社会を変える学校、学校を変える社会

社会を変える学校、学校を変える社会

 大事だなーと思うお話ばかりでした。

 

P19

植松 麴町中では、多くの学校では当たり前にされている、先生が生徒にやたらと「勉強をしなさい」とか、そういうこともあえて言わなかったんですよね。

 

工藤 はい。子どもは主体的な存在ですから、本当は誰かに言われなくても、自分自身が興味があることや、やると決めたことには取り組むんですよね。でも、中学1年生段階ですでに主体性を失ってしまっている子どもたちにはそれを取り戻すための「リハビリ」から始めないといけないことがあります。

 特徴的な一例を挙げると、数学の授業でほとんどの生徒たちはタブレットのAI型教材で自由に自分のペースで学ぶ形を取っていたのですが、中学1年生ぐらいだと全く勉強する気がない子どもたちが何人もいるんです。

 ・・・

 ・・・たった一人だけいつまで経っても、やらない子がいたんです。・・・しかし、7カ月が過ぎた頃のある日、ついにその子がやる気になったんです。人が変わったように猛烈なスピードでタブレットでの学びに取り組み始めたんです。結局、その子はたった1カ月半程度で1年分の内容を終えてしまいました。・・・

 長い時間がかかりましたが、この子の忘れていた「学びたい気持ち」を復活させるのに、約7カ月という時間が必要だったのだと思います。後から調べて分かりましたが、こうした「教えない授業」によって、数学は学習指導要領が定める標準的な時間よりも短い時間で全員が学ぶ内容を終えて、しかも、点数はそれまでより良かったのです。

 特に興味深かったのは、「先生が教える授業」では、「先生の教え方が悪い」と文句ばかり言う子どもたちが、「教えない授業」をすると、自らの意思で先生に質問して、「先生ありがとう」と感謝するようになったことです。自律することこそが、学びの基本だと改めて思いました。

 

P26

植松 ・・・なぜ大卒や大学院修了の人たちではなく、高卒人材を採るのかというと、僕が大卒理系を採らないと決めているからです。その理由は、僕は大卒理系にあまり魅力を感じないからです。

 ・・・

 ・・・彼らの多くは失敗を避けようとして、習った知識の範囲から出ようとしないことがあるからです。・・・

 ところが、高卒文系の子たちは、どんなことでも「どうやればいいんですか?」と聞いてきます。そしてトライして失敗します。でも、失敗から多くを学んでくれて、やがては「できなかったこと」が「できた」になっていくんです。その時の彼らの顔は輝いています。その笑顔を見ると、僕も幸せになるんです。

 ・・・

 時々、「なぜ、そんなことができるようになる社員が多いの?」と聞かれることがあるのですが、僕は、その答えは、「放置しているから」だと思っています。ほったらかしておいても、周りの社員と連携して、できるようになってくんですよね。そんな僕の会社が気を付けていることが五つあるんです。それは、

 

①部と課と役職がない

②ノーペナルティ

ベーシックインカム

④目標稼働率は30%

⑤やりたいことをやろう

 

です。

 僕は、会社と社会は相似形で、会社は社会を映すものだと思っています。もしかすると僕はこの会社で、僕が希望する社会の実験をしているのかもしれません。僕は会社の仲間に幸せになってほしくて、自分が幸せになるためには、周りのみんなも幸せにならなければいけないことを理解してほしいとも思っています。

 ・・・

 ・・・日本のさまざまな会社は今「社内に使える人がいない」と言って、とても苦しんでいます。・・・会社で人材育成がうまくいっていない理由は、現在の日本の受験の仕組みが関係しているのではないかと思っています。・・・

 これを変えるためには、まず「大学に行けば何とかなる」「大学に行かないと就職先がない」という常識を打ち破ることが効果的なように思います。

 ・・・もちろん、大学は「学びたいこと」や「自ら学ぶ意欲」がある人にとっては素晴らしく能力を高めてくれる環境だと思っています。でも、学歴という他者評価のためだけに行くには時間とお金がもったいないです。

 そこで、こうしたシステムを変えるためには企業が採用条件から「学歴」を外せばいいと考えています。外すだけですから、学歴があってもなくてもかまいません。・・・

 

P35

植松 ・・・残念ながら今の日本では、「違う」は「おかしい」と言われます。・・・

 ・・・

 でも、人口が減っている今では、・・・言われたことを言われた通りにやる仕事はどんどん自動化されています。残念ながら、人口増加期の「成功の秘訣」は、ほぼ全てが「負ける秘訣」になってしまっています。これからは、新しい仕事や価値を生み出す仕事をしないと、かなり厳しいです。

