マザー・テレサのエピソード

時空を超えて生きる―潜象界と現象界をつなぐ

ひとまずこれで最後です。また少し間をおいて、自分が変わったかな?と思った時に、もう一度読み返したい本でした。
マザー・テレサのエピソード。

P211
 最期の一週間、死を予感したマザー・テレサは、「そろそろ私も神に召されるわ。イエスさまが迎えに来てくださるかしら」と思いました。
・・・
 その彼女がいよいよ最期を迎えるというとき、イエスが来るかもしれないと期待していたところ、現れたのは悪魔でした。それで彼女はヴァチカンに悪魔祓い(エクソシスト)を依頼し、実際にそれは執りおこなわれましたが、悪魔は立ち去りませんでした。マザー・テレサは落胆し、落ちるところまで落ちたそのとき、ふっと悟りがやってきます。
「私は、どんな病気にかかった人であろうが、どんな状態の人であろうが、無条件に受け入れた。たとえ患部から膿が出ていようが、接吻して、看取ってきた。そうか。私が最期にハグをしなければならないのは、悪魔かもしれない」
 そうして、マザー・テレサは悪魔とハグしました。
 キリスト教徒にとって悪魔というのは、私たち日本人には想像できないほどの深い概念を内包するものです。このときのマザー・テレサの覚悟を思うと、いかばかりだったかと想像を絶するものがあります。
 そうして、悪魔は消えました。そのあとにやってきたのは、本当の悟りでした。
「悪魔だと思っていたけれど、やってきたのは真逆の自分だったのね」
 誰から見ても清く生き、権力やお金を忌み嫌っていたという彼女は、権力からの寄付を「そんなものは汚い」と受けとりを拒否したといいます。それはやはり裁く自分がいたからです。清く生きるということのなかに、どこかに否定する自分がいたのです。
 だから最期に反対側の自分がちゃんとやってきました。それが自分には悪魔に見えたけれど、ハグすることができて、本当の統合が起こりました。そうして亡くなっていきました。
 いろいろなケースがあるので一概にはいえませんが、ときとして、自分に襲いかかってくるものは、デフォルメせずにそのまま見る必要があります。そのまま見ることで、統合される場合があるのです。