ここは、人の変化や回復がおこっている場所のフィールドワークをされている方のレポートです。
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私は個人的な関心で、人がどのような場所で変わっていくのか、どのような条件のもとで変わっていくのかということをずっと探求していました。
あたたかく受け止められ自分の心の基盤を支えてくれる場所では、人は意識もせず自然に自分らしく変化していこうとします。
しかし、支えてくれる基盤は欠かすことができませんが、それだけでは不十分なようでした。
変わるということには、受け止められるだけでなく、同時に揺り動かされることも必要なのです。
おふくろさん弁当では、このやさしく自分として尊重されるという側面と、仕事として世間の風にさらされて揺り動かされもする、という二つの側面を兼ね備えていると思います。
その上で、なお人にとって変わることが難しく時間がかかってしまうのは、個人が自分らしく変化、回復していくことを邪魔しているものが、その人の考え方や価値観などとしてその人と一体化しているためです。
それは自然な変化をとどめる働きをしていて、「こうしなければいけない」「こうあるべき」などという強迫、恐怖をともなっています。強迫的であり、恐怖があればあるほど人は変化しにくくなります。
変化とはそれまでの自分の死でもあるので、安心しないとそれまでの自分にしがみついてしまって変われないのです。
手放すことができるためには内在化してしまった強迫や恐怖をとりのぞく必要があります。とりのぞく作業は観察によってすすめられます。
その恐怖や強迫がどのようにおこっているのか。観察して意識の光をあてるとそれが理解され、影響されなくなっていきます。
観察は、実際にそれがおこったときのことを思い起こしながら整理したり、対話しながら今おこっている気持ちや状態を確かめていくことによってもすすめられます。
おふくろさん弁当の環境で働くことと、何か心のうちで反応が起こったときに、それがどうしておこるのかを話し合うことによって、自分に内在化しているものをとりのぞいていくことができます。
おふくろさん弁当に出会い、インタビューさせてもらうなかで、もう一つ気づくことがありました。
それは、「自分でやらなければいけない」などというように「自分」にこだわればこだわるほどむしろ変化の進展が遠のくようだということでした。
安心は「自分ができる」という自分の能力から生まれるのではなく、自分で囲っていたものを手放し、ゆだねられることによって生まれます。