 ・・・

 大人は、自分が経験した進路指導が古くなっているという可能性を自覚すべきです。20年前の常識で行動している人が多いです。大人こそ、積極的に現実の社会を見て、常識や教育をアップデートする方がいいと思います。

にぎやかだけど、たったひとりで 人生が変わる、大富豪の33の教え

にぎやかだけど、たったひとりで 人生が変わる、大富豪の33の教え

 たしか前に読んだような・・・と思ったら、4年前に読んでました。

 なんとなく再読したくなったので、今回印象に残ったところを書きとめておきたいと思います。

 

P42

 仕事は選べるもんじゃない。そりゃ好きな事にこしたことはないけど、まず、好きな事っていうのは嫌いになる可能性を一つ持っています。男女交際もそう。好きな事っていうのは、意外と続かなかったりするんやけど、「出来ること」とか「やってきたこと」は「出来ない」がない。

 果たして日本は「好きな事」ばっかりで職人を生んできただろうか?みんなが田植えが好きとは到底思えん。親父がやってるから、自分がこれを継承せな、次に残さなならんと努力を惜しまなかったんや。自分の為やなかった。好きな事っていうのはまさに自分の為で、そんなことが果たして残っていくんだろうかと思います。

 

P123

 ・・・童心に返るとか、リミッターを外していく。リミッターを外したり、感情を取り戻すのにいい場所がある。例えばね、一人でちょっと自然の人気のないとこ行って、河原で魚でもザリガニでもなんでもええねん。昔相手にしてたことを、もう一回相手にしてみてください。それでもう外れていくから、どんどん。童心にも返るし、リミット外れると思うよ。

 子供の時平気でちぎっとったザリガニの腕が、今日もうちぎれない。僕出来るわ。余裕や。

 やらかしたという感情がもう一回自分の中で芽生え始めるから。しもうたと。小さい殺生でええねんで。でっかい殺生したらあかんで。・・・そうしたら自分の中で沸々と大きく湧いてくるのが、やらかしたという感情ね。その感情があまりないので、近年の人には。やらかしてごらんよ。そしたら、もっと表情とか感情が豊かになるはずで、えらいことしてもうたっていう。えらいことしてみるんやって。そのために自然を置いてくれたんや。相手も本気、こっちも本気や。命を頂くという尊さをもう一度きちっと噛みしめる必要があると僕は考えてる。

 釣り人っていざとなったらものすごい優しかったり、いろいろ応援してくれる人がたくさんおる。

 殺生続けてるからだと思うな。でもそれは、家族の為だったり、生活の為だったり、生きるということを、本当に考えてる人なんやな。

 ・・・

 リミッターが外れた人というのは自分が薄まった状態にあります。

 リミッターが外れない人間は自分の命を大切にします。例えばね、自分の考え方を最重要視します。とにかく自分が大切です。この状態から遠くかけ離れた人、これがリミッターの外れる状態。

 だから僕には元々、自分がないので。人のことばっか考えてます。いっつも。お前なんか食うたんか。自分がなんか食うてようが、いまいが関係ない。自分の腹積もり分かってるのは自分なので、そんなものは後まわしで、何ぼでも辛抱のきく人やから。なんやったら、冬の間冬眠したろうかなくらいの(笑)。人に尽くし続けることで、成熟と成果をうむ。豊かになる。

 自分とこは刈り取ったさかいに、人のところはどうでもいいじゃなくて、刈り取ったものの、まだ元気も勇気もあるもんで、あのじいさんとこに行ったろうかな、たぶん一人でやっとるで。そしたらみんなで押しかけて、手伝うたんやな、これが我々です。尽くし続けたら、豊かさがやってくる。オートマチックやったんやな、なんと。

 ・・・

 追い風も向かい風もあんまり感じることはない。運ぶという考え方に変えたほうがいいかもね。「運」というよりも、「運ぶもの」やっていう。必ず相手があるので、運って考えたら自分に向いてるので。僕、自分中心の考え方が苦手。「運」っていうのは、どっちかって言ったら、自分の得や利益考えた時に出てくる言葉で、相手がある時には相手に利益を「運ぶ」という。だから同じ言葉でもどっちもある場合があるねんね。だからそういうとり方を常にしてきたように思います。とにかく相手があるほう、相手があるほうにとってきた気がするね。

