今を生きる

41歳で亡くなった流通ジャーナリストの金子哲雄さんの本と、今年で98歳の吉沢久子さんの本を読みました。
偶然続けて読んだのですが、もうほんとに人生色々だなと…
と、同時に、今を生きるというメッセージは共通していたように思いました。

僕の死に方 エンディングダイアリー500日 (小学館文庫) ほんとうの贅沢

金子さんの本で印象に残った、奥様の文章です。
P196
 8月22日以降、生と死の狭間に生きる金子に寄り添い、私も共に生きることで、感じたことがあります。「死」は、決してゴールではない、ということです。
 金子は、生きることと同じように、死に対しても一生懸命に取り組みました。自分の終わりを意識して、死後の始末をしていたのとは、ちょっと違います。
「稚ちゃん、生きることと死ぬことって、やっぱり同じだよな」
 最後の1か月、金子はよくそう言いました。
 併走していた私も、それに共感できました。うまく言葉にできないのですが、金子とともに、懸命に前に進んでいるうちに、金子はあの世側に移り、私はこの世側に残った、という感覚なのです。
 だから今も、あの世側で金子は前に進んでいます。この世で、同じ場所に立ち止まっていたり、後ろを振り返って懐かしんでも、そこに金子はいません。あるのは、思い出だけです。
 今、この瞬間も前に進むことで、金子を感じ、共に生きることができる。
 金子との新しい関係は、こういうことではないかと、今、私は思っています。

吉沢さんの本の最後にはこんな風に書かれていました。
P179
 ・・・不安の先取りはしません。
 その代わりに、今日自分にできることを考えることに集中します。今日を「最高の一日」にするために何ができるか考え、それに一生懸命になるのです。
 考えてみれば、クヨクヨしたくなる理由は、先々ではなく、今このときにもたくさんあるのです。
 視力が落ちて、好きな本を読みにくく感じるようになりました。ベッドカバーを替えるだけのことが、今では重労働です。重い荷物は持てないし、人の手を借りることも増えています。
 だからといって、嘆いてもはじまりません。
 同じ生きるのであれば、楽しく過ごさなければ損というもの。クヨクヨ生きても楽しく生きても、同じ一日なのですから、楽しく過ごしたほうがいいに決まっています。
 また一日を、明るく過ごせた。
 明日は明日でなんとかなるだろう。
 それを積み重ねながら生きていけたら、老いの孤独や不安とは無縁でいられるのではないかと思うのです。