祝福すること

今あなたに知ってもらいたいこと

 続いて読んだこちらの本で、昨日の記事にアップした詩は、こういう経験も背景にあったんだと知りました。

 

P21

 一九八〇年十二月八日、その日にジョンは射殺されました。

 ・・・

 ふたりで多くを語り合ったベッドに、ひとりで横たわっていると涙が出てくるばかりで、立ち上がる気力すら出てこない。しばらくはジョンの好きだったチョコレートしか口にすることができませんでした。それまでは大嫌いだったチョコレートです。

 あたり前のようにそこにいた人が突然いなくなる。いなくなったということが理解できない。

 追い討ちをかけるように、ひとりになった私のもとへ、いろんな人がなんだかんだと嫌なことを言ってきました。

 ・・・心身ともにまいっているのに、やっかいなこともすべて自分で対応しなければならない。・・・

 それでも息子ショーンのことを思うと絶対に生きながらえなくては、と思いました。

 そうやって、前に進もうとするのですが、私を押さえようとする人たちに足をひっぱられて動けない感じでした。

「これに負けてはいけない」

 そんなとき、「このままでは自分がだめになってしまう」と思って、始めたのが人を「Bless」(祝福)することです。

「Bless you Jack, Bless you Norman, Bless you Fred……」

 夜ベッドの中で頭に自然に浮かんだ名前を祝福しました。無心になって祈り続けました。

 おかしなもので、口をついて出てくるのは私に対して嫌がらせや誹謗中傷している人たちの名前ばかりでした。

「なんで、こんな嫌な人たちばかり祝福してるんだろう」

 と思いながらも続けました。

 その当時はただ、それをしなければ自分が病気になってしまうという必死の思いがあったのです。だから、私をアタックしている好きでもない人たちを一生懸命祝福し続けたのです。

「祝福」を始めてから一週間ほどした頃、私の気持ちに変化が表れました。嫌がらせをしたり、私を傷つけようとした彼らに対する恨みが薄れてきたのです。

 それと同時に不思議なことが起こりました。私を攻撃していた人たちはまだ攻撃の態度を変えたわけではないけれど、他のことに忙しくなったり、仲間割れをしてお互いに衝突したり、ある人はこんなことを仲間と一緒に企んでいたと私に告白しに来たり、私に向かっていた鉾先が鈍ってきたのです。そのおかげで私は病気にもならず前に進むことができたのです。

 そして、その出来事の中で、ひとつ気がついたことがあります。

「私の体をメチャクチャにしていたのは、自分の中にある恐怖や怒りなんだ」

 ということです。怖がっていること自体が自分の気持ちを弱くしていたのですね。

 人のために祈っているつもりでいたのだけれど、それは自分の中にある恐怖や怒りを追い払うことだったのです。

 ・・・

 あなたが祝福している相手が自分を愛してくれる、というのとは違います。そんな甘いことではなくて、敵を祝福するという難しいことをしたために、あなたがもう少し強い人間になったということです。そして、それを向こう側も感じないわけにはいかなかったということだと思います。