無垢であること

爆笑問題のニッポンの教養 現代の秘境は人間の

爆笑問題のお二人と、中沢新一さんの対談本を読みました。
おもしろかったです。
ここは、無垢であることについてのやりとり。

P108
太田 ・・・大人のほうが無垢だと思うのね、おれは。だけど無垢でいることは、きついですよね。

中沢 無垢な状態というのは、まだ言葉をしゃべりだす前の段階、生後一年数ヵ月くらいまでだと思うのね。ただその状態でさえ、妄想に突き動かされはじめていて完全な無垢ではないんだけど、言葉を習得するようになると、暴力性、残虐性、裏切り、政治性とかいう大人たちがつくっている社会の要因が、言葉といっしょに子どもの心の中にどんどん侵入してくる。しかも、暴走しやすい時期なんですね。だから、子どもは無垢だっていうのは、一種の神話みたいなものだと思うんです。自分自身を考えても、言葉をしゃべる前の乳幼児の時代に近づけるように意識的な努力ができるようになったのは、大人になってからですね。それも四十歳をすぎ、五十歳をすぎてから。ぼくは二十代から三十代のはじめに、いろんなところを旅して、ネパール、インド、チベットといった聖地の山を歩きまわっていたんです。そういうところへ行くと、そこに住んでる行者さん、聖人と呼ばれる人たちがいる。彼らに会って話したり、親しくなって。その人たちはやっぱり、努力して無垢に近づこうとしている人たちなんですね。この人たちが山から降りてきて人間の世界に入ってきたときに、汚されることなく大きな仕事をこなしうるかというと、なかなかむずかしいところがあって、山の中にいるからできることでもある。ただまあ、人間が成長するにしたがって、無垢に近づいていくことができるんだなというのは、そのときにぼくは彼らの姿を見て学んだことなんですね。歳をとっていくことによって何をめざしているのかと言えば、賢くなること、そして、その根底には無垢であること。その意味では、自分が歳をとっていくことにはプログラムがありますね。

太田 ぼくは最近、文章の書き方がちょっと変わってきたなあと思うんです。

中沢 いつごろから?

太田 ここ二、三年ですね。前は、やっぱりちゃんと構成して書いてたんです。こうはじまって、こう展開して、こう落ちをつけようって。・・・そういうのがだんだんつまんなくなってきた。そうすると、多少、文法的につながんなくてもいいや、何が起きるかわからないほうが面白いやってなるんです。

中沢 それでいいんですよ。

太田 自分で構成しないんです。いきなり書きはじめて、思ったことだけ羅列していくような感じで。

中沢 それが一番いいんだよ。

太田 そうでしょう。