わたしの外国語漂流記 未知なる言葉と格闘した25人の物語(14歳の世渡り術)

わたしの外国語漂流記: 未知なる言葉と格闘した25人の物語 (14歳の世渡り術)

 登場するみなさん、みんなそれぞれ、いろんな生き方をされてるなーと・・・

 

P98

 私は国立極地研究所という研究所に所属する海洋生物学者である。自慢でも何でもないが、私は日本の標準的な家庭環境、教育環境で育ったうえに海外留学の経験もないので、一般的な意味での英語はさほど得意でない。発音はひどい日本語なまりだし、ハリウッドのアクション映画は字幕がないと何を言っているのかさっぱりわからない。それにもかかわらず、サバイバル技術としての英語は確かに身に付いていて、普段から英語でメールのやりとりをし、英語のテレビ会議に出て、英語で論文を読み書きしている。自分でも驚くのだけれど、映画の台詞が聞き取れない私が、英語を母語とする学生の書いた英文をチェックすることすらある。どういう経緯を経て、こういう状況になったのか。読者の皆様の中には、科学の道を志している人もいるかもしれないから、ここでは私がどのようにサバイバル技術としての英語を身に付けたのか、過去の経験を語りたいと思う。

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 科学者の仕事の第一は論文を発表することだから、正しい英文の書き方を習得することは、「読む・話す」よりもさらに大事である。・・・

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 ・・・正しい英文が書けるようになりたいと願い、いろいろな本を読んだ。私の血となり肉となったと言えるのは、アメリカの言語学の教授であるRobert Day氏の書いた『Scientific English』という本だ。これは、シンプルでわかりやすい科学論文の英文の書き方を解説した本で、「過去形(was)と過去分詞形(has been)は意味が同じだから、語数の少ない過去形のほうがいい」とか、「名詞と動詞(たとえばinvestigationとinvestigate)だったら、動詞のほうが文字数が少ないぶん偉い」とか、受験英語が沁みついた私には衝撃的な内容が多数含まれていた。しかもそれを、アメリカの言語学の教授が真面目な顔で説くのである。でも実際、その本に従って英文を書いてみると、シンプルで読みやすい英文ができあがったので驚いた。・・・

 最近強く感じるのだけど、英語という言語には、できる限り簡潔に話され、簡潔に書かれなければならないという強い圧力がかかっている。・・・パソコンで英文を入力していると、複雑な文句には「もっと簡潔に書けないか」とご丁寧な指摘が自動で入る。これは「世界語」たる英語の宿命なのだろう。非英語圏の人にもわかるように、難解な語彙や複雑な構文を避けることが半ば強要されているのである。英語圏の人たちにしたら余計なお世話だろう。私だってもしも、構想力と語彙力とを駆使して書いた和文を小学生にも読めるように書き直せと言われたら、ひどく腹が立つ。

 でも、英語におけるこの世界的な流れは、私たち日本人にとっては大きなチャンスだ。私たちに要求されているのは、ユーモアや語彙力や描写力に富んだ面白い会話や文章ではなく、型にはまって短くて平易な、小学生にでもわかる会話や文章なのだ。そしてそれを身に付けることが、科学の世界におけるサバイバル英語術である。

 

P158

 今、グリーンランドに住んでいる。あの北極の近くの、どの地図でも真っ白い色をした大きな島。南北二千五百キロ、東西千キロ、西ヨーロッパと同じくらいの大きさのところに五万六千人が住んでいる。

 日本からここへ引っ越してきたのは二十年以上前。学校を出て勤めた東京の会社での仕事は、めちゃ楽しくてわくわくすることがたくさんあった。連日深夜まで仕事をして、週末になると車の上に夏はカヤック、冬はスキーを積んで、金曜の夜から山へ向かい、アウトドア三昧の日々だった。そして一転、人口五百人の極北の町に移り住んだ。

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 東京の郊外から五百人の町へ移り住んで、はたして大丈夫かと心配してくれた友達もいるようだった。しばらくたって発見したのは、どこに住んでいても、日常接する大切な人の数はあまり変わらないということだった。毎日ごく身近に頻繁に接するのは家族・友人・職場を含めて五人くらい。週に数回以上、軽く出会ったり会話したりする人は十人くらい。月に一回ほど楽しい思いを一緒にする人は五人くらい。その他になんとなく知っていたり時々すれ違う人が五十人から百人。東京でもグリーンランドでも変わらないので、寂しいという感じはしない。小さな町だから、町の誰もが自分が越してきたことを知っている。道で会う人は皆、声をかけてくれるのはとってもありがたい。

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 今では、日常会話はグリーンランド語を使っている。日本へは、休暇で帰ることはあっても、もう一度住む可能性は低いだろうと思っている。〝先進国〟に住みたいとは思わない。今の生活は、自然の一部として暮らしていけるバランスが残っているのが心地よい。

 ここは、町と町が道路で繋がれているところは一つもない。海がグリーンランドのハイウエイである。車で走ると十分で道は終わってしまうけれど、ボートで出かければ、何千キロでも移動できる。家族の週末は、金曜の夕方にボートを出し、キャンピングカーのようにボートで寝泊まりしながら、季節によって山菜摘み、魚釣り、トナカイ狩り、ベリー摘み、と自然の恵みを追いながら、海と山を楽しむ。

 ここに暮らしていると、時間の流れ方が違う。太陽の動き、潮の満ち引き、動物の動きに合わせる生活が、今も色濃く残っている。・・・