悟りとエゴ

驚天動地 クォンタムが解きあかす「世界の秘密」

悟りの状態とエゴ…、人間だもの、ですかね(笑)
ここにも書いてありましたが、最近他で2回、期待が足かせになるという話を聞きました。
自分に変に期待しないことって、自分にやさしいなと思います(^^)

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 悟りの状態をずっと維持するかどうかという問題ではありません。なぜならその状態を維持することはできないからです。
 覚醒した意識の状態のなかで生きるとしても、私たちはそのなかで、ときにトイレに行く、つまりエゴ的な経験をする必要もあります。
 たとえば、人前で食事をするなら、お箸もフォークもうまく使わねばなりません。
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 ですから、生きるということは、ある程度の"わたし"という認識(エゴ)を必要とする、ということです。
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 ・・・ひとつの戦略は、禅の『十牛図』に出てくるような戦略です。
 あまり人とつきあわずに生きるということ。まったく目立たずに、人づきあいを少なくして生きていく。つまり、とりわけ人の気をひくようなことをしない、大ぜいのなかの一人になるのです。
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 たとえば、私があなたと一緒に食事に行ったとします。すると、あなたは、私がレストランでどう行動すべきかということに関して考えをもちます。
 でも、私がべつに誰でもない無名の人であるならば、私がどんな食べ方をするか誰も見ていません。ですから、そのとき私は、私のところにやってくるものを自然にただ食べるだけです。
 自分のなかをずぴりっとが動いていくのにまかせて、流れにまかせて、ただそこに来るものをいただく。そのとき私は"わたし"という認識(エゴ)の条件づけなく行動している、ということになります。
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 もうひとつは、子供のようになるということですね。子供はエゴをもっていないので、どうふるまうべきかを知らない子供のようになる、ということです。
 人に合わせようとすると、そこに"わたし"という認識が絡んできますから、悟りの状態からまた遠ざかってしまいます。
 禅の老師が『十牛図』の9番目や10番目の絵のような感じで生活しているとすると、その老師は、周りの人から特定の期待をされないわけですから、とくに何かのイメージどおりに生きなくてもよいということになります。