 ・・・

 ・・・より多くの人の為になるだろう。より多くの人の心に残るだろう。まあ、そういうことを意識したらええんちゃう。そうやるとツキが回ってくる。

 どんどんくる。

 あのね、幸せっていうものは人が運んでくるもので、自分自身が構成出来るものではないということを、まず認識しないとダメなんや。

 残念やけど、そういう事なんや。人が運んでくるんやもん。全部普通にきれいな海も、青い海も、見て幸せだなって感じることは、僕たちの先人が残してくれたこと。それは手塩にかけたり、必死の思いだったかもしれませんねってことを、汲み取る人間がどれくらいいてるかなってこと。

 僕思うねんけど、同じ分野とジャンルの人達で、銘柄が違うのいっぱいあるよね。

 例えばパナソニックソニー。自分の事しか言いよれへんわな。ところが、パナソニックがある日突然、電通を介してソニーのコマーシャルうってみ、世界のソニー、素晴らしいよって、パナソニックが言うてみ。えー?合併したのか、こいつらって。何にもしてませんよ。さあ、ここから一気に微笑ましさを取り戻せると思わへんか。ソニーが次、どんな広告うつのか、パナソニックの。そんなのが日本やったら、天下取るって話や、もう一回、世界で一番になりよるよ。

 

P162

 ・・・僕はね、自分の事を自分で選んだことがないねん。どれ着たらええって聞いてみたり、アイスクリーム屋さんいくやん。アイスクリームがたくさんあるやん、カラフルに。サーティワンでもなんでも、そしたらお姉ちゃん、どれが美味しいの、私これが好きって言ったら、じゃあこれって言うから。自分何にも選ばへん。ほぼほぼ選ばへんよ。あそこに書いてあるやん。従順・一途・裏切らない。従順や、僕は。知らん人に従うよ。

幸せでも不幸せでもない、と感じている人の比率がもっとも高い

生き心地の良い町 この自殺率の低さには理由(わけ)がある

 自殺率が低い=「幸せ」と感じている人の比率が多い、という訳ではないという調査結果は、なるほどと思いました。

 

P87

 ではここで、これまで述べた海部町コミュニティの特性について理解を深めるために、町の成り立ちと歴史について触れたいと思う。

 江戸時代の初期、海部町は材木の集積地として飛躍的に隆盛した。・・・

 近隣町村はいずれも豊かな山林を有しているのだが、海部町には山林という資源に加えて、山上からふもとまで丸太を運搬するための大きな河川があり、さらには大型の船が着岸できるだけの築港が整備されているという、理想的な地の利があった。短期間に大勢の働き手が必要となった海部町には、一攫千金を狙っての労働者や職人、商人などが流れこみ、やがて居を定めていく。この町の成り立ちが、周辺の農村型コミュニティと大きく異なる様相を作り上げていったことに関係している。海部町は多くの移住者によって発展してきた、いわば地縁血縁の薄いコミュニティだったのである。

 ・・・

 町の黎明期には身内もよそ者もない。異質なものをそのつど排除していたのではコミュニティは成立しなかったわけだし、移住者たちは皆一斉にゼロからのスタートを切るわけであるから、出自や家柄がどうのと言ってみたところで取り合ってももらえなかっただろう。その人の問題解決能力や人柄など、本質を見極め評価してつきあうという態度を身につけたのも、この町の成り立ちが大いに関係していると思われる。そして、人の出入りの多い土地柄であったことから、人間関係が膠着することなくゆるやかな絆が常態化したと想像できるのである。

 

P180

 海部町とその両隣に接する町を比較した場合、海部町の住民幸福度は三町の中でもっとも低い。つまり、「幸せ」と感じている人の比率がもっとも小さい。

 初めてこの結果を目にしたとき、私は非常に意外な気がした。

 これら三町はいずれも徳島県南部の太平洋に面し、地形や気候、人口分布、産業構造など、共通する特性は多い。一見すれば、非常に似通った三つの田舎町に過ぎない。そうした中にあって、海部町の自殺率だけが突出して低いということ自体がそもそも不思議だった。

 住民幸福度に関するそれまでの私の漠然とした考えは、自殺の少ない地域では幸せな人がより多く、自殺の多い地域では不幸な人がより多い―端的に言ってしまえばそういうことだった。私自身の考えというよりも、このことはある種の通説になっていた。この通説を当てはめるとすれば、自殺率が突出して低い海部町の住民幸福度は、これら三町の中でも突出して高くなければならないということになるが、実際には通説と真逆の結果が出ている。

 分析結果を見ると、「幸せ」と感じている人の比率は海部町が三町の中でもっとも低い一方で、「幸せでも不幸せでもない」と感じている人の比率はもっとも高い。また、「不幸せ」と感じている人の比率は三町中もっとも低かった。

