つの会場に集まって、みんなでビールやワインを片手にワイワイ交流するものだ。・・・

 僕もビールを片手に会場をぶらぶらする。・・・

 ・・・

 そんな中、知り合いの研究者を見つけた。静大三郎・・・さんだ。静さんは日本で生まれてアメリカでキャリアを積んだ研究者。・・・

 ビールを片手に「お久しぶりです!」と声をかけると、「おー、トシくん!元気?」と笑顔で返してくれた。すると、すかさず隣の外国人が静さんに声をかけた。「ダイ(静さんのニックネーム)、アー・ユー・スピーキング・ジャパニーズ⁉」

 そうだ、ここは国際学会。静さんとも英語で会話しなくては。とりあえず自己紹介をしようと名札を見せると、その人はハッとした様子でこう言った。

「ユア・ペーパー・イズ・ソー・インテレスティング!(君の論文、本当に面白かったよ!)」

「……えっ?」と思った。なぜなら、僕はまだ論文を投稿したばかり。現在、専門家に審査してもらっている最中なのだ。一体どういうことかと思っていると、彼は英語でこう続けた。

「僕は今、君の論文を審査しているのだけれど、本当に驚いた。ヒナがうずくまったり、飛び出したり、ものすごい発見だよ!」

 なんと、偶然にも静さんの隣にいたのは、僕の論文の審査員。そしてそれはあの著名なロバート・マグラス博士・・・だったのだ!マグラス博士といえば、オーストラリアで鳥の鳴き声の研究をしている超一流の研究者だ。・・・これはうれしすぎる!

 ・・・

 翌日は朝から口頭発表のセッションがあった。・・・

 ・・・休憩時間。僕がコーヒーを飲んでプログラムを眺めていると、「ようやく見つけた!」と英語で声をかけられた。

 名札を見ると、マイケル・グリーザー・・・とある。この人も知っている! 

 グリーザー博士はアカオカケスというカラスの仲間の鳥を研究していて、・・・論文マニアの僕は、グリーザー博士の論文はほぼすべて読んでいたし、この学会に参加していることも把握していたのだが、まさかご本人から声をかけていただけるとは!

「はじめまして」と挨拶をすると、グリーザー博士は「君の論文、めちゃくちゃ面白いね!今、君の論文を審査しているんだ」とさわやかな笑顔。

 昨日に引き続き、今日もまた論文の審査員から声をかけられるとは驚きである。

 ・・・

 そして大会三日目。いよいよ僕の発表の日が来た。

「音声コミュニケーション」と題されたセッション。座長はあのマグラス博士。・・・

 研究の背景や方法を紹介し、いよいよ結果を説明する。

 まず、カラスに対する警戒声への巣箱のヒナたちの反応だ。「ピーツピ!」という親鳥の鳴き声に、巣箱の中のヒナたちがググッとうずくまり、鳴き声をしずめる様子を動画で流した。会場のみんなも興味津々で見てくれている「カラスは嘴を巣の入り口から差し入れるので、ヒナはそれに対してうずくまることが一番なんです」と説明すると、みんな「うん、うん」と納得した様子。

 次に、ヘビに対する「ジャージャー」の声と、それを聞いたヒナの反応だ。親鳥がアオダイショウに気づき「ジャージャー」と鳴き出すと、ヒナたちはバタバタバタッと巣箱から飛び出していく。この映像を流すと、「ウワーォ……」と会場がどよめいた。「アオダイショウは巣箱に侵入してくるから、その前に巣箱を飛び出すことが、ヒナが助かるための唯一の方法なんです」と説明する。それでも会場のざわつきは収まらない。

 ・・・

 みんな口を揃えて「すっごく驚きました」とか「本当に面白い!」と言ってくれて、心の底からうれしかった。僕がこの現象を見つけた時に森で感じたあの興奮を共有できた気がしたのだ。

