幸せとか人生とか豊かさとか・・・

笑ってる場合かヒゲ 水曜どうでしょう的思考(1)

 この辺りも印象に残りました。

 

P42

「幸せだなぁー」って思うときって、いろいろあると思うんですけどね。

 ・・・

 私の中にも忘れられない幸せなときってのがありましてね。うちは三人子供がいるんですけど、一番下の子が幼稚園で、上の二人が小学校ぐらいの時でしたかね。秋の日曜日。子供たちはどっかに出かけたかったんでしょうけど、雪虫も飛び始めて、そろそろ庭の木を冬囲いしなきゃいけなかったんで、カミさんと二人で軍手をはいて、今日は庭仕事しようってことになったんです。

 準備しながら子供たちに声をかけてね、「おーい冬囲いするから手伝えー」って。でも子供たちはテレビに夢中でね、「うーん」なんて生返事だけでちっとも動こうとしないんですよ。

「まったくしょうがねぇなぁ」なんて言いながらも、まぁ実際のところおとなしくテレビを見ててくれた方が仕事ははかどるんで、別にそれでよかったんですけどね。

 ・・・

 どのくらい時間が経ったんでしょうかね。黙々と作業をしてたら、なんだか視線を感じて家の方を見たんですよ。

 そしたら、いつからそうしてたのかはわからないんだけど、窓辺に子供たちの小さな顔が三つ並んでてね、ニコニコとこっちを見てるんです。

 ・・・

 カミさんも気付いたらしく、二人で作業の手をとめて窓辺に並んだ子供たちの顔を見てたら、三人がうれしそうにこっちに手を振るんです。小さな手を振りながら「見てたよー」って。その瞬間「あぁ幸せだなー」って思ったんですよね。

「幸せだなぁー」って思う時って、それはたぶん、瞬間なんですよ。時間にしたら一分もないぐらいの瞬間。でもそれで人はじゅうぶんに幸せを感じられるんですよね。

 一番上の子は、もう来年社会人になります。一番下の子も、もう高校生です。

 みんな、あの秋の日の一瞬のことなんか覚えてないんでしょうけど、でも、私はあの日、窓辺に三人の顔が並んだあの瞬間を思い浮かべるたびに幸せな気持ちになれるんです。

 幸せって、きっとそんなことなんだろうなって思います。

 

P80

水曜どうでしょう」の企画で四国八十八ヶ所を回ったことがあります。・・・

 ・・・

 ・・・ぼくらは結局三回も四国八十八ヶ所を回りました。そして今でもまた回りたいと思ってます。不思議なものです。

 三回も同じところを回っていると、好きなお寺さんや好きな風景が出てくる。「またあそこに行きたいな」と思ってしまう。そのためだけに同じことを繰り返したいと思ってしまう。またもう一度、余計なことを考えず、ただ回るだけの作業に没頭したいと思ってしまう。

 四国を回っていて思ったんです。こういう感じで人生を過ごせたらいいなって。最初はハツラツと元気いっぱいで、その後に長く苦しい修行があって、やがてゆったりとした穏やかな日々があって、そしてゆるやかに最後に向かって行く。ただ目の前のことだけを考えて、ただそこにある道を行く。

 でも「もう一度行きたい」と思えば、すぐにでもイチから始めることができる。よく「人生は一度きり」とは言うけれど「そんなに焦りなさんな」「また始めたいと思うのならスタート地点はすぐそこにありますよ」って、そういう優しい言葉を掛けてくれているような気がしたんですよね。

 四国八十八ヶ所、これは本当にオススメです。

 

P161

 僕はテレビ局の社員ですから基本的には番組を作って放送していればそれでいいんです。でも「水曜どうでしょう」という番組は本当におもしろくて、放送するだけじゃなくDVDという記録媒体に残しておきたくなった。

 ・・・

 番組関連グッズも、まず最初に「作りたい」という衝動があって、でも売れなければ困るから、盛んに番組のホームページなどで宣伝活動をする。そうするうちに「金儲けのためにいろいろ作っている」みたいに言われることもありました。でもそれはまるっきり逆なんです。DVDもグッズも「作り続けるために金儲けをしている」のです。

 ・・・

 世の中には「お客様の要望に応えて」作り出されたモノがたくさんあります。それはモノ作りの基本で、正しいことです。「作りたいから作ったモノ」でも、必要とされていないならば誰の生活も豊かにはしません。

