アクアヴィジョンの事務局のKさんからお借りした本、面白かったです♪
実話を元にした小説で、事故で一度死んだ世界から生き返った世界にシフトしたお話。
ちょっと長くなってしまいますがこんな感じだったそうです。
P144
・・・生死の境をさ迷っていたときのことも思い出した。・・・あれを「臨死体験」というのだろう。・・・体外離脱に臨死体験というトンデモ体験をしたわけだが、もうひとつ、俺には信じられない記憶が残っている。
その記憶とは……。
俺は死にかけただけじゃない、たしかに死んでいたのだ。
ICUで処置を受けていたときのこと。おそらくは手術後のことだろう。
突如、容態が急変した。俺の身にいったい何が起きたのかは知らない。ただ、俺が今どういう状況であるか、そしてこれからどうなるかを直感した。
これから俺、死ぬんだよな。
不思議なもので、自らの死を悟ったときというのは、なんの根拠もなくわかるらしい。後ろからガッチリ肩をつかんで離さない死神の気配を感じる。
これほど背筋が凍りつくような恐怖は、今までの人生で味わったことがなかった。事故に遭ったときの比ではない、ケタ違いの苦しみと恐怖。容態がみるみる悪化していく。痙攣で激しく上体がバウンドする。
「先生を呼んで!」
異変に気づいた医療スタッフが俺の周りで慌ただしく駆けまわる。
死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない!
頭の中を支配しているのは、ただひたすらこれだけ。「誰か助けて」なんて発想さえも思い浮かばない。何もかもがまずい方向に向かっていくのが理解できる。ドクターや看護師たちが必死に何かを施してくれているのはわかった。
・・・
目の前が霞む。もう「死にたくない」とさえ思わなくなった。あらがうことのできない「死」に向かっていると観念したからだ。ならばいっそのこと、さっさと楽になってしまいたい……。その瞬間のことだった。
あ、終わっ…………ブツッ
真っ暗になった。どこからか、テレビのコンセントを「ブツッ」と引っこ抜いた音が聞こえた気がした。そして世界は、一瞬であとかたもなく消えた。
ところが、ブツッと消えた直後には、またベッドに繋がれているさっきと同じ場面に戻っている。生きるか死ぬかの瀬戸際のシーンに。それはちょうどDVDの再生中にリモコンボタンを押してチャプターの先頭に戻るのに似ていた。
あれ?この場面、見覚えがあるぞ。
・・・
つい今しがたの死んだときの記憶が残っている。
・・・
そして、さっきとまったく同じタイミングでまた容態が急変する。
・・・
「先生を呼んで!」
機敏に駆けまわる医療スタッフ。
しかし、このときの俺、つまり「今この世界に存在している俺」には、さっきのような恐怖がなかった。いや死ぬほど苦しいのはさっきとなんら変わらないのだ。なんたって読んで字のごとく「死ぬほど」だったんだもん。
だけど「死ぬかも」とか「死にたくない」という考えを抱くことがなかった。
生きる生きる生きる生きる生きる生きる生きる生きる生きる生きる生きる生きる!
この世界の俺は、ひたすらに「生きる」にすべての意識を集中させていた。それは「生きる」と自分に言い聞かせていたということではなく、「生きる」以外の発想がまったくないということ。それほどに、当然そうなるという「自分への絶対的な信頼」だったのだろうと思う。
医療スタッフの迅速な処置によって、快方に向かっていくのが感覚的にわかった。助かった、そう確信した。そして今をこうして生きている。
「世界が移行した」
そう感じた。まるで俺が助からなかった世界から、助かった世界にシナリオが書き換わったようだった。
・・・
いすれにしても、俺は助からなかったシナリオの記憶をもったまま、助かったほうのシナリオの続きを今生きているという、生々しい感覚だけは今も残っている。
P201
「ねえ、太一くんの生死を分けた決定的なことってなんだったんだろうね」
「ああ、それはたぶんわかってる。俺が助からないほうのシナリオへと流れていったときは、『生きる』という意識がなかったからだね。ただただ『死にたくない』という恐怖しか湧いていなかったんだ。死にたくないと考えれば考えるほど、尚さらに死ぬイメージを強く抱いてしまっていたんだよね」
・・・
「・・・そして俺が死んじゃった瞬間、また死ぬ直前の同じ場面に戻った。今度はひたすらに『生きる』にすべての意識を集中してた。そしたら、助かった方の世界を今こうして生きている。意識が時空を超えたってことになるのかな。・・・」
「生きる」と「死にたくない」、ふたつは似ているようだけど、ベクトルはまったく反対方向になる。・・・