 ・・・

 そして、なんと、ニコラス・デイビス博士・・・からも「発表の成功、おめでとう!」と声をかけていただいたのだ。デイビス博士は動物学者ならみんなが知っている有名人で、ジョン・クレブス博士との共著の教科書『行動生態学』は世界中で読まれている。・・・

 ・・・

 学会に満足して日本に戻ると、一通のメールが届いていた。それは、投稿していた論文が〝受理〟されたとの知らせであった!・・・

 

P130

 二〇一二年三月、僕はついに〝博士〟になった。・・・

 ・・・

 そんな日常の中にも、一つだけ明らかに変わったことがあった。それは、周りから「なんか鳥に似てない?」とか「シジュウカラっぽくない?」などと声をかけられるようになったことだ。

 ・・・

 習性が研究対象に似てくるというのは、なにも僕に限ったことではない。というのも、「この人、研究対象に似てる!」と思うことはこれまで何度もあったからだ。

 ・・・

 どうして研究者が研究対象の動物に似ているのか、その理由を元京都大学総長の山極壽一先生に聞いてみたことがある。山極先生はゴリラ研究の第一人者。・・・

「動物の研究者って、容姿が研究対象の動物に似ていることがありますよね。アレって、どうしてだと思いますか?」と尋ねると、山極先生は笑いながらこう答えてくれた。

「動物を長く観察していると、その動物の動きが無意識に自分にも移ってくるんだと思うんだ。たとえば、チンパンジーを研究している人は、果物を食べる時の口の動かし方がチンパンジーに似ているんだよ。そうすると、口元の筋肉もそれに合わせて発達してきて、顔つきもだんだんチンパンジーっぽくなるんだと思う」

 ・・・

 そんなこんなで、僕は今でも〝研究者の容姿が研究対象に似る問題〟のデータ収集を続けている。これまでに一番印象に残っているデータは、ある年、日本生態学会に参加して得たものだ。廊下を歩いていると、ある一人の男性が目にとまった。驚いたことに、彼はカマキリそっくりだったのだ。一瞬、目の錯覚かと思い二度見したが、本当にカマキリにそっくりな顔であった。

 僕は「この人、絶対にカマキリの研究をしている!」と確信し、ポスター会場で彼を探した。

―いた。カマキリ顔の彼の前にはすでに何人か集まっていて、ポスターの説明を聞いていた。僕もその輪に加わり、提示されたポスターを見てみると、やはり。そこには、「カマキリの○○について」

というタイトルがデカデカと書かれていたのだ。・・・

 

P148

〝ピコン〟

 いつもの森でシジュウカラの調査をしていたある日のこと。僕のSNS(エックス・旧ツイッター)のアカウントに一通のダイレクトメッセージが届いた。

 ・・・

クラ 初めまして、突然すみません。野鳥のシジュウカラについて相談させていただきたいです。五月十四日前後に船に巣を見つけました。まだヒナが中にいるのですが近々少し離れた港に船を移動させなければなりません。巣立ちはまだ先だと思うのですが、このまま移動して親鳥は巣を見つけることができるでしょうか?お時間がありましたら返信お願いします。

 ・・・

 ・・・これは大変な事態である。一刻も早く、船の移動を止めないと、親子がバラバラになってしまう。・・・

 ・・・

クラ 今ヒナの状態を確認しました。白と黒の柄がハッキリとしていて嘴の黄色もなくなっていました。ヒナの声は大きいと思います。

 

 よかった。それならもうすぐ巣立ちだろう。僕は安堵の胸をなで下ろし、返事を送った。

 

鈴木 それならもう二~三日で巣立つと思います。

 

 すると、またすぐに返信があった。

 

クラ 船の移動が今夜なのですが、あと数日ヒナたちだけで生きていけますか?

 

 なんてこった!・・・ヒナにとっては絶体絶命のピンチである。巣立ってからも、親鳥に一か月以上は世話をしてもらうのだ。・・・

 ・・・

クラ 移動スケジュールが変えられないのでやはりどうにかして出させるしかありませんか?

