吉沢久子さんの本で、もうひとつ印象に残ったところです。
吉沢さんのお姑さんの話…98歳の方のお姑さんということは、時代を想像すると余計にすごいなと思いました。
P162
私の姑は外交官の妻でしたから、英語が堪能でした。
そこで、舅が亡くなり私たちと同居するようになってから、英語を教えるように勧めたのです。
最初は「もう七十五歳だし、私なんか……」と尻込みしていた姑でしたが、私と夫で説得して我が家で教室をはじめてみると、楽しくなってしまったようでした。ある日、
「私の英語は五十年前のロンドンで身につけたものだから、今はどんな言葉が使われているのか、実際にロンドンへ行ってみたい」
と言いはじめたのです。
姑が八十歳になろうとしていたころでした。
私はそのとき、なんて素敵なことだろうと思ったのです。
・・・
そこで、ナース(乳母)として雇っていた人がカナダに住んでいたので、彼女を頼って私と姑で行くことになたのです。
当時、日本人がそうしてカナダへ足を運ぶことが珍しかったようで、またかつての付き合いの関係もあり、あちらこちらのパーティーに呼ばれることになりました。さすがに姑はお手のもので、立ち居振る舞いがとても素敵だったのをよく覚えています。
歳を重ねれば、自分の中に自ずと蓄積されたものに対して、自信もついてきます。これだけやってきた、という実績に満足感も湧いてきます。
しかし、そうして蓄積されたものだけを根拠にして、若い人を批判するような人を見ると、私は姑の言葉を思い出すのです。
現状に満足せず、どんどん新しいことに挑戦できる。
昔取った杵柄に頼らず、もっともっとと前向きになれる。
年齢をものともせず、知らない世界に飛び込める。
その勇気を持つことが大切だということが、私が姑から教わったことの一つです。