幸せでも不幸せでもない、と感じている人の比率がもっとも高い

生き心地の良い町 この自殺率の低さには理由(わけ)がある

 自殺率が低い=「幸せ」と感じている人の比率が多い、という訳ではないという調査結果は、なるほどと思いました。

 

P87

 ではここで、これまで述べた海部町コミュニティの特性について理解を深めるために、町の成り立ちと歴史について触れたいと思う。

 江戸時代の初期、海部町は材木の集積地として飛躍的に隆盛した。・・・

 近隣町村はいずれも豊かな山林を有しているのだが、海部町には山林という資源に加えて、山上からふもとまで丸太を運搬するための大きな河川があり、さらには大型の船が着岸できるだけの築港が整備されているという、理想的な地の利があった。短期間に大勢の働き手が必要となった海部町には、一攫千金を狙っての労働者や職人、商人などが流れこみ、やがて居を定めていく。この町の成り立ちが、周辺の農村型コミュニティと大きく異なる様相を作り上げていったことに関係している。海部町は多くの移住者によって発展してきた、いわば地縁血縁の薄いコミュニティだったのである。

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 町の黎明期には身内もよそ者もない。異質なものをそのつど排除していたのではコミュニティは成立しなかったわけだし、移住者たちは皆一斉にゼロからのスタートを切るわけであるから、出自や家柄がどうのと言ってみたところで取り合ってももらえなかっただろう。その人の問題解決能力や人柄など、本質を見極め評価してつきあうという態度を身につけたのも、この町の成り立ちが大いに関係していると思われる。そして、人の出入りの多い土地柄であったことから、人間関係が膠着することなくゆるやかな絆が常態化したと想像できるのである。

 

P180

 海部町とその両隣に接する町を比較した場合、海部町の住民幸福度は三町の中でもっとも低い。つまり、「幸せ」と感じている人の比率がもっとも小さい。

 初めてこの結果を目にしたとき、私は非常に意外な気がした。

 これら三町はいずれも徳島県南部の太平洋に面し、地形や気候、人口分布、産業構造など、共通する特性は多い。一見すれば、非常に似通った三つの田舎町に過ぎない。そうした中にあって、海部町の自殺率だけが突出して低いということ自体がそもそも不思議だった。

 住民幸福度に関するそれまでの私の漠然とした考えは、自殺の少ない地域では幸せな人がより多く、自殺の多い地域では不幸な人がより多い―端的に言ってしまえばそういうことだった。私自身の考えというよりも、このことはある種の通説になっていた。この通説を当てはめるとすれば、自殺率が突出して低い海部町の住民幸福度は、これら三町の中でも突出して高くなければならないということになるが、実際には通説と真逆の結果が出ている。

 分析結果を見ると、「幸せ」と感じている人の比率は海部町が三町の中でもっとも低い一方で、「幸せでも不幸せでもない」と感じている人の比率はもっとも高い。また、「不幸せ」と感じている人の比率は三町中もっとも低かった。

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私はこの幸福度に関する調査結果―海部町は周辺地域で「幸せ」な人がもっとも少なく、「幸せでも不幸せでもない」人がもっとも多い―という結果を示して、海部町の住民や関係者たちに感想を聞いて回った。興味深かったのは、海部町民自身がこの結果をすんなりと受け入れ、さほど意外とも思っていない様子だったことである。

「ほれが(幸せでも不幸せでもないという状態が)自分にとって一番ちょうどええと、思とんのとちゃいますか」そう言った人がいた。〝ちょうどいい〟とは、分相応という意味でしょうかと私が尋ねると、その人は少し考えたのちに、「それが一番心地がええ、とでもゆうか」と言い足した。同じようなことを言った人が、ほかにも数人いた。

 なるほど。この人たちの言いたいことが、ぼんやりとであるが伝わってきた。「不幸せ」という状況に陥りたくない人は多いだろうが、では「幸せ」ならよいのかというと、考えようによってはさほど結構な状況でもないのかもしれない。「幸せでも不幸せでもない」という状況にとどまっていれば、少なくとも幸せな状態から転落する不安におびえることもない。そういうことを、この人は言いたいのかもいしれないと思った。

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 さらにいえば、「不幸でない」ことに、より重要な意味があるとも感じる。「幸せであること」より「不幸でないこと」が重要と、まるで禅問答のようでもあるが、海部町コミュニティが心がけてきた危機管理術では、「大変幸福というわけにはいかないかもしれないが、決して不幸せではない」という弾力性の高い範囲設定があり、その範囲からはみ出る人―つまり、極端に不幸を感じる人を作らないようにしているようにも見える。

 この考えを海部町のある男性に話したところ、彼は自分の膝を叩くようにして、「ほれ、そこがこの町のいかん(駄目な)ところや」と大きな声を出した。男性は、「そこそこでええわ、と思ってしまう。ほやからこの町には大して立身出世するもんがおらん」と嘆いた。もちろんいないわけなどない、現実には大勢の人が立派に出世しているのだが、彼の言わんとすることは理解できる気がする。私も薄々気づいていたのだが、海部町の人々には執着心というものがあまり感じられない。艱難辛苦を乗り越えてでも、という姿をイメージしにくいのである。