また逢える

魂でもいいから、そばにいて ─3・11後の霊体験を聞く─

たくさんの人のお話が載っていて、どれも心に響きました。
このお話は、私にとっての希望はこの世のものではないんです、というのが、大事な人が先にあちらに行った人みんなに共通することだろうなと思い、印象に残りました。

P32
「人間はなんとか意味をつけたがるのだと思うんです。八十歳九十歳の人が生きているのに、なぜ一歳十ヵ月の娘が亡くなるのだろう。その意味付けをするためにも、遺された人間は、たとえば娘は天使みたいで、妻のお供をして逝ったんだとか、無理やりこじつけようとします。そういう意味付けをしないと、生きていけないんです。でも、なぜ自分だけが助かったのか。いくら考えても……。妻がいて子供がいて、そのまま未来につながっていることが当たり前に思っている人には、きっと理解できないでしょうね」
 つい最近もこんなことがあったという。
「今年(二〇一六年)の正月明けでした。これからどう生きていけばいいのか悩んでいたときです。このとき娘はいなかったのですが、これまでと違ってはっきりとした像でした。夢の中で妻はこう言ったんです。
『いまは何もしてあげられないよ』
 そう言われたとき、あの世からそんな簡単に手助けはできないんだろうなと、私は夢の中で思っていました。死は最悪のことじゃないから、命に関わることでは助けてくれないのでしょう。すると妻はこう言いました。
『でも、信頼している』
 私は、うんうんとうなずいていました。そのあとで『急がないから』、そして、『待っている』と言ったのです。この世に娘がいるのだから、まだあの世に来るのは早いという意味でしょうか。私は夢の中で『本当に?』とたずねていました。そして、じゃあね、約束だよという感じで妻と指切りをしたんです。
 妻が言ったその言葉の一つ一つがすごくわかるし、何よりも『信頼している』と言われたのがすごく嬉しいんです。とくに『待っている』というのは、私にとっては究極の希望です。みなさんの言う希望は、この世の希望ですよね。私の希望は、自分が死んだときに最愛の妻と娘に逢えることなんです。死んだ先でも私を待っていてくれるという妻の言葉こそ、私には本当の希望なんです。いつか再会できるんだという一縷の希望が持てたからこそ生きてこれたのだと思います。
 もしかすると、こういう体験がなかったら生きられなかったかもしれません。妻と子供と家を根こそぎ失くしたんです。なぜ生きているのか、ときどきわからなくなることがあります。悲しい、寂しい、つらいばかりだったら身が持ちません。そういうとき、妻と娘は私に頑張れよと力とくれるんでしょうね。あの世で逢えるんだからって」
 最近、夢の中に笑顔であらわれた妻は、「どこにも行かないよ」と言ったそうだ。