裕也さん、本木さん、樹木さんの話から見えてくる、人それぞれの違い。
面白いです。
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内田 常にイラッとするというのは、脳科学的にはどういうことになるのでしょう。
中野 脳には矛盾とか、これは正しくないとかいうことを検出するアンテナのような場所があって、そのアンテナが過敏だということなんだと思います。
内田 それを鈍感にする方法はないのかしら。
中野 鈍感にするというのは難しいかもしれない。親しい人に対しては、その分、過敏さがより鋭さを増してしまうということもあるので、先ほど希林さんと裕也さんのお母様が苦労を分かち合ったというお話があったけれど、・・・家族は本当に大変だと思います。私の父も、家族にはいろいろイライラするけれども、見ず知らずの人に対しては穏やかな人だった。
内田 そうなのよね。ちゃんと使い分けてはいるのよね。・・・社会性という視点でちゃんと俯瞰で見ているからスイッチできるのね。うちの父のように家の内でも外でもまったく変わらずウワ~ッ、ウワ~ッと言っていた人は、何かが外れちゃっているの?やっぱりネジか?
中野 内と外という考え方があまりなかったのかもしれないね。誰とも内にはならないけど、みんなに平等なのかな。そういう意味では、みんなと距離が近いとも言えるし、みんなと距離が一定にあるとも言えるし。
内田 考えてみたら母もそういう人だった。相手によって変わるということがなかった。・・・
自分の中に、こういうふうに生きたいというものがあったんでしょうね。家族は迷惑だけど(笑)。
本木が珍しく半年間にわたってNHKの『プロフェッショナル 仕事の流儀』というドキュメンタリー番組の密着取材を受けたんですよ。・・・ご覧になった方たちからは、「素の姿を撮っているはずなのに、日常さえも虚構を演じているというのが浮き彫りになったドキュメンタリー」と言われたんです(笑)。とにかく、自分をこういうふうに見せたいとか、アピアランスをこうしておきたいとかいうことがとても強い人なのね。・・・
・・・
で、演じることと美醜は関係あるの?
中野 うん。なぜ「伝える」という仕事をする人が美醜を気にするかというと、美醜によって相手の正しい、正しくないの判断に影響を与えてしまうことがあるからなんです。脳において、正しい、正しくないの認知の場所と美を認知する場所はほとんど一緒なんですよ。内側前頭前野というところでやっています。
内田 夫はそこをとても使っている人なのね。・・・うちの母は真逆で、まったく気にしていなかったなあ。・・・
中野 希林さんは、美しさの基準の置き方が常人と違うのではないかなあ。・・・
内田 わが家ではいつも、本木に母が何かいろいろ言うと、本木は「いや、樹木さんはいいですよ」と返すのが口癖だった(笑)。「樹木さんはそのままでいいんですよ。でも、自分はこんな狭くて小さい人間なんだから、そういう中でもがいているんですよ」という話をしょっちゅうしていたなあ。
・・・
母はそうやって葛藤する本木を見て、「美というのは才能なのよ。私は逆立ちしたってあなたのようになれないんだから」と言い聞かせていた。・・・
母は「そのあなたにしか持ち得ないニュアンスというものを大事にしてやっていけばいいんだ」って言っていたなあ。母自身は、「早めに自分がブスだって気が付いたことが、とても自分の人生に役立った」と何かに書いていた。
中野 持っているものを変えようという発想ではないんですよね。・・・
内田 でも、人が整形したとか、かつらをかぶっているとかいうことは心底面白がったのね。それはなぜかというと、本来の自分を隠そうとする人間の恥じらいの心理にとても触発されるんだと思うんですよ。・・・
どうやって隠すのかというところに、また面白さを感じるのね。それをまた演技に生かしたんでしょう。「人ってこういうときにこういうリアクションをするのね」とよく観察していたもの。