 

 どうしても出港日は変えられないようだ。となると、考えられる方法は一つしかない。

―そう。シジュウカラ語を使ってヒナたちを巣の外へ誘導するのだ。

「ジャージャー」という声であれば、ヒナたちを巣の外に脱出させることができるはずだ。この声は本来ヘビを見つけた時に親鳥が出す鳴き声。・・・

 ・・・

鈴木 そうですね。もしよろしければ、メールアドレスを教えてもらえませんか?ヒナを巣立たせる音声があるので、それを聞かせれば出てくると思います。少し早い巣立ちですが、その方がシジュウカラにとってはいいはずです。

 

 そう送ると、クラッシュさんからすぐにメールアドレスが送られてきた。僕は即座に音声ファイルを添付して送る。

 

鈴木 この音声をヒナに聞かせてみてください。できれば夕方五時までに、ヒナの近くで、できるだけ大きな音で、ループで聞かせてみてください。

 ・・・

―ピコン。

 通知がきた。クラッシュさんだ。先ほどのやり取りから一時間半ほど経っていた。

 僕は急いでメッセージを開いた。

 

クラ 六羽は出てきましたが、三羽がなかなか出てきません。このまま続けて平気ですか?

 ・・・

鈴木 船を移動したら死んでしまうので、続けるしかないです。もし飛べないヒナがいれば、近くの植木など茂った場所に移してやれば親が必ず見つけ出します。六羽出たなら、夕方までにみな巣立つかもしれません。

 

 がんばれ、がんばれヒナたち!スマホを握りしめながら祈る想いで返事を待つと、また〝ピコン〟と通知が鳴った。

 

クラ 送っていただいた音声で無事に残りの三羽も飛んでいきました!あんな狭い空間に九羽も入っていたなんて驚きました。シジュウカラたちには申し訳ないことをしてしまったと思います。ありがとうございました!

 

 よかった……本当によかった‼ちゃんと飛べたということは、きっとこれで大丈夫。あとは親鳥がしっかり世話をしてくれるはずだ。僕はようやく安心した。

 ・・・

 ・・・ヒナたちは、「天敵が来たから巣を飛び出した」くらいにしか思っていないかもしれないが、実際には、クラッシュさんの優しさと、僕の鳥語研究、そしてSNSというツールが見事に結びつき、かれらの命は救われたのだ。・・・SNS時代のすごさを実感した体験であった。

 

P232

 シジュウカラ語の研究を通して、はっきりとわかったことがある。それは、やはり人間は〝井の中の蛙〟だということだ。人間だけが言葉を持つと決めつけていて、鳥たちの言葉の世界に誰も気づかず過ごしている。

 ・・・

 たとえば、シジュウカラがタカを見つけて「ヒヒヒ」と鳴けば周りにいるコガラやヤマガラは一斉に藪に逃げ入るし、餌を見つけて「ヂヂヂヂ」と鳴けば、次から次へと集まってくる。反対に、シジュウカラもコガラやヤマガラの言葉を理解できる。森の中の小鳥たちは、周りに棲んでいるいくつもの鳥の言葉の意味を学習し、天敵から身を守ったり、食べ物を見つけるために役立てているのである。・・・

 たまに嘘をつくことだってある。たとえば、シジュウカラは、自分より体の大きなヤマガラゴジュウカラが餌場を独占していると、「ヒヒヒ」とタカが来た時の声で警報を出すことがある。実は空にタカなんていないのに、そう鳴くのだ。すると、大きな鳥はまんまと騙され、藪に逃げ入る。その隙にシジュウカラは餌をゲットできるというわけだ。僕もしょっちゅう騙されるが、騙し、騙される関係も、他種の言葉がわかるからこそ成り立つものだ。

 種の壁を超えた会話は鳥同士に限らない。実はリスも小鳥の言葉を理解できるのだ。シジュウカラが「ヒヒヒ」と鳴くと、リスはあわてて藪にダッシュする。リスよりも小鳥の方が目は良く、いち早くタカの襲来に気がつくことが多い。リスたちはそれを知っていてカラ類の群れの近くにいるのである。