大切な人を亡くした人へ

もしここが天国だったら? ― あなたを制限する信念から自由になり、本当の自分を生きる

 息子さんを亡くした女性からの質問を聞き、アニータさんが何をどのように感じたか…とてもとても大事なことが書かれていると思いました。

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「私の息子は三ヶ月前に亡くなりました。・・・もう二度と会えないなんて耐えられません。そのことに納得がいかないのです。これからどうやって生きていけばいいのでしょうか……」
 ・・・これはブリスベン近郊での講演の終わりに質疑応答をしていた際に受けた質問でした。・・・悲しみに打ちひしがれて涙を流す母親が私の答えを待っている時、私には何も言えませんでした。一つも言葉が出てこなかったのです。
 彼女の息子さんが大丈夫であることは向こう側の世界を直接経験した私にはわかっていましたが、そのことを彼女に約束するだけでは十分ではなく、それは適切でもないと感じました。その母親の言葉が胸に突き刺さって、私は話すことができなくなってしまいました。その時私にできたのは、彼女の痛みと喪失感を感じることだけだったのです。・・・
 時間は停止し、私は何百人もの人を前にして舞台に立っていることすら忘れていました。彼らは私が慰めと愛の言葉を言うのを待っていました。この深く悲しんでいる母親が自分の悲惨な状況について納得し、喪失感を受け入れられるように、私がどんな知恵の言葉をかけてあげるのだろうと思っていたに違いありません。また、私の答えが、愛する人を失った自分たちの苦悶や解決できない痛みを助けてくれることを望んでもいたのでしょう。彼らは私が向こう側にいたことを知っているので、私が死後も生命は続くと約束するのを待っていたのです。
 ・・・「私たちは死にません。死は幻想であり、息子さんは今幸せで自由です。あなたにも幸せになってもらいたいと思っていますよ」などと言うのを期待していたことでしょう。
 ・・・けれど、これらの言葉がすべて正しいと自分の経験から知っていても、その女性の頬をつたう涙を見た時、私の口からそのような言葉は出てきませんでした。ありとあらゆる言葉が私の頭の中でただうつろに響き、すべてが中身のないありきたりの言葉のように感じられました。この状況で"正しいこと"を言うのは、相手を見下すことのように思えたのです。向こう側で愛と美を経験したとはいえ、人間の形をしている限り、私はまだ苦しみを感じます。痛みや悲しみも感じます。私はその瞬間、自分がこの女性に対してどう感じるべきとか、耐えられないほどつらい状況にどう対処すべきかといったことを助言しようとするのは不誠実だと強く感じました。
 ・・・
 プログラムのことも聴衆のことも、他の何のことも考えずに、私は舞台から降りてその女性の方へと歩いていきながら、彼女にも私の方へ来るようにと手招きをしました。そして、私は彼女の背中へと両腕を回し、強く抱きしめました。その時私は、彼女に一人ではないことを知ってもらうには、身体的に彼女とつながるしかないと思ったのです。
「そんなに心を痛めていらして、本当にお気の毒です……」と、彼女を抱きしめながら私は言いました。「自分の痛みのように感じられます」
 彼女が私の肩で泣き出した時、私もまた涙でいっぱいでした。彼女の魂が感じている喪失感や悲嘆のすべてを、私も感じていました。
 彼女の苦しみの感情は、息子にもう二度と物質的次元では会えないということだけでなく、それでも生きようとする自分の強い意志からきていました。宇宙の大きな枠組みの中では、もし彼女が悲しみや絶望によって死に至ったとしても、息子とのつながりを取り戻してすべてうまくいくだろうと私にはわかっていました。でもその瞬間、私のまさに人間の部分が、彼女には悲嘆で死んでほしくないと強く思ったのです。そして、どうすることもできない自分の無力さを痛感しました。私の経験から得た知識をもってしても、彼女の悲嘆をその場で癒すようなことは何も言えませんでした。私にできることは、彼女を抱きしめ、思いきり泣かせてあげることだけ―そして、彼女の涙は息子さんへの献身的な愛情の現れだと伝えることだけでした。それを知ることで安心してほしい、心の痛みを感じてもいいのだということを知ってほしいと私は思いました。