 でも、「今こういうモノが売れてます!」みたいなマーケティングに踊らされて、それを「お客様の要望に応えて」という言葉にすり替えて、作り手の愛情が注がれていないモノが世の中に溢れていないでしょうか。「何はともあれ安さ!」という行き過ぎたコスト意識が、作り手にも客にも蔓延し過ぎていないでしょうか。それこそが「金儲けのためにやっている」ことに他ならず、作り手も客も豊かさを逆に失っているように思います。

「客が喜ぶモノを作る」のではなく「作り手が自信を持って作ったモノが客を喜ばす」ことの方が、双方の生活を豊かにし、それが最終的にお金儲けにつながる。僕はそう思っているんです。

笑ってる場合かヒゲ 水曜どうでしょう的思考

笑ってる場合かヒゲ 水曜どうでしょう的思考(1)

水曜どうでしょう」のディレクター藤村忠寿さんのエッセイです。

 藤村さんが大事だとか、いいなと思うことは、なにか心に響きました。

 

P21

 先日、萩本欽一さんと一緒に食事をする機会があったんです。あの「欽ちゃん」ですよ。「今テレビでおもしろいことをやっている人と話をしたい」ということで、「それなら藤村くんたちでしょう」と、ある人が僕と嬉野さんを紹介してくれたんです。

 ・・・

 聞けば欽ちゃんは、たまたまテレビをザッピングしてて「水曜どうでしょう」を見たことがあったらしいのです。「なんだろうコレ?」と気にはなっていたと。「北海道におもしろい番組がある」という噂もチラッとは聞いていたと。

 そして今回、僕らと会うことになって初めてDVDをちゃんと見て「あー!この番組かぁ!」って、ようやくすべてがつながったらしいのです。その感想が・・・「キミたちはテレビのこと本当に好きなんでしょー」っていう言葉で、それはテレビマンにとっては最高の褒め言葉で。

 そして欽ちゃんは席につくなり「あの番組はさぁースタッフと出演者が信頼し合ってるのがわかるんだよねー」「あの番組はさぁー勇気があるんだよねー」「あの番組はさぁー東京の笑いなんだよねー」と続けざまに「水曜どうでしょう」の本質を突いた言葉を簡潔に語ってくれて。

 それから僕はずっと欽ちゃんの隣で話を聞いて、バカ笑いをして、欽ちゃんは僕の隣で身ぶり手ぶりを交えながら、ほとんど食事にも手を付けず、ウーロン茶二杯だけでなんと!四時間も話し続けて。それは七十歳を超えた人とは思えない熱情で。

「そうなんだ、この人の熱情が日本のバラエティーを作ったんだ」って心から思えて……。あーもう全然!文字数が足らない!

 次回も欽ちゃんと食事をしたときのことを書かせていただきます!

 

「欽ちゃんと一緒に食事をしたときの話」二回目です。

「キミには師匠みたいな人はいるの?」って聞かれたんです。「いないですねぇ」って答えたら、欽ちゃんは「ボクの師匠はハトなのよ」って言うんです。鳥のハトですよ。

「窓の外にハトがいてね、もっと近くで見たいと思って……」。それで窓に近いところにエサをまいてハトをおびき寄せたんですって。そしたらある日、目の前までハトがエサにつられてやってきて、欽ちゃんとバチっと目が合ったんですって。

「ハトはびっくりしたと思うよー。でも、うわぁ!って驚かないんだよね。ボクの顔をじっと見ながら、そのまんまパクパクとエサを食べ続けて、それからなんとなーく離れていったんだよね」「本当はものすごく驚いてるくせにさー、しらばっくれてパクパクやってんだよねー」「役者がさ、驚いた芝居をするとすぐにうわー!ってのけぞるじゃない。それよりもボクを見て、どうしていいかわかんなくなってエサを食べ続けてるハトの驚き方のほうがおもしろいよねー」

 そう言って欽ちゃんは、僕の前でハト師匠の驚き方を実演してくれました。僕が「欽ちゃん!」と大声で言うと、欽ちゃんはサッとこっちを向いて、表情のない顔で口だけパクパクさせながら僕をじっと見るんですよ。しばらくミョーな間があって、無言のままサッと顔をそらす。「ちょっと欽ちゃん!」ってまた言うと、おんなじことを何回でもやってくれまして、もうそのたんびに笑い過ぎ、しまにはお店の人に「他のお客様もいらっしゃいますのでもう少しお静かに」なんて、欽ちゃんと二人で怒られちゃったりして。

