他者と働く 「わかりあえなさ」から始める組織論

他者と働く──「わかりあえなさ」から始める組織論 (NewsPicksパブリッシング)

 「わかりあえなさ」から始める、自分のナラティブを一旦脇に置く、と心にとめておけたら、相手の言動を丁寧に聞いたり見たりできそうです。

 相当な冷静さが要求される気がしますが(;^_^A

 

P2

 私がもともと経営や組織、そして本書のテーマである「対話(dialogue)」というものに関心を持つに至ったのは、父が零細企業の経営者をしていたことがひとつの大きな要因です。

 父はバブル期に銀行にそそのかされて株取引を行うことになり、その結果、とても大きな負債を負いました。私が大学院生のときにガンで他界したのですが、残された家族で父のバブルの「敗戦処理」を行うという大変苦しい経験をしました。多大な借金を返済し続ける最中、明日があるのだろうかと思うようなお金の修羅場を経験し、なんとかその問題を乗り越えて、今、こうして大学で研究者として生きています。

 科学的に「正しい答え」を出す研究はとても素晴らしく、感銘を受けるものもたくさんあります。その一方で、自分の過去に経験した生々しい現実に置き換えたときには、「そういうことじゃないんだ」というもどかしさをずっと感じてきました。そしてあるとき、なぜもどかしいのか、その帰結に突き当たりました。

 それは「知識として正しいことと、実践との間には大きな隔たりがある」ということです。そして、実践が難しい問題は、少し目を凝らせば無数に転がっていました。

 

P8

 組織に問題があることはみなわかっている。けれど、どう向き合えばよいのかよくわからない。・・・

 ・・・

 劇作家の平田オリザさんは、著書『わかりあえないことから』で、対話が日本で起きにくいのは、お互いに同じ前提に立っていると思っているからだ、と喝破しました。そして、お互いにわかり合えていないことを認めることこそが対話にとって不可欠であると述べています。これは大変鋭い指摘です。

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 ・・・1on1を重ねても、コーチングを学んでも、プレゼンテーションスキルを磨いてみても、組織改革をしてみても、「わからず屋」たちとの「わかりあえなさ」に直面するはずです。その背後には適応課題が隠れています。

 そして、・・・数々の適応課題は、少し視点を変えて、取り組み方を工夫すれば、誰でもそれぞれの立場から適応課題に挑むことが可能です。・・・

 その現実的な鍵こそが対話なのです。そのことを伝えたくてこの本を書きました。

 

P49

 私は10年ほど前、MBAプログラムえ教えていたことがあり、・・・

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 そのときに、何人かの若い会社員の方から出てきた入学理由で驚いたものは、色々な表現をとりながらも、「上司が無能だからMBAを取りに来た」というものでした。・・・

 ・・・「上司は自分の考えていることをいつもよくわからない理屈にもならないような論理で、平気で潰してくる。このことがずっと繰り返されていて、とても腹が立って我慢ならない。自分はその上司よりも遥かに有能で、ものがわかっていることをMBAを取得することで見せつけてやりたい。そして、上司にこちらの言っていることの正しさをわからせてやりたい」というような意味であることがわかりました。

 ・・・これにはとても驚きました。

 上司は、自分の考えを通すための道具であり、それが道具として適切に機能していないから、自分のジャマをする存在と捉えてやっつけてやろう、という非常に激しい感情を背後に感じたからです。

 しかし、仮にMBAを取れたとしても、それで上司を論破して、説得あるいは、排斥することができるでしょうか。・・・

 確かに、色々と腹の立つこともあるし、嫌なこともたくさんあるのだと思いますが、一度、それをちょっと脇に置いてみないと、相手がなぜそういうことを語ったり、行ったりしているのかを眺めてみる段階に移れません。

 ・・・

 脇に置いてみることは、同時に、相手のナラティヴと自分のナラティヴの間に溝があることを認めるということを意味してもいます。・・・相手にも相手なりに何か事情があるのかな、見えている景色が違うのかな、と想像してみることです。

 こうすると、対話の準備が整います。・・・

 

P71

 ・・・対話のよいところは、権限がない人でも取り組めるということです。私は経営戦略論や組織論を専門に研究していますが、多くの研究から見出される知見は、権限がないとなかなかできないものであることが多いです。

 しかし、対話は権限がなくても、自分のナラティヴを一度脇に置いて、観察ー解釈ー介入を地道に回していくことによって可能です。・・・

 

P81

 あるメーカー企業の新規事業部では、新しい事業を興そうとした際に、「成功しないかもしれないのに、なんでこんなに投資して時間や人を割くのか」という疑問が生じました。・・・

 このとき新規事業開発の部長は、いかに会社にとって新規事業が必要なのか正論をぶっても、大きな進展が見られそうにないと気がつきました。

 そこで彼は、自分のナラティヴを一度脇に置き、正論で戦うことはせず、既存の事業部や経営陣をよく観察することからはじめました。既存事業部が取り組めていない困りごとを見つけ、また、他の事業部が彼らにどのような期待をしているか、何を潜在的に求めているのかについても、よく観察しています。

 そして、その観察からわかったことに基づいて、相手のナラティヴの中に自分たちの役割を作り出せる余地を発見し、具体的な介入へと進んでいくことにしました。・・・

 彼は対話的な実践の中で、新規事業部に別の役割を発見することができました。

 それは既存の事業部とのコミュニケーションを密にしながら、尖兵としてパイロット的に先に失敗をしたという情報を積極的に提供するインテリジェンス(情報機関)としての役割でした。これは確かに、既存の事業部からしても、新しい情報を得ながら、中期的に直面するリスクを避けるという意味で有用です。

 ・・・

 つまり、新規事業として成功すれば財務的な成果であり、一方で、うまくいかないとしても、それは会社にとってはいち早く事業展開に必要な情報を得る上で有用な情報源になります。

 ・・・

 このエピソードは対話的な観点で、注目すべきポイントがいくつかあります。

 改めて、準備ー観察ー解釈ー介入のプロセスに沿って、指摘しておきたいと思います。

 

1.準備:相手を問題のある存在ではなく、別のナラティヴの中で意味のある存在として認める

2.観察:関わる相手の背後にある課題が何かをよく知る

3.解釈:相手にとって意味のある取り組みは何かを考える

4.介入:相手の見えていない問題に取り組み、かゆいところに手が届く存在になる

 

P127

 ・・・「なんでも意見を言ってきてほしい。いつでも歓迎です」という経営者も多いです。稀に勇気を持って意見を言う人がいるかもしれず、確かにそのコミュニケーションチャネルを用意することに意味はあるものの、これがこちらの意図どおり、本当に何でも言ってきているのだと思っていたら、それは見通しが甘いと言わざるをえません。

 経営者の方の多くは謙虚で、自分は現場と同じ目線で意見を聞くつもりがあるという方も少なくありません。しかし、現場とは世代も違いますし、入社したタイミングも当然違うので会社に対するイメージもまったく違います。また、若い社員とは一緒に働いたことも、場合によっては話をしたことすらない方が多くいます。そのような人たちが、自分に素直に意見をしてくれるわけではないのです。

 権力を持っていることに自覚的でなければ、自分が見たい現実だけを見ることになります。それは対話ではありません。自らの権力によって、見たいものが見られない、という不都合な現実を見ることこそが対話をする上では不可欠なのです。

 部下が「弱い立場ゆえの正義のナラティヴ」に陥りやすいのと同様に、責任と権限のある上の立場の人間も、責任者特有のナラティヴに知らず知らずのうちにはまってしまっている罠があります。