美内すずえさんとの対談が興味深かったので、続いて甲野善紀さんの本を読みました。
この食事と敏感さのお話は、私も断食後に感覚が鋭くなったのを感じたことがあるので、なるほどと思いました。
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私が講習会などでよく質問されることの代表例に、食物のことがありますが、食事の好みについてちょっとお話しておきます。というのも、まわりの人から言わせれば、変わったものであるようなのです。
食事は昼と晩の二食、だいたい雑穀飯のようなものと、私が作るときは小松菜とかミツバとかの野菜をパッと湯通ししただけのもの、納豆、動物性のものとして、生卵と山羊のチーズを食べたりするぐらいです。生卵は行者にんにくの醤油漬けと一緒に食べるのを好んでいます。
しかし、まあこれなら普通の人でも食べられないわけはありません、それどころか、おいしかったと言う人も少なくありません。
ただ、これは一般社会と私が折り合って暮らすための食事で、私自身はずっと以前から、できうるならば、発芽した生玄米と生野菜だけで過ごしたいという欲求が、少なからずあります。これはどういう食事法かというと、玄米を水に浸し、少し芽が出たものをすり潰し、野菜も湯通しせずに生だけを食べる。野菜は、力があって毒味のないものを選んでいます。・・・
なぜこのような食事にずっと憧れがあるかと言うと、そういう食生活を数十年前に一カ月ほど試したことがあるからです。そのときは、身体と頭が驚くほどすっきりし、その上、感覚が鋭くなって、身体も軽やかに自在に動くのです。
ただ、この食生活を、今の社会で続けていくのは大変に困難です。山ごもりのような生活をしていれば別ですが、出歩くことも多い私には、出かけたときに食べられるものがほとんどなくなってしまい、じつに不便です。もう一つの問題は、感覚が鋭くなりすぎて、街で遭遇する日常の些細な一コマに、いちいち心が大きく反応してしまうことです、母親が子どもをきつく叱っているのをちょっと見ただけで、三十分ぐらい胸が疼くような痛みが残り、とても街中では日常生活を送れなくなってしまうのです。
そういうわけで、この社会で生きていくために現実と折り合いをつけようと、家では雑穀飯と湯通しした野菜を中心にしたものを一日二回食べる生活を送っています。