 ・・・

 欽ちゃんは、初めて会った僕らに、そういう話をたくさんしてくれました。僕も、自分なりの番組に対する考え方を話しました。すると欽ちゃんはね、僕にこう言ったんです。

「そういう考え方をボクも知っていればなぁー!もっとおもしろいことができたのになー」って。

 こっちはもうその言葉に感動してしまって。欽ちゃんは、お笑い界の大御所なんかではなく、今も前のめりでおもしろいことを考え続けている人でした。

 僕の心は今やすっかり欽ちゃんファミリーです。

成瀬は天下を取りにいく

成瀬は天下を取りにいく 「成瀬」シリーズ

 

 いつもお世話になっている方の出身校が、この小説の舞台になっているそうで、面白いから読んでみて、と貸してくれました。

 タイトルにもなってる成瀬さんが、すごく魅力的でした♪

 小説の一部を紹介してもよくわからないかもしれませんが(;^ω^)、雰囲気が伝わるかなと思う部分を書きとめておきたいと思います。

 

P154

「成瀬さんはいつからかるたをはじめたの?」

「高校に入ってからだ」

 成瀬さんは三回の大会で初段、二段、三段とストレートで上がってきたという。

「きのうがB級デビューだったが、さすがに厳しかった。もっと上を目指すには、美しい取り方を研究しないとだめだな」

 成瀬さんは素振りをするように手を動かした。

「成瀬さんの目標は?」

「わたしは二百歳まで生きようと思っている」

 かるたにおける目標を訊いたつもりだったのに、壮大な目標を聞かされて面食らう。冗談かと思って表情をうかがうが、いたって真剣そうだ。

「さすがに二百歳は……大変そうだね」

 否定するのもよくないかと思い、率直な感想を述べた。

「昔は百歳まで生きると言っても信じてもらえなかっただろう。近い将来、二百歳まで生きるのが当たり前になってもおかしくない」

 成瀬さんは生存率を上げるため、日頃からサバイバル知識を蓄えているそうだ。

「わたしが思うに、これまで二百歳まで生きた人がいないのは、ほとんどの人が二百歳まで生きようと思っていないからだと思うんだ。二百歳まで生きようと思う人が増えれば、そのうち一人ぐらいは二百歳まで生きるかもしれない」

 唐突に、成瀬さんが好きだ、と思った。認めた、と言ったほうが正しいだろうか。もっとそばにいて、もっと話を聞いていたい。このままずっと、ミシガンが琵琶湖の上を漂ってくれればいい。視界の隅で結希人が俺たちの方にスマホを向けているのが見えたが、構っている暇はない。

「成瀬さんは、好きな人いるの?」

 仮にいなかったとして、俺に勝機はあるのだろうか。今日中に広島に還らなくてはならないし、頻繫に会いに来るような財力はない。

「それはつまり、恋心を抱く相手がいるかという質問か?」

「うん」

 成瀬さんは「はじめて訊かれたな」とつぶやき、顎に手を当てて何やら考えている。

「そのような質問をするということは、西浦はわたしが好きなのか」

 我ながらカッコ悪すぎて、奇声を上げて琵琶湖に飛び込みたくなった。回りくどい質問などせずに事実を伝えたらよかった。

「ごめん、なんでもな……」

「この短時間でわたしのどこに惹かれたのか教えてくれないか」

 成瀬さんが俺の目を見て尋ねる。

「だれにも似てないところかな」

 考える前に口から出ていた。少なくとも、これまで俺が出会ってきた女子の中に成瀬さんのような人はいなかった。成瀬さんは「なるほど」とうなずく。

「しかし大津にもわたしに似た人はそうそういないはずだが、好きだと言われたことはない。おそらく西浦に引っかかる何かがあったんだろうな」

 成瀬さんは再び視線を遠くに向けた。もっと気の利いたことを言うべきだったのだろうか。さっきは心地よく感じられた沈黙も、今はじわじわ俺を責めているような気がする。

「一周してきたけど、すごいね」

 結希人が興奮気味にやってきた。助けに来てくれたのか、単なる偶然か。

「西浦にもほかの場所を案内しないとな」

 成瀬さんは何事もなかったかのように立ち上がり、階段に向かって歩いていった。

見ているのは、お客さんと従業員

伊藤忠――財閥系を超えた最強商人

 対談を見た時に親しみやすい方だなと思いましたが、そんなエピソードが載っていました。

 

