障がいをどうとらえるか

寝たきりだけど社長やってます

実習先で高評価を得たにも関わらず、そこにいた人の差別的な発言から、本実習に入ることを止めたお話、印象に残りました。

P72
 本実習を受けないと先生たちに告げると、みな驚いた様子だった。なぜなら、その施設は他の施設に比べて非常に賃金も高く、障がい者を評価する姿勢もあり、パソコンを使って働きたいと願う障がい者ならば、誰でも入りたいと思うところだったからだ。
 その上、当時その施設は大卒を採用したがっていたにも関わらず今回に限り、高卒である僕を本実習に進める約束をしてくれ、その速度も類を見ないほど速いものだったようで、先生たちとしては、僕の決定に理解ができないようだった。
 先生たちに、実習先でのトラブルを話したところ、僕と衝突した人物は毎日施設にいるわけではなく、たまに顔を出す程度のようだったので、「毎日いるわけじゃないから大丈夫だよ」などと言ってくれる先生もいたが、僕は自分の中で1つの結論を持っていた。
 これはインタビューを行っているときから僕の中に積み重なっていった違和感なのだが、障がいを持っている所員もそうでない所員も、その語る内容は「いかに障がい者が健常者に近づくか」ということが多かった。このこと自体は間違ってはいないと思う。
 僕が接してきた障がい者は大きく2つのパターンに分かれる。
 1つはなるべく健常者と同じような生き方を目指す人、もう1つは、障がい者として障がい者の生き方をしていく人だ。このどちらが良いとは言えないし、それはその人自身の生き方だと思う。だが、僕が少し気になるのは、前者のケースの人が後者のケースの人を自分より下に見る傾向があることだ。僕は実習をした施設で働く人たちは良い人は多かったが、向上心の高い、いわば前者のタイプの人ばかりだった。そのことが僕には少し気になっていたのだ。
 そしてその積み重なった違和感が、1つの形となって現れたのが、僕と衝突をした人物が口にした「お前みたいな軟弱障がい者、ろくな人生送れない」という言葉だったのだ。
 この言葉の裏には、障がい者はなるべく健常者に近づくべきだという意識があるように感じられた。
 もちろん、僕も自分で通えるならばそうしたいが、現実的に考えてそうすることはできない。これがこの施設全体の意識であるとするならば、どれだけ努力をしたとしても、できることに限りのある自分は、その組織の中でやっていくことはできないのではないかという不安に駆られたのだ。
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 違和感があったからといって、あんなにいい職場に今後巡りあえるかは分からない。ひょっとしたら、やっぱり行ったほうがいいんじゃないか。でも、あそこで働けば、周りの人の雰囲気に自分の気持ちがつらくなってしまうかもしれないし、逆にその環境で働き続けることで、自分も他の障がい者のことを下に見るようになってしまうと怖い、と思ったりもした。
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 そんな時、教務主任の青木先生に呼び出され、こんな話をした。
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障がい者の多くは自立を目指す。だが、それは人それぞれの状況によって叶ったり叶わなかったりする。それに対して、自分を律するほうの自律ならば、障がいの度合いやなんかに関係なく行うことができるんだ。これは自分のことを自分でコントロールすること、つまりは自分の置かれた環境や障がいという状況の中で、自分を持って生きることなんだ」
 弱りきった僕の心に"自律"という言葉がすごく響いた。そして最後に先生はこう言ってくれた。
「これからもお前の人生の中で、様々なことがあるだろう。その中で、もちろんお前は変わっていくこともあるだろう。だが、変わることだけじゃなく、変わらない自分を持ち続けるということも大切なんだ。そのことさえ覚えておいてくれれば、先生はお前の決意を応援する」
 僕は、ありがとうございます、としか言えなかった。