 ・・・

私はこの幸福度に関する調査結果―海部町は周辺地域で「幸せ」な人がもっとも少なく、「幸せでも不幸せでもない」人がもっとも多い―という結果を示して、海部町の住民や関係者たちに感想を聞いて回った。興味深かったのは、海部町民自身がこの結果をすんなりと受け入れ、さほど意外とも思っていない様子だったことである。

「ほれが(幸せでも不幸せでもないという状態が)自分にとって一番ちょうどええと、思とんのとちゃいますか」そう言った人がいた。〝ちょうどいい〟とは、分相応という意味でしょうかと私が尋ねると、その人は少し考えたのちに、「それが一番心地がええ、とでもゆうか」と言い足した。同じようなことを言った人が、ほかにも数人いた。

 なるほど。この人たちの言いたいことが、ぼんやりとであるが伝わってきた。「不幸せ」という状況に陥りたくない人は多いだろうが、では「幸せ」ならよいのかというと、考えようによってはさほど結構な状況でもないのかもしれない。「幸せでも不幸せでもない」という状況にとどまっていれば、少なくとも幸せな状態から転落する不安におびえることもない。そういうことを、この人は言いたいのかもいしれないと思った。

 ・・・

 さらにいえば、「不幸でない」ことに、より重要な意味があるとも感じる。「幸せであること」より「不幸でないこと」が重要と、まるで禅問答のようでもあるが、海部町コミュニティが心がけてきた危機管理術では、「大変幸福というわけにはいかないかもしれないが、決して不幸せではない」という弾力性の高い範囲設定があり、その範囲からはみ出る人―つまり、極端に不幸を感じる人を作らないようにしているようにも見える。

 この考えを海部町のある男性に話したところ、彼は自分の膝を叩くようにして、「ほれ、そこがこの町のいかん(駄目な)ところや」と大きな声を出した。男性は、「そこそこでええわ、と思ってしまう。ほやからこの町には大して立身出世するもんがおらん」と嘆いた。もちろんいないわけなどない、現実には大勢の人が立派に出世しているのだが、彼の言わんとすることは理解できる気がする。私も薄々気づいていたのだが、海部町の人々には執着心というものがあまり感じられない。艱難辛苦を乗り越えてでも、という姿をイメージしにくいのである。

いろんな人がいてもよい、いろんな人がいたほうがよい

生き心地の良い町 この自殺率の低さには理由(わけ)がある

 この辺りも印象に残りました。

 

P81

 海部町住民のうつに関する意識を垣間見るのに、このようなことがあった。私は、六十歳~八十歳代の女性たち七、八名からなるグループへのインタビューを行っていた。この日もまた話は本題から徐々にそれて、にぎやかな井戸端会議状態となりつつあった。そのとき、ひとりの女性が「そういや、よ」と周りを見回し、

「知っとる?○○さんな、うつになっとんじぇ」と切り出した。

 これを聞いた途端、残りの女性たちは一斉に、「ほな、見にいてやらないかん!」「行てやらないかんな!」と異口同音に言った。うつになったその隣人を、見舞いに行ってやらねば、と言っているのである。

 傍で聞いていた私は、彼女たちの反応が非常に面白かった。

 まず感じたのは、この人たちは、うつになったという隣人に対しそんなふうに接するのかという、ちょっと新鮮な驚き。どうやら、当事者を遠巻きにしたりそっとしておいてあげようという発想はあまりないらしい。さっさと押しかけていくのだ。

 もうひとつ興味深かったのは、彼女たちの「行てやらないかん!」という意思表明が、打てば響くようにほぼ同時に発せられたということだった。あなたはどうするの、お見舞いに行く?あなたが行くならわたしも一緒に行こうかな。私の周囲でよく見られるこうしたやり取りが、ここでは一切省略されていたのである。

「あんた、うつになっとんと違うん」と、隣人に対し面と向かって指摘する海部町の話を他の地域で紹介すると、いつも小さなどよめきが起こる。特に自殺多発地域であるA町での反応は大きかった。うつに対し偏見の強いこの地域では、うつについてオープンに話し合うような状況はほとんどなく、まして本人に直接指摘することなどありえないという。

「ほないなこと、言うてもええんじゃねえ」。A町在住のあるお年寄りは目を丸くしていた。その言葉は明らかにひとりごとだったので、私もあえて取り上げないでいた。少し眺めていると、彼女はもう一度、まったく同じことをつぶやいた。

 ほないなこと、言うてもええんじゃねえ。

 