P347

 岡藤という経営者は臆病ともいえるくらい慎重だ。稼ぐことよりも防ぐことに力を費やしてきた。そして、真面目一方だ。

 自ら朝早く出勤し、細かく書類に目を通す。グループ会社にも足を運んでいく。会社で使う経費を削り、削った金をどこに回したかといえば、それは従業員の生活向上と労働環境の整備だ。

「ガンになって亡くなった社員の配偶者は必ずグループで雇用する」

「ガンで亡くなった社員の子息は何人いようとも大学院までの学費を補助する」

 社員だけでなく家族への対応もしっかりと行う、これほど立派な決断をした経営者は、商社以外を見渡しても岡藤だけだ。

 彼が経営トップになってから12年が過ぎた。会長CEOとしての彼は経営の責任を持ち、かつ社長、役員、従業員に総合商社の経営を教える立場にいる。

 岡藤は人が聞きたくなる身近なエピソードで経営を語る。大阪弁と相まって、彼の言葉はやさしく伝わる。権威主義のかけらも感じない。聞いている者の気持ちを自分に対して問いかけながら語っていく。

 部下の役員や関連会社の幹部には経営を教える。そして、教えているのだが、彼は学ぶ。取材に来た記者からも何かを学ぼうとしている。学ぶことが好きなのだ。

 ・・・

 彼は庶民的な表現で語る。要するに、自分たちは庶民だ、小さな商いをして、こつこつ働いて幸せになりたいのだと言っている。無邪気に幸せを追求する人である。

 彼が見ているのは政界、財界ではない。お客さんと従業員だ。客にも従業員にも尽くしていきたいと思っている。彼はグループ会社に対しても目配りを絶やさない。それは総合商社の仕事が変質したからだ。事業投資がメインビジネスとなり、連結決算になってから、経営トップは伊藤忠本体の業績を上げるだけでなく、関連会社の業績もまた責任範囲になった。

 本社の経営トップは関連会社の仕事の中身、業績、そして幹部の行動に至るまで把握し、アドバイスできなくてはならないのである。

 繊維、食料から始まって、資源、エネルギー、IT、エンターテインメント…。そうしたすべてにわたって知識を持つことは不可能だ。

 そこで、岡藤は考えた。

 関連会社の数字、業績は見るけれど、細かいところはCFO以下のチームにまかせる。その代わり、岡藤は人間を見る。関連会社のトップの名前を覚え、現場に足を運び、会食をする。接待の設営まで自ら行う。

 岡藤らしさが伝わるエピソードがある。

「いかにグループ会社が大事か。僕は自分が主催して各カンパニーの主要な事業会社の社長や幹部をゴルフに招待してます。豪華賞品を付けて、打ち上げの食事をして、奥さんのためにお弁当まで作って持って帰ってもらうんですわ。

 規模の大きな会社なら20人は呼びます。ゴルフでは5組かそこらになりますな。スループレーでできるところでやるんです。スルーでやって、終わってから都内に戻ってレストランで食事をして豪華賞品を渡す。春になると6回から7回はそんなコンペをやって、僕は必ず出席します。

 賞品も僕が決めてます。だって、ゴルフが下手な人もおるでしょう。下手な人はコンペで賞品をもらったことはないんですよ。それじゃかわいそうやから、下手な人にこそ賞品を上げます。ブービー(最下位から2番目)は2位と一緒。ブービーメーカー(最下位)は優勝と同じ賞品。そういう細かいところまでトップが考えるのが接待なんです。

 僕の接待もまたマーケットインですわ。下手な人の気持ちになることです。

 ゴルフコンペ行くとわかるけれど、ブービーメーカーの人ってだいたい決まってる。そういう人はコンペに来ても、何ももらったことはないんですよ。本当なら来たくないだろうけれど、仕事だから来ている。来て参加するだけだったらかわいそうやから、僕が主催する時は豪華賞品をブービーブービーメーカーにあげるわけです。

 頑張れよということやね。そうしたら、喜ぶんです。生まれてからゴルフで賞品をもらったのは初めてやとうれしそうにしてる。そうすると、次の日からものすごい頑張って仕事をする。利益が出て伊藤忠ももうかる。忠兵衛さんが社員に牛肉を食べさせたり、花見や祭りに連れて行ったのと同じことやないかな、僕がやってんのは」

