希望をもって、今を大事に

ダライ・ラマに恋して (幻冬舎文庫)

本の最後の方にあったこの部分、共感しました。

P318
 私はこの1年あまり、ずっと「ダライ・ラマに会いたい!」と思って生きてきた。そして、ほんとうに会えるかどうかは分からないにしても、その間ずっと、「ダライ・ラマと見つめ合ってお話しできたら、どんなに素敵だろう」とか、「ダライ・ラマに会えたら何を質問しよう?」という思いを巡らせ、胸を期待で膨らませていた。休みをどう捻出しようかとか、旅のルートをあれこれ考えているときは、失恋の重苦しさからも日常のささいな雑事からも解き放たれ、私はただワクワクしながら、未来を思い描くことができたのだ。
 なんというか、もし万が一、法王にお会いできなかったとしても、私は十分、「ダライ・ラマに会いに行く!」という想いを楽しんでいたような気がする。ヘンな話だけど、私は法王に会う前から、すでに「ダライ・ラマに会いに行く!」という夢を満喫していたのだ。これでもし、「会えなかったら悲しいし、旅費がもったいないよな」とか、「せっかくダラムサラに行っても、会えなかったら骨折り損だよな」なんてことばかり考えていた1年だったとしたら、この1年をどれだけ無駄にしていただろう。
 私はふと、人生もそれと同じじゃないかと思った。
 私にもいつか、この世にサヨナラを告げる日が来る。それは、いいことでも悪いことでもなく、事実だ。でも、その日が来るまで、「病気になったらどうしよう」とか「リストラされて仕事がなくなったらどうしよう」とか、「せっかく付き合ったのに別れが来たらどうしよう」なんてことを考えたり悩んだりしたところで、いったいなんになるだろう。ゴールが見えない不安さを嘆くよりは、プロセスそのものを楽しんだ方がいいに決まってる。
 ・・・
 先のわからない未来を思い悩むより、自分の生きたい未来を心に思い描き、今日を、明日を、楽しく生きたい。何もかも変わっていくのだから、いつも今やりたいことを存分にやって、今大事にしたい人を腹の底から大事にしたい。私に、世の中の役に立つことがあるなら、なんだってしたい。そして、どんなときもやっぱり、ささやかな夢や希望を持っていたい。希望を持つことこそが、未来に踏み出す第一歩になると、今では強く確信できるのだ。
 そんな、当たり前のことなんだけど、とても大事なことを私に教えてくれたのは、他でもない、ダライ・ラマ法王、その人だった。