他人の期待にこたえようとしない

もしここが天国だったら? ― あなたを制限する信念から自由になり、本当の自分を生きる

昨日の記事のイベントのその後のお話。
救いの言葉をかけることもできず、聴衆を失望させたのでは(実際、期待外れだったというメールも来たそうです)と自問自答しながら、どんなことを考えたか書かれていました。
たくさん感銘を受けました。

P269
 その夜、私はその日のイベントのことを振り返りながら、眠れずに何度も寝返りをうっていました。・・・いつもポジティブでなければならないと信じることは、「ありのままの自分では十分でないから、ポジティブなうわべで本当の自分を隠さなければならない」というメッセージを自分自身に送っていることになる・・・
 ・・・
 他人を失望させることへの恐れは、私たちが自分自身や自分にとっての真実を見失ってしまう理由の一つです。私たちはありのままの自分でいるよりも他人の期待に応えようとするのです。その瞬間私は、たとえすべての人を失望させようと、自分は昔のような相手のなすがままになる人間には決して戻らないとわかりました。かつての私は自分に与えるものがなくなっても人に与え続け、しまいに疲れ果てて、癌になってしまったのです。
 私の心はその当時に戻り、・・・"善意の人たち"から、「あなたの思考が現実を生み出すのです。・・・自分の思考には注意した方がいいですよ!」と言われたことを思い出しました。
 最初、私は引き寄せの法則についてありとあらゆることを調べました。・・・
 ・・・もっと一生懸命努力してネガティブな思考を減らそうとしました。ビジョン・ボードを作って雑誌などから切り取った写真を貼り、何度も何度もポジティブな結果をイメージしました。・・・
 「なぜ私はまだネガティブな思考をしているのだろうか?一生懸命にコントロールして、いつもポジティブでいてポジティブな現実を生み出そうとしているのに、なぜうまくいかないのだろうか?・・・」と、私は怒りを感じながら自問しました。
 その当時、私はものすごい恐れやフラストレーションを感じており、さらに、善意の人たちとの会話が一層気分を落ち込ませていました。私は「自分の学びが足りないから癌が進行する」と本当に信じていて、私の信念が十分に強くないせい、思考が十分にポジティブではないせい、あるいはその両方のせいだと確信していたのです。

 翌朝目覚めた時、まだ疲れているような感じがしました。・・・さらに前日のイベントのことがまだ頭から離れずにいました。そして、どんなにたくさんの本を読もうと、どれほど深いスピリチュアルな経験をしようと、いかに自分が目覚めていると思おうと、自分のセミナーにどんなに多くの人が来ていようと、私たちには人間の苦しみを完全に和らげることはできないのだという思いがふと心に浮かびました。
 私はスピリチュアルに目覚めることが重要ではないと言っているのではありません。すべての人やものとのつながりに気づけば気づくほど、他人を傷つけたり、自分の環境や惑星に損害を与えたりすることが少なくなるのも確かでしょう。でも、深い痛みは深い愛情と同じ硬貨の裏側にすぎません。人間としての経験の重要な部分は、私たちの愛する人が亡くなった時、痛みや傷を感じることなのです。向こう側で経験したすばらしさをどんなに説明しようと―大きな枠組みの中ではすべてが完璧であることをどんなに約束しようと―、私たちがこの世にいる限り、痛みや恥、失望や恐れ、苦悩などは現実として存在するのだということを、どうやって私は人々に説明できるのでしょうか?