伊藤忠 財閥系を超えた最強商人

伊藤忠――財閥系を超えた最強商人

 栗山元WBC監督と岡藤正広さんの対談を見て、興味を持って読みました。

 絶対他力の話や、人材登用のポイントなど、印象に残りました。

 

P40

 持ち下りを始めた忠兵衛はのちに数多くの従業員を雇うようになるが、当初の従業員はむろん地元の人間だ。近江出身の彼らはいずれも文字の読み書きと算術ができたからだった。

 忠兵衛は当然のこととして受け止めていたが、それは地元の湖東地区には武士階級以外で識字能力のある人材が豊富にいた結果なのである。

 交通の要路、産物、商業ノウハウの蓄積、識字能力は近江商人が生まれる背景だ。

 さらに、もう一つの理由がある。

 それは、近江人の特質を形作る要素でもある浄土真宗の信仰だ。

 作家の司馬遼太郎は著書『街道をゆく 24近江散歩、奈良散歩』(朝日文庫)で「かつての近江商人のおもしろさは、かれらが同時に近江門徒であったことである」としている。

「京・大阪や江戸へ出て商いをする場合も、得意先の玄関先でつい門徒語法が出た。

『かしこまりました。それではあすの三時に届けさせて頂きます』というふうに。この語法は、とくに昭和になってから東京に滲透したように思える。明治文学における東京での舞台の会話には、こういう語法は一例もなさそうである。」

「日本語には、させて頂きます、というふしぎな語法がある。

 この語法は上方から出た。ちかごろは東京弁にも入りこんで、標準語を混乱(?)させている。

『それでは帰らせて頂きます』。『あすとりに来させて頂きます』。『そういうわけで、御社に受験させて頂きました』。『はい、おかげ様で、元気に暮させて頂いております』。

 この語法は、浄土真宗真宗門徒本願寺)の教義上から出たもので、他宗には、思想としても、言いまわしとしても無い。真宗においては、すべて阿弥陀如来―他力―によって生かしてただいている。三度の食事も、阿弥陀如来のお陰でおいしくいただき、家族もろとも息災に過ごさせていただき、ときにはお寺で本山からの説教師の説教を聞かせていただき、途中、用があって帰らせていただき、夜は九時に寝かせていただく。

 この語法は、絶対他力を想定してしか成立しない。それによって『お陰』が成立し、『お陰』という観念があればこそ、『地下鉄で虎ノ門までゆかせて頂きました』などと言う。相手の銭で乗ったわけではない。自分の足と銭で地下鉄に乗ったのに、『頂きました』などというのは、他力への信仰が存在するためである」

 

 忠兵衛は、親鸞が唱えた絶対他力こそ自分が信ずる道と決めた。浄土真宗を信仰することが人間として当たり前のことと受け止めていた。

 阿弥陀如来という大きな力のおかげで生かしていただいているから、自分の商いは世のため人のためでなくてはならない。

 忠兵衛も含めて当時の近江商人が行商に出かける際にはご本尊の阿弥陀如来の小さな御絵像(掛け軸)を巻き納めて荷物の上に置き、定宿で御本尊を掛けて、朝と夕べに勤行したという。

 浄土真宗の教えは忠兵衛に倫理的な信念を植え付けた。節約、勤勉、誠実といった彼の美点は門徒として日々、信仰に励んだから育まれたものだった。

「商売は菩薩の業」

 彼の座右の銘だ。

 忠兵衛という人は倫理的、内省的な人で、従業員にもそれを要求した。彼は創業のころから世間に対して謙虚で、社員にやさしく対したのだった。

 

P62

 二代忠兵衛が洋行で得たもっとも大きな財産は井上準之助との出会いだった。本人自身が「井上さんと出会ったことが後半生を決めた」と語っている。

 二代忠兵衛にとって生涯の師となる井上は、浜口雄幸内閣(1929~31年)の大蔵大臣として金解禁を断行し、結果として不況を引き起こしたとされる人物だ。

 ・・・

 その井上がニューヨークに駐在していた時代、二代忠兵衛はイギリスへ向かう前に立ち寄っている。

 ・・・

 井上は忠兵衛がやってくると、人生や生活についてアドバイスをした。そして、折を見て、仕事についても忠告した。

 ・・・

 ニューヨークをたってロンドンに向かう前、二代忠兵衛は井上から「人生でもっとも大切な指針」を得ている。それは人事の要諦だった。

 人の抜てきでは「人格を重んじる」のが世間一般の常識とされているが、井上は違った。

「人格者を重用するな」と伝えたのである。

 二代忠兵衛は言葉の意味を測りかねた。

 井上は答える。

「君の人物評定は大体正しい。その半面、感情が非常にきつい。感激性が強いのと、正義を愛する精神から少しでも曲がったやつを排し、人格者を重用したがる性格がよく見える。しかし、それはどうかな。