P94

 ・・・調査結果のデータを数量的分析を行って検討したところ、第二章で挙げた以下の五つが、海部町に特に強くあらわれ、自殺多発地域においては微弱だったり少なかったりする要素であることが明らかとなった。

 

 いろんな人がいてもよい、いろんな人がいたほうがよい

 人物本位主義をつらぬく

 どうせ自分なんて、と考えない

 「病」は市に出せ

 ゆるやかにつながる

 

 抽出されたこれら五つの要素が、コミュニティにおいて自殺の危険を緩和する要素、すなわち、「自殺予防因子」である。

 

P96

 私は調査を開始した当初から、海部町内に住む人々やその関係者から話を聞く以外に、同町の出身だが町を離れて長い年月を経ている人、中でも海部町とは対極に位置するような都会に住む人など、違った角度からの話を聞くべきと考えていた。

 ・・・

 私は、海部町の外から海部町を眺めたときの彼らの心境に関心があった。特に、東京のような国際的大都市に住み始めた当初はどうだったろう。さだめし戸惑い、衝撃を受けたであろうことは想像に難くない。そう思って、私は必ずこの質問をするようにしていた。上京してきたとき、カルチャーショックを感じましたか?

「そりゃあ、感じましたよ」

 どの人も、当然ではないかとばかりに即答した。まず、故郷の人々とは共有できていた常識や価値観が通用しない。たとえば自分が生まれ育った町では、たとえ他人の物であろうと、外に干した洗濯物がにわか雨に濡れるのをただ眺めている者などいなかったが、東京では、近所の留守宅の洗濯物を取りこんだ結果、二度とこのようなことをするなと怒鳴られた。呆然とし、人格を否定されたような気分になった。

 相手によって態度や意見を変えるという方便も、海部町出身の人々にとっては難題だったらしい。上司から「いい大人が、それくらいのことわからないかな」と苦々しげに言われ、深く傷ついた。程度の差こそあれ、誰しもがそうした感覚を体験していた。

「ただ……」と、そのあとに言葉を継ぐ、彼らの述懐が興味深かった。

 私がインタビューした、海部町を離れて長い年月を経た東京在住の人々は、年齢はニ十歳代から六十歳代、男性と女性、サラリーマン、教員、主婦など、さまざまだった。インタビューの日時も場所も違った。にもかかわらず、彼らはそれぞれの表現で、しかしほぼ同じ意味のことを語った。

「ああ、こういう考え方、ものの見方があったのか。世の中は自分と同じ考えの人ばかりではない。いろいろな人がいるものだ」。そう思って納得がいき、徐々に気にならなくなったと言うのである。

 ・・・

 彼らのこの弾力性こそが、海部町が多様性を重視したコミュニティづくりを推進してきた根拠となっているのではないか。もちろん、海部町の先達がこうした因果関係を意識していたとは考えにくく、多様性を認めざるをえなかったという町の成り立ちから、知らず知らずのうちに身につけた処世術であった可能性は高いのであるが。

生き心地の良い町

生き心地の良い町 この自殺率の低さには理由(わけ)がある

 この海部町が、なぜか特出して自殺率が低いことから、何か理由があるのでは?と調査した経緯が書かれています。

 とても興味深かったです。

 

P45

 海部町コミュニティの多様性重視の傾向について、もうひとつ紹介したいエピソードがある。

 小中学校の特別支援学級の設置について、海部町と他町との間で意見が分かれているという話を小耳に挟んだことがあった。特別支援学級とは、知的もしくは身体的に障がいを持つ児童生徒に対し、特別な支援を行うための学級である。子どもたちの諸事情や成育段階に合わせ、異なるニーズに丁寧に対応する教育を目指すとされている。この特別支援学級の設置について、近隣地域の中で海部町のみが異を唱えているというのである。

 ・・・

 ・・・海部町に住む知り合いの町会議員・・・は、特別支援学級の設置に反対する理由として、このようなことを言った。

 他の生徒たちとの間に多少の違いがあるからといって、その子を押し出して別枠の中に囲いこむ行為に賛成できないだけだ。世の中は多様な個性をもつ人たちでできている。ひとつのクラスの中に、いろんな個性があったほうがよいではないか。

 ・・・

 海部町にまつわるこのようなエピソードに一貫してあるのは、多様性を尊重し、異質や異端なものに対する偏見が小さく、「いろんな人がいてもよい」と考えるコミュニティの特性である。それだけではなく、「いろんな人がいたほうがよい」という考えを、むしろ積極的に推し進めているように見えてならない。

 

