川内有緒さんの本、これまで読んだもの全部とても面白かったので、これも読む前からワクワクでした。期待通り、とても興味深かったです。
P39
・・・やっぱり道に迷ってしまうことはあるらしい。つい先日も深夜まで飲んでいたら、酔っ払ってしまって帰り道がわからなくなってしまったと白鳥さんは話し始めた。
「夜中の三時とかだからさ、なかなかひとが通りかからないので困ったよね」
「それでどうしたんですか?」
「しばらく待ってたら、ようやくおじさんがひとり通りかかって自分のいる場所がわかったから、家に帰れた。実は考えていたのとそう遠くない場所にいたんだけどさ!」
それを聞くと、ああ、やっぱり目が見えないと大変だなあと感じた。しかし、当の白鳥さんのほうはそこまで「大変だ」とは思っていないようだった。
「そういうのはあんまり大変じゃない?」
「うん。そもそも自分には、目が見えないという状態が普通で、〝見える〟という状態がわからないから、見えないことでなにが大変なのか実はそんなによくわからない」
美術館に行く道中や展覧会を見終わったあとに、たくさんの話をした。わたしは白鳥さんの世界が知りたかった。彼が知っている世界はわたしが知らない世界そのものだった。質問をすると、白鳥さんは淡々とした口調でなんでも答えてくれた。
・・・
特にわたしの胸に突き刺さったのは、視覚障害者に対する先入観や偏見についての話だった。正直に言うならば、その先入観とは、まさにいつもわたし自身が感じていたことそのものだった。
すなわち「目が見えないなんて大変だなあ」という、それである。
・・・
「盲学校で教わったのは、障害があるからこそまじめに努力しないといけない、ということ。たぶん先生たちの中でも『障害者は弱者、健常者は強者』で、欠如部分があるならばそれを補って、できるだけ健常者に近づくべきだ、という先入観があったのだと思う」
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大学生となった白鳥さんに、気になる女性が現れた。同級生のSさんで、〝見える人〟だった。
「彼女は感覚がいいというか、一緒にいても自然で。例えば一緒に喫茶店に行くと、メニューを読み上げるんじゃなくて、さらっと『これがおすすめだよ』言ってくれたり、それがよかった」
そんな彼女が、ある日美術館に行きたいと言い出した。
美術館?デートにいいじゃないか!と白鳥さんは思った。
それまで美術館には行ったことがなかったものの、「じゃあ、俺も行くよ、一緒に行こう」と提案。彼女も喜んだ。この日が人生の分岐点になることなど知る由もなく、ふたりは名古屋市内にある愛知県美術館に向かった。・・・そこでは「エリザベス二世女王陛下コレクション レオナルド・ダ・ヴィンチ人体解剖図展」が開催中だった。
その日、Sさんは言葉を使って展示内容を説明した。初めて足を踏み入れた美術館に、初めて見たアート作品。また、それを見るために集まったたくさんの人々。
こんな世界があったのか、と白鳥さんは胸を躍らせた。
「展示内容というよりも、美術館の静かな雰囲気とか、なにもかもにワクワクしちゃって。いま思うとデートの楽しさと美術館の楽しさが一緒になって、勘違いしちゃったのかもしれないけど!」
・・・
「それまで絵とか全然興味なかったんだけど、全盲の自分でも絵を楽しんだりできるのかなって思って。それに、盲人が美術館に行くなんて、なんか盲人らしくない行動で、面白いなって」