 能力と人格が並行する人もあるが、そうでない場合もままある。ことに君のような古い家では老番頭のなかには『命をかけて』などという人もいるはずだ。それはまことに迷惑な話だ。一方的な見方で物事を処理してはいけない。俺が君に言いたいのは、人格者ばかり使ってはいけないということだ」

 井上が例に示した「人格者」とは忠義一途で店のためならどんなことでもやる人間、そして、店よりも伊藤家に奉公している気分でいる人間という意味が含まれている。

 実際的であり本音の助言だった。現代の経営者が聞いたとしても、内心、うなずく話ではないか。

 二代忠兵衛はよほど印象に残ったとあって、「一生のうちでもっとも強い言葉」と回想録に記している。

 イギリス留学の後、帰国してから、二代忠兵衛はこの指針に従って、部下の人事を敢行し、「数年のうちに、旧形式の人がほとんどいなくなった」。

 二代忠兵衛が引退させたのは、何かあればすぐに「先代はこう言った」と創業者を持ち出す幹部だった。

 そうしたことを考え合わせると留学の成果は事業の拡大につながっただけではなく、組織における人材の登用に関する哲学を得たことだった。

トイレはサステナブルなのか?

カオスなSDGs グルっと回せばうんこ色 (集英社新書)

 糞土研究会「ノグソフィア」なるものがあったとは、初めて知りました。

 思想をちゃんと行動に移して実践されているのが、すごいことだなと驚きました。

 

P189

 トイレは「サステナブル」なのか?

 SDGsが掲げる一七の目標の中には、こんなものがあります。

「安全な水とトイレを世界中に」(目標の六番目)

 ある意味で、これはSDGsの抱える矛盾を象徴するような目標だと私は思っているのですが、なぜそんなふうに考えるのかわかるでしょうか。

 私たち日本人は、もはやトイレのないところでは暮らせません。・・・

 ・・・

 しかしその一方で、「トイレなんかいらないよ」と言いたい人たちもいるかもしれません。近代文明の常識が、世界中に通用するとはかぎらないでしょう。

 そもそもトイレや下水処理施設などが必要になったのは、人間が増えたからです。大昔の、人が少なかった時代は、トイレなど不要でした。そのへんの空き地で用を足していればすぐに土に還ったでしょうし、畑の肥やしとして活用することもできたわけです。いまもそうやって暮らしている人たちに近代的な最新型のトイレをプレゼントしても、どうしてそんなものが必要なのか、意味がわからないかもしれません。

 しかも、そういう暮らし方はまさに「サステナブル」です。人間が食べて排泄したものが土に還って植物を育み、再び人間の食糧を生み出してくれる。自然な環境を守るというなら、これに勝る好循環はありません。

 ・・・

 ちなみに日本には、そんなトイレ文明に背を向けて「糞土師」を名乗り、野糞術を追求する写真家がいます。茨城県出身の伊沢正名さんという方です。

 彼が代表を務める糞土研究会「ノグソフィア」のウェブサイトによると、一九七〇年、二〇歳のときに自然保護運動を始めた伊沢さんは、動植物の死骸や糞を分解して土に還し、新たな命に蘇らせる菌類の働きに興味を持ちました。そして、屎尿処理場建設に反対する住民運動の身勝手さに憤りを感じ、一九七四年から「信念の野糞」を始めたといいます。処理場に反対するならトイレを使うべきではないだろう、というメッセージを込めていたのでしょう。それから二五年後の一九九九年には、年間野糞率一〇〇パーセントを達成したというのですから、大変なことです。

 あまりにも極端な例ですから、ほかに真似のできる人は(少なくとも日本のような先進国には)いないだろうと思います。でも、本気で「サステナブル」な循環を突き詰めると、こういう行動こそが正しいということになる。これに比べたら、SDGsのいう持続可能性など、まさに上っ面だけの欺瞞に満ちたキレイゴトにすぎません。