P50

 ・・・人物本位主義とは、職業上の地位や学歴、家柄や財力などにとらわれることなく、その人の問題解決能力や人柄を見て評価することを指している。

 調査を開始した当初から、海部町コミュニティの特徴として人物本位主義があると感じていた。ただ、なぜそう感じたのかと聞かれると説明が難しい。なんとなく感じたとしか言いようがないのであるが、あえて説明を試みれば、地域住民の尊敬を集める人物にある種の共通点が見られたということだろうか。

 その人たちは一見したところ、ステレオタイプの「重鎮」「ひとかどの人物」の型にはまっていない。初対面の挨拶を交わしただけでは、つかみどころがない場合も多い。たいそう口が重く、大丈夫かなこの人……とやや不安を抱えつつ窺っているようなときも、それは最初の数分だけのことで、相手が私の質問の本質を誤らずとらえて実に無駄のない答えを返してくれていることに気づく。周囲がよく見渡せていて偏りがないことも、彼らに共通していた点である。なぜ彼らが地域で高い評価を得ているか、納得がゆく。

 ・・・

 人物本位主義の傾向は、町の人事にも反映されていた。たとえば海部町の教育長の人選である。

 教育長は町の重役のひとつである。一般的には教育者として長年キャリアを積み、中学の校長を務めるなどしたのちに選任されるケースが多い。だが海部町では違った。これからの教育には企画力が重要であるとの考えに基づき、商工会議所に勤務していた四十一歳の、教育界での経験は皆無という男性が抜擢された。部外者にとってはちょっとしたサプライズ人事であるが、海部町では適材適所を検討しているうちにこうなった、という説明になる。

 今でこそ、教育界以外の民間人を校長に採用する公立校なども出てきているが、海部町のこういった人事は約三十年前から行われていたというのだから注目に値する。こうした方針を町のトップが代々引き継ぎ、年齢や経歴にとらわれない人事が続いていたという話である。

 

P71

<病、市に出せ>

 海部町での定宿である旅館のご主人から初めてこの言葉を聞いたとき、私のアンテナがふるふると揺れた。この町がこの町たる所以を理解するための、パズルの一片を見つけたような気がした瞬間だった。

 ・・・

 ・・・これは町の先達が言い習わしていたという格言である。

 彼の説明によれば、「病」とは、たんなる病気のみならず、家庭内のトラブルや事業の不振、生きていく上でのあらゆる問題を意味している。そして「市」というのはマーケット、公開の場を指す。体調がおかしいと思ったらとにかく早目に開示せよ、そうすれば、この薬が効くだの、あの医者が良いだのと、周囲がなにかしら対処法を教えてくれる。まずはそのような意味合いだという。

 同時にこの言葉には、やせ我慢をすること、虚勢を張ることへの戒めがこめられている。悩みやトラブルを隠して耐えるよりも、思いきってさらけ出せば、妙案を授けてくれる者がいるかもしれないし、援助の手が差し伸べられるかもしれない。だから、取り返しのつかない事態にいたる前に周囲に相談せよ、という教えなのである。

「病、市に出せと、昔から言うてな。やせ我慢はええことがひとつもない」。彼の母親の口癖であったという。「たとえば借財したかて、最初のうちはなんとかなるやろと思て、黙っとりますわな。しかし、どんどん膨れ上がってくる。誰かが気づいたときには法外なことになっていて、助けてやりとうてもどないもできん、ということになりかねん。本人もつらいし、周囲も迷惑する」。

「じゃあこの格言は、リスクマネジメントの発想なんですね」私が言うと、「ほのとおり」。彼は力強く同意した。

私が私として、私らしく生きる、暮らす

私が私として、私らしく生きる、暮らす 知的・精神障がい者シェアハウス「アイリブとちぎ」

 こんなふうな場所があったらいいなー、あぁ現実にあるんだ、よかったなーと思いながら読みました。

 

P101

 生きることに必要な「強さ」ってなんだろう。「びくともしません」「頑丈で何があっても倒れません」というドシンとした印象を思い浮かべてしまうけれど、実はそうではないような気がする。

 風が吹いたら飛んでいってしまうような軽さで、姿カタチをふわっと変えながら進んでいけるようなもの。変わった先では、変わったなりに、そこでの居心地の良さを見つけられる。そんなしなやかさが、本当の「強さ」なのではないか。

 一人ひとりは、障がいがあって頼りないかもしれない。保護者やご家族の方は、自分たちがいなくなった時に幸せに生活していけるのか心配かもしれない。もし長年入院していたとしたら、病院を出たあと、地域で幸せに暮らしていけるのか不安かもしれない。不安や心配ごとはいくらだってでてくる。

