内から見たら、外から見たら

還暦、プロヴァンス、ひとりぼっちで生きる

「この本は、還暦を過ぎたひとりの日本女性の自分さがしの記録でもあります。綴ってみれば、おかしなことばかり起きました」と、はじめにに書いてありました。
 セザンヌの描いたサン・ヴィクトワール山を毎日見て暮らしたい、と南フランスに住んでみた方のエッセイ、ドキュメントです。
 この部分のやりとり、よくあるシーンのようで、でもとても印象的でした。

P158
 私はミチヨの話をさえぎった。
「でも私はあなたがうらやましいわ。子どもたちが出ていっても、あなたの生活は何も変わらないし、うらやましい。最近、私は何をやっているんだろうと思うのよ」
 電話の向こうのミチヨは、大きな声を出した。
「あら!私はレイコがうらやましいわ。ご主人を亡くしたら、『さあ、これからは自分のやりたいことをやるんだ』と、あっというまに東京の仕事を全部捨てて飛び出して、あれよあれよというまに南フランスの田舎に住みはじめたんだもの。すごいなぁ!と思ったわ。どうしてそんな勇気があるの?」
「勇気なんてものじゃないのよ。やりたいことをやろうと、無我夢中だったの。そして気づいてみれば……」
 自分の声が私自身にも力なく響くのが情けない。ミチヨが電話口の向こうで、しつこく繰り返す。
「そして気づいてみれば?ガッカリしたの?でも聞きたいんだけど、なぜあなたは、うまくいかないときのことを想像しなかったの?」
 私は黙るしかない。ミチヨは学生時代のミチヨに戻った。
「レイコ、あなたは昔からそうだったわ。何も考えないで飛び出すのよ。それがいいときもあるけど、悪いときもあるわ。でも、あなたは絶対悪くなったときを考えない」
「そうよね、その通りよね」
 受話器を持ったまま、うなずくしかない私。勢いにのって続けるミチヨ。
「私だっていろいろあったわよ。離婚しようと考えたこともあるわ。でも、まずは生活のことを考えたの。食べていくお金がなくなったら、とか、子どもたちがどうなるのか、とか、いろいろなことを考えに考えて、結局やめたのよ。レイコは昔からそういうことまったく考えない人ね」
 力なく私は答える。
「そう、私、昔からそう。思い込んだらもう、いいことしか考えないのよ」
 電話の向こうのミチヨが笑っている。
「それがレイコのいいとこよ。でも、そうやってなんだかんだ言っても、あなたはヘコたれないで生きてきたじゃない?今からが正念場よ。ご主人はいないし、仕事も捨てた。日本を捨てたのよ、あなた!」
 そうか、まわりの人はそう思っているのか。胸に突き刺さる言葉に、ついつい八つ当たりをしてしまった。
「もう、いいわよ、そんなこと!どうせ私は昔から変なことばかりやっているんだから。でもね、私はフィロソフィーがあるのよ」
「ナニ?」
 電話の向こうで、ミチヨは素っ頓狂な声を出した。
「フィロソフィー、つまり哲学。なんというか人生観みたいなものね。人生って、よいことと悪いことが同じ量なのよ。・・・嬉しい結果を得るには、それと同じだけの、考えられないくらい残酷な時間があるのよ。それが私の人生哲学」
 一瞬、電話口の向こうは黙ったが、しばらくしてクスクス笑いが聞こえてきた。
「レイコ、私たち、そのセリフを何回か聞いたわ。あなた、私たちにくらべたら、何倍も冒険してきたのよ・・・私たち、あなたを応援しているのよ。なぜだかわかる?」
「友達だからでしょ?」
「それだけじゃない。あなたは、私たちができなかったことをやっているから」
 ・・・
 翌日、パソコンを開くと、ミチヨからのメールがきていた。ただ1行。
「身を捨ててこそ 浮かぶ瀬もあれ なんとやら」
"なんとやら"かと笑ってしまった。私も彼女もうろ覚えなのだ。
 ちなみに本歌はこうだった。
 山川の末に流るる橡殻も 身を捨ててこそ浮かむ瀬もあれ (空也上人)

 ところで一週間ほどパソコンから離れるので、ブログをお休みします。
 いつも見てくださってありがとうございます(*^_^*)