 菌類の働きに魅せられた伊沢さんは、のちにキノコ写真の大家としても有名になりました。キノコは「森の掃除屋」とも呼ばれる存在。二酸化炭素を吸った植物が生成した有機物を、森の中で最後に分解して水と二酸化炭素に戻すのがキノコだと言われています。自然界の循環を仕上げる立役者のようなものでしょう。

 地味な存在でありながら、森の生態系にとっても重要な役割を果たすキノコは、多くのアーティストの興味を引くようで、キノコをモチーフにした作品も多くあります。私も、そんなアーティストがつくったキノコ型のブローチをひとつ持っていて、SDGs関連のイベントのときなどに、胸につけています。地味な茶色なので、一七色で彩られたSDGsのバッジのように目立つことはありません。

 でも、こちらのほうがよほど「循環」や「サステナブル」の意味をよく表現しているのではないかと思います。あるとき、キノコブローチとSDGsバッジを見比べていた私は、こんな一句を思いついてしまいました。

 

 SDGs ぐるっと回せば うんこ色

 

 SDGsの一七色は、あのバッジのように切り分けて環にすると、とてもキレイに見えます。でも実際は、それぞれの目標が個別に存在するわけではありません。それこそ「安全な水とトイレを世界中に」と「すべての人に健康と福祉を」という目標がお互いに関連しているように、一方で相乗効果を生み、他方では逆に矛盾もはらみながら、人類の持続可能性というコンセプトを軸につながっています。そして、物事がサステナブルであるためには、さまざまな形での「循環」という現象が欠かせません。ぐるぐると回らなければ成立しないのが、SDGsというプロジェクトです。

 ならば、あのバッジ自体をぐるぐる回して循環させたほうが、SDGsの本質が表現されるのではないか。そんなイメージを持ってキノコブローチと見比べていたら、「ぐるっと回すと一七色が混ざって、うんこ色になるに違いない」と思えてきたわけです。

 ・・・

 本書の冒頭でもお話ししたとおり、SDGsは壮大な「キレイゴト」です。・・・その背景には矛盾もあれば、政治的な打算もあります。決して単にキレイなだけではありません。じつは回すとうんこ色になると思ってみたほうが、SDGsと健全なつき合い方ができるでしょう。

 ただし、うんこ色はSDGsの胡散臭さだけを表現するものではありません。・・・うんこは循環のシンボルのようなものです。土に還れば、植物にとっての栄養分になる。・・・

 私たちが呼吸や産業活動によって排出する二酸化炭素も、いわば「うんこ」のようなものでしょう。でも、それは植物にとっての「ご馳走」です。そして植物が「うんこ」のように排出する酸素は、私たちになくてはならない「ご馳走」になる。うんこがご馳走になり、ご馳走がうんこになるという循環によって、地球上の生命はサステナブルなものになっているわけです。

 ・・・

 ・・・SDGsは目指すべきゴールではなく、私たちが生き方を見直すためのスタートラインなのだと思います。

カオスなSDGs グルっと回せばうんこ色

カオスなSDGs グルっと回せばうんこ色 (集英社新書)

 これが正しいとか、あれは間違ってるとかではなく、いろんな視点を持っておくことはやはり大切だな、と思いつつ読みました。

 

P95

 SDGsは、私の理解では「みんなが楽しく幸せに暮らせるようにしよう」という話です。この「みんな」は、基本的に人間のこと。目標の中には生態系の保護なども含まれているので、ほかの生き物のことも念頭には置かれているでしょうが、この「持続可能な利用」も推進するというのですから、海や陸の生き物には人間のための資源という面もある。SDGsの理念である「誰ひとり取り残さない」という言葉は、やはり「人間をひとりも取り残さない」という意味でしょう。

 ですから、人間の自己都合で地球資源の使い方を決めるのが悪いとは思いません。ただ、それを「地球にやさしい生活」といったキレイな言葉で包むことには違和感があります。二酸化炭素が循環してもしなくても地球にとっては痛くも痒くもないのと同様、人類がどう行動しようが、地球は喜びも悲しみもしません。

 地球そのものは、おそらく太陽の寿命が尽きる五〇億年後まで持続するでしょう。その前に小惑星と衝突するなどして崩壊すれば「地球に厳しい事態」と言えるかもしれませんが、広い宇宙では、日常茶飯事としていくらでもそんなことが起きているはず。地球がなくなっても、宇宙という自然界にとっては痛くも痒くもないわけです。

