寂聴さんの本を読みました。
印象に残ったところを書きとめておきます。
P15
皆さんは、室町時代の禅僧の一休禅師をご存じでしょうか。とんちが得意だったという子ども時代のことは昔、『一休さん』というアニメになりました。
その一休さんが24歳のとき、こんな歌を残しています。
有漏地より 無漏地へ帰る 一休み
雨降らば降れ 風吹かば吹け
「漏」とは、煩悩をいいます。
「有漏地」は「煩悩のある、私たちが生きているこの世」の意味。
「無漏地」は「死んで煩悩が消え去ったあの世」のことです。現代語に訳せば、こんなふうです。
「人の一生とは、この世からあの世へ行く短い旅の途上にすぎない。その旅の途上で一休みしているのがいまの私だ。
雨も風も、好きなだけ降りつけよ、吹きつけよ。豪雨も暴風も旅の途上のほんの一休みの間の出来事にすぎず、たいしたことではない」
若くしてこの世の諸行無常を悟った一休さんの、清々しい風貌が目に見えるようです。
深夜の寂庵で1人原稿用紙に向かっていると、屋根や雨戸に激しい雨があたる音が聞こえてきたりします。そんなとき私は万年筆を置いて、口ずさみます。
「雨降らば降れ、風吹かば吹け」
そうすると、不思議に気持ちが落ち着くのです。
P72
・・・私は再びベナレスの「死を待つ人の家」を訪ねました。
そのときには、すっかりやせ細って、はた目にも死期が迫っているのがわかるおじいさんの枕元に、小学校3~4年生くらいの小柄な女の子が1人座っていました。家族はお昼ごはんの材料を買いに行って、誰もいません。女の子が両手を動かしています。近寄って見ると、ちょうど肩幅くらいの間隔で2つのバケツが置いてある。片方のバケツには水が満たしてあって、その水を小さな手ですくっては、もうひとつのバケツに移している。女の子はそれを黙々と繰り返しているのです。
「何をしているの?」と聞くと、
「私たちの田舎のおうちのすぐ横を川が流れています。私のおじいちゃんはその川の流れの音がとても好きで懐かしがっています。
ここにもガンジス川があるけど、おじいちゃんは耳が遠いし、この季節は川の流れがおだやかで、せせらぎが聞こえないから……」と言うんです。
それで、おじいちゃんの枕元でその子が、バケツからバケツへと水を移して、チャプチャプと水の流れる音を、おじいちゃんに聞かせてあげていたのです。
私は涙ぐんでしまいました。こういう小さな子でも、お年寄りに、死にゆく人に、何をしてあげたら喜ぶかということを、一生懸命に考えているのです。これが思いやりで、本当の愛情というものです。
P79
宇野千代さんは、いつも「私は125歳まで生きる」とおっしゃっていました。
それは宇野千代さんが傾倒していた、中村天風(1968年に92歳で逝去)という思想家の教えでした。
・・・あるとき直接お聞きしたことがあります。
「宇野先生、どうしてそんなに長生きに固執なさるんですか?」
そうしたら、おっとりとした口調でおっしゃったものです。
「人間は早く死ぬから苦しいのです。それは不自然な死に方だからなの。長生きをすれば、秋の木の葉がハラハラと舞い散るように、ちっとも苦労なく自然死できるのよ。
それに長生きすれば、いまよりもっといい小説が書けるかもしれないでしょう」
そんな宇野千代さんの、もう1つ忘れられない言葉があります。
「毎朝目を覚ますと、自分には今日、必ずいいことがある、と思うんです」
という言葉でした。
・・・
晩年に近づいたころ、こんなこともおっしゃっておられました。
「昔話に、木に登って灰をまいて花を咲かせる〝花咲かじいさん〟というのがありますね。私もザルに幸せという花びらをいっぱい詰めて桜の木に登って、桜にまたがって、みんなに幸福をまき散らして〝幸福咲かせばあさん〟になりたいのよ」と。
P107
そういえば、新旧の本を乱読しているうちに、こんな俗歌を見つけました。
五十六十は花なら蕾
七十八十は働きさかり
九十になって迎えが来たら
百まで待てと追い返せ
いつの時代に、誰が作ったかわからない歌ですけど楽しいでしょう。皆さんもこの歌のように生きてくださいね。