 だけど、本当に困ってしまった時は、だれかに助けを求めることができたらいいのではないか。そして、困っている人に対し、自然に手を差しのべあえる居場所があったら、一歩ずつでも前に進んでいけるのではないか。困ったら「困ったよ」と言えて、つらかったら「つらいよ」って言える。それをちゃんと受け止めてもらる。「ここにいたくないよ」って思ったら、違う場所に行けるし、違う場所でも、またチャレンジすることができる。

 一人ひとり、一つひとつは弱いけど、弱さを認めて、むしろ活かしていく。風に乗りながら、姿、カタチ、やり方を変えながら、前に進んでいけることこそが、本当の「強さ」なのだ。アイリブではそんな強さをもちながら生きていくことを「自律」と考えている。

 ・・・

 たとえば、目の前にいる人が困っていたとする。その人にとってはとても難しいようだけど、あなたには簡単にできてしまうようなことだった。なので、さっと手を差しのべてみた。そしたらものすごく感謝され、満面の笑みで喜んでくれた。そんなに喜んでくれるなんて、逆にあなたの方が「ありがとう!」とうれしくなった。そんなあたたかい「ありがとう」の交換が、毎日いろんなところであったらいいな。

「あなたのためにやってあげる」ではなくて「私が」やりたいからやる。「私が」こういう社会がいいなと思うからやる。「私が」望む未来へ向かう手段の一つとして協力したいからアイリブに参加する。「自律」を育んでいける「強くてあたたかいコミュニティ」って素敵だな、と「私が」思っているから、そういう地域社会を「私は」つくっていきたいんだ。

 

P107

「私らしく」っていうのは、人との関係性から生まれると思っています。一人では「らしさ」はつくれない。だからこそ、生きること、暮らすこと、そんな最も自然な営みにおいては、「私らしく」を何よりも大切にしたい。・・・

 ・・・

 世界に存在するのが私ひとりだとしたら、「私らしさ」は存在しない。誰かとの関わり、誰かへの思い、誰かへの感謝や悔しさが、孤独な時間や楽しい時間の私の「らしさ」をつくる。自分が人に劣っているとか、自分だけが浮いている、そんなマイノリティをオリジナルと言い換えて、「ユニークこそ世界だ」と思える社会にしたい。自分自身の「私らしく」に向き合うことが、他人の「私らしく」にも寛容になれるヒントになるのではないでしょうか。

 

P177

 私が人生で出会った障がい者は、「車椅子で酸素ボンベ持って、ヘルパーさんとスペイン行く!」とか、「ハワイで透析受けれるから1週間行ってくるね」とか、片麻痺で歩けなくても「友達と船乗って釣り行くわ!」とか「海外の仕事続けたいから、歩けるようにして、向こうのマンションの住宅改修頼むわ」とか、学校の先生も「ヘルパーさんについてきてもらってトイレ介助お願いする。授業してくるわ」とか「ディズニーランドのレストランでミキサー食お願いした!」とか、車いすで一人で外出してあちこちお手伝いしてもらえる施設探しをしたりとか…。結構、面白いユニークな方が多かったです。

 そこから学んだことこそ、本当の「自律」です。自分の希望のため、ワクワク生きるために、人や物を使う頼る、環境を整える…。そう、自分ひとりでできなくてもそれでいいのです。ワガママ万歳!希望を胸に抑えずだす。そこから自律支援が始まる、と思っています。失敗体験も挫折も自律支援、できないと決めつけてしないより、やってできないことを学ぶ。その経験こそが生きていく力になると信じています。

 アイリブも「自分で暮らすをサポートする」ことをテーマにしているのも、まさに「自立」+「自律」=私らしい暮らし(人生)をサポートできればと思っています。もちろん、「つらいから助けて」「できないから手伝って」と言うことは、恥ずかしいことではなく、そんな自分を見つめてヘルプを言えること!手伝ってもらうこと!も自分で決めたなら自律といえるのです。

やさしい言葉たち

こといづ

 読んでいてやさしい気持ちになる、印象に残ったところです。

 

P68

 変わってゆくとはいえ、生まれてこのかた、ずっと変わらず追い求めている「これぞ我がいのち」と魂がうち震えるような何かが、ある。どこにあるのか、きっと躰の中にあらかじめセットされているような、春がやってきたのがうれしくて村人も山々も笑っていて幸せだなあと、ピアノでも弾いてやれと包み込んでゆくと、音の波と山の精気が混じりあって、魂がうち震えて、これこれこれのこと、と思ったりする。震える魂自体は同じ気がするけれど、震わせられる条件が毎度違う。だから「こうやればいい」という方程式はなくて、だからこそ何度でもピアノを弾いてみたくなる。