 いずれにしろ、「地球にやさしい生活」という言葉は欺瞞でしかありません。そういうキレイゴトで人間の自己都合を覆い隠すから、ローカルな個別の事情を脇に置いて、あたかも「グローバルな正義」があるように思い込んでしまう。「正義」に目覚めた若者が先鋭化して過激な行動に走るのも、キレイゴトをそのまま素直に受け入れてしまうせいかもしれません。逆に「どうせ人間の都合だ」と思っていれば、無理に自分を追い込んでサステナブル疲れなど感じることもないでしょう。

 前にもお話ししたとおり、地球環境問題が世界で注目されるようになったのは、「二酸化炭素地球温暖化を引き起こす」というハンセン証言がきっかけでした。じつは、それが国際的な重要課題になったのも、純粋な正義感のみに基づくわけではありません。

 というのも、ハンセン証言があったのは一九九八年のこと。米ソ対立による東西冷戦構造が終焉を迎え、ベルリンの壁が崩壊する前年です。

 それまでの世界にとって政治的な最重要課題は、言うまでもなく核戦争の防止でした。米ソ両大国のあいだで核戦争が始まれば、一瞬で人類が滅亡してしまう可能性もあるのですら、これ以上の危機はありません。

 ですから、国際社会を舞台に活動する政治家たちにとっては、いかに東西両陣営の緊張をやわらげるか、あるいは双方が所有する核弾頭の数をいかに減らすかといった問題が何よりも大事でした。・・・

 しかしハンセン証言が行われたとき、すでに東西冷戦は終わろうとしていました。ソ連ゴルバチョフ書記長と米国のレーガン大統領が首脳会談を重ねることで、東西の緊張緩和が一気に進んだのがこの頃です。・・・

 これによって、それまで核軍縮などに取り組んでいた多くの政治家が重要な活躍の場を失いました。そんな彼らが「次の国際的な課題は何だ」と新たな仕事を虎視眈々と模索していたところに浮上したのが、地球温暖化問題です。・・・国際社会がグローバル化に向かおうとしているときに、まさにグローバルな課題が出てきた。このバスに世界の政治家たちが一斉に乗り込んだことで、地球温暖化は国際社会の重要課題となったわけです。

 大学で地球科学に取り組んでいる私たち研究者は、当時、急に地球環境の話が政治問題になったことに戸惑いました。大気中の二酸化炭素濃度が高まっていることは、もちろん知っています。でも、それによって地球が温暖化するかというと、たしかにその可能性は高いように思われるけれど、それほどでもないかもしれません。確実なことは誰にもわからないのです。

 したがって、仮に人間による二酸化炭素の排出をすべて止めたとしても、それによって気温がどう変化するかはわかりません。地球の気候はきわめて複雑なシステムなので、何が気温の変動要因なのかを突き止めるのはとても難しい。「人間が二酸化炭素排出量を減らせば気温が下がる」という単純な話ではないのです。

 ・・・

 地球はこの一〇〇万年くらいのあいだ、氷期間氷期を約一〇万年サイクルでくり返してきました。そのサイクルがどうやって決まるのかはいまだに謎ですが、その一〇万年のうち、間氷期は一万~二万年しかありません。現在の間氷期は、すでに一万年ほど続いています。そのため一九七〇年代までは、そろそろ氷期になってしまうのではないかと言われていました。温暖化ではなく、寒冷化が心配されていたのです。

 もちろん、一〇万年サイクルがいつまでもくり返されるという保証もありません。・・・過去には温暖な状態が長く安定していた時期もありました。直近では、一億年ほど前の恐竜がいた時代がそうです。

 ・・・

 どちらにしても、現在の間氷期の気候が何万年も続くことは期待できません。現在の気候は決してサステナブルではないので、この状態が「地球の正しい姿」と思うことは危険です。

 しかし、どうなるかはまだ誰もわかりません。そういうタイムスケールの気象メカニズムを理解するには、海の深層対流のことを知る必要があります。

 ただし、一〇年や二〇年の観測ではその影響を知ることはできません。グリーンランドで冷たい海水が深層に沈み込み、それが地球を一周して戻ってくるまで、一〇〇〇年もかかります。つまり、その対流が一周するあいだに気象がどのように変化するかは、まだ一度も確かめられていないということです。・・・