歌の意味

バウルの歌を探しに バングラデシュの喧噪に紛れ込んだ彷徨の記録 (幻冬舎文庫)

歌の意味は何層にもなっているそうですが…「知らない鳥」の歌詞について、著者がグルに尋ねる場面です。

P312
「グル、教えてください。『知らない鳥』という歌がありますよね。あの意味が知りたいのですが。鳥っていったい、何ですか」
 ・・・
「・・・"知らない鳥"は、人間の呼吸のことだ。そして……鳥籠とは人間の体のことだ」
 ・・・
 呼吸。
 私たち三人は、顔を見合わせた。
 確かに、呼吸は口から出たり入ったりする。
 吸って、吐いて。吸って、吐いて。
 鳥籠である体を、出たり入ったり。
 理にかなっている。でも、それだけ?
 グルは続けた。
「それだけではない。この歌には、いくつかのレベルの意味がある。鳥は出たり入ったりしていて、捕まえられない。分かるかな」
「…………」
「知らない鳥とは、もう一人の自分だ。つまり自分のココロのことなのだ。自分の本当のココロは、自分では分からないものだ」
 コントロールできない鳥。きままに振る舞う鳥。出たり入ったりして捕まえられないもの。
 それは、自分のココロ……。
 ・・・
 今まで聞いた話、考えたことが星座のようにつながった。
 そう、バウルの話は、いつでも同じところに帰結する。自分のココロを探れと。自分の中にある聖なる場所を探し求めよと。すべての偏見や束縛から自由であれと。自由になって、自分自身を見つけろと。
 人間は、家や時代のしがらみの中で生きている。ヒンドゥーとか、日本人であるとか、女性であるとか。でも、私たちは自分次第で、その囲いから、ココロだけでも抜け出すことができるのかもしれない。いや、抜け出すようにもがくことは、できる。
 そう、たぶんそれが"自分"になる、ということなのだ。数百万年もの間、前人たちから受け継いだたくさんの上着を脱ぎすて、素の自分自身になる。
 自分はいったい誰なのか、と問う。
 それはもっと自由で、寛容で、しなやかな自分に近づいていく終わりのないプロセス。それが、バウルの修行なのだ。
 ・・・
 ドグマにとらわれてはいけない。
 それは他人たちの思考の結果で生きることに他ならない。他人の雑音によって自分の内なる声が掻き消されてしまわないように。そして、自分のココロや直感に従う勇気を持って。
 ココロや直感は、自分が本当は何者であるのかすでに知っている。
 そう言ったのはアップル社の創始者スティーブ・ジョブズだが、確かに結局のところ人生の行き先は、いつだってココロが決める。悩み、考え抜いて行動した時でさえ、ココロはあっさりそれを否定する。頭で考えた最良の選択は、時としてココロにとって最悪の選択で、・・・
 人生は目的に向かって行動した結果ではなく、むしろ瞬間、瞬間のきままな鳥に従った結果なのかもしれない。