 

P221

「あんた、また気張って勉強しとるんかい」、ハマちゃんが仕事部屋の窓越しに中を覗き込んでいる。微笑みながら「そうやで、毎日、ああでもない、こうでもないって音を鳴らしてるんや。元気かい、どうしたん」「あんな、大根なんぞ炊いたんは、あんたはいらんやろ」と少し照れながらハマちゃんが尋ねてくれる。「欲しいで、食べたいで」「そうか、じゃあ取りに帰ってくるわ」と拳をぎゅっと握りしめて駆けっこのポーズを取ったので、「一緒に行こかい」とハマちゃんの家まで並んで歩いた。

「ここからな、ほれな、あんたんとこが、ようやっと見えるようになってきた。葉が落ちてくれて、あんたの家が見える。見えるだけでうれしいもんやで」。冬になると毎回してくれるこの話が、僕は大好きだ。「大根のな、容れもんはこれでいいかい。よう見とみ。なんの形やい」と手渡してくれたのはハート型の容器だった。「そういうこと」と、ニカッと笑うハマちゃんを背に、急な坂を上って家に戻る。

 ふと見上げると、家の上に虹がかかっていて、笑う。

 

P222

 この冬は、久しぶりに映画音楽に取り掛かっている。・・・

 ・・・

 ・・・ある日、ようやく「ああ、これだ!」といとおしいメロディが歓びと共に降ってきた。

 やったあ、よかったよかったと監督にも送ってみたけれど、どうにも反応がいまいちだ。・・・

 ・・・「ここから先、どのように進めればいいと思われますか」と苦し紛れに監督に尋ねてみると、「今まで出してもらったスケッチは一度忘れてもらって、いつもの高木さんの感じでやってもらえれば。『いつもの高木さんで』、それだけを望んでいます」と穏やかな笑顔でおっしゃった。

 あれ?いつもどおりに……、自分の思うままに……、そうやって進めたのがこれまでのスケッチだったのに……???そもそも「いつもの自分」っていったいなんだろうと、ぐるぐる目眩のするような問答の穴に落ちてしまった。

 ・・・

 ・・・思いついたメロディを演奏して、よし、おもしろい感じになってきたかもと、再び監督に送ってみる。「いや、うーん。何かが違うというか。ほんとうにいつもの高木さんのままでやってもらえればいいのですが……」と困っている返答だった。「映画に寄り添い過ぎているのかもしれません。しばらくは僕の言葉を横に置いてもらって、出来上がってきた映像も見ないでもらって。今まで高木さんにお伝えしてきた言葉は、映画に対する僕のひとつの解釈に過ぎませんから。高木さんは高木さんで、映画全体を俯瞰的なところから見てもらって、そこから音を奏でてもらえれば」。

 何かがピンときた。そうか、「いつもの自分らしく」。そういうことか。僕の勝手な思い込みだったり、妄想をそのまま表に出してしまっていいということか。・・・相手に寄り添おうとするのは大事なことだけれど、相手の心と同じになろうとしてしまうと、「自分らしい心」は消えてしまう。相手が赤だと思っていても、こちらが青だと思っていたなら、それでよかったのだ。一緒になれば紫になる。それも単純な紫ではなく、時には赤になったり、赤っぽい紫だったり、真っ青になったり、自在に変化するおもしろい色彩。誰かと一緒に何かを生み出すというのは、そういうおもしろさだなあと、改めて気がついた。

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 もう自分がやるべきことがわかった。音が頭の中で流れ出したので、それを拾っていく、ただただ、こぼれないように受け止めていく。そのメロディが、いいか悪いか、そういうことはわからないけれど、そのまま監督に送ってみる。「ああ、これですよ。欲しかったのはこれです。このまま進めてください」。ほっ、ようやく、はじまった。

 生まれてきた人、それぞれが持ち合わせている「いつもの自分らしさ」、それぞれのきらきらした宝もののような眼差し。それが交わったり離れたり、はみ出していったりしながらも、同じ方向に向かって、待ち受ける未来に辿り着く。・・・

 

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 誰にも知られなくていい、ずっと自分の一番素直な中心から、それと同時に一番遠く自分から離れた宇宙の果てに、その間のどんな時空でもいとおしいような、そんな心でありたい。

 昨日の夜、庭の小川を覗いてみたら、蛍がたくさんふわふわと暗闇を泳いでいた。たくさんの光が一斉にゆったりと瞬いて、大きな呼吸をしているみたいだった。