わかりやすく、その人に合ったスタイルで表現されたものが、受けいれられやすいのだろうなと思います。
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中沢 自分が追求したいことをどこまでも追っていくと、どんどん複雑で高度になっていくんだけど、そこまではっきり見えてきたら、今度はいったんそれを全部捨てて、いちばん平易でわかりやすい言葉で表現したいっていう欲望に突き動かされるんじゃないかな。芸術家もそうだし、宗教家なんかもそうなんですよ。偉大な人たちってみんな、歳をとればとるほど表現がすごく平易になっていって、こんなに簡単に表現しちゃっていいんだろうかと思うようになっていく。若いときにはものすごく複雑に、精緻を極めて表現していたんだけど、そういうことを放棄しはじめるんですよね。それはやっぱり、一つの成長なんだろうと思います。
ぼくは学者が書くような論文って、めったに書いたことがないんですよ。大学院のときに、もうそういうの、やめようと思ったんですね。学者の論文の決まった書き方というのがあるんだけど、自分には合ってないと思ったんです。ただ、それを放棄したら大学には残れないだろうなという心配もあったけどね。だけど、自分の文体をつくって、自分の思考方法で表現すること、それを学問の世界に逆に受けいれさせてみよう、と思って。まあ一応は、幸運もあって、なんとか生き残ることはできたようです。
太田 向こうをこっちに引きずりこんじゃえばいいんですよね。
中沢 そうなんだよね。自分でも学者みたいな論文を書かないで学問の世界でやっていけるんだろうかって不安だったんですけど、ただ自分の思考がどうしても学術論文に合わないんですよね。だからもう、これはしょうがない、これで認められなきゃ、しょうがないんだって思って、自分のスタイルでやってみた。そしたら逆にみんなが注目してくれたわけで、そういうものを必要としている時代に出会えたという意味で、まあラッキーだったんでしょう。