つづきです

イタリア人の働き方 (光文社新書)

クチネッリさんの経営方針はどこから来たのか、という問は、生い立ちの話へ続きました。

P159
 クチネッリ社長はごく貧しい家庭に生まれたため、大学までは進学できなかった。
 故郷フェッロ・ディ・カヴァッロのバールが、私にとっては大学のようなものでした。店に集まる常連客といっしょにカードゲームをしたり、ビリヤードをしたり、口論したりして実にさまざまなことを学びましたね。バールは、世の中のありとあらゆる要素が出会う場所です。泥棒に売春婦、勲章受章者、愚者、英雄、インテリにいかさま師など。多くの親友もバールで得ました。
 私の父は耕作地を持たない、雇われ農民でした。あまりに貧しくて、母と兄二人と私と弟の六人家族を食べさせるために、農業を辞めて町へ出て建設会社に勤めることにしたのです。私はその頃、六歳になったばかりでした。
 建設会社の社長は、奴隷売買人のような非情な男でした。毎日父は疲れきって夜遅く帰宅し、目に涙をいっぱい溜めながら、『こんなひどい仕打ちを受けなければならないような悪いことを、私は神様にしたのだろうか』と言って泣いていました。そんな父を見るのは、本当に辛かった。
 私は小学校で最悪の成績でしたから、父親の慰めにもなりません。学校へ上がった私は標準イタリア語も話せず、いつも泥にまみれたボロ靴をはき、同級生からはさんざん馬鹿にされていました。皆は私のことを『どん百姓』と呼び、劣等感と失望のかたまりでした。幼いながらも私は、<大きくなってどんな職業についても、絶対に尊敬してもらえるようになってみせる>と心に誓ったのです。自分のためにも、家族のためにも、人としての尊厳が欲しかった」
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 クチネッリにとって敬意というのは、<恐れ敬う>といった上下関係にあるのではなく、<愛情>を意味している。人生をともにする仲間に対する温かい気持ちである。
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 この会社の社員は、同業他社より少なくとも二〇パーセントは多い給与を貰っている。会社の利益は、保育園やサッカー競技場、村の教会の修復、美術館、二四〇名収容の劇場の運営に当てられる。
 ふつうの経営者なら、利益が出たらすぐにサルデーニャ島に別荘を建てたり、巨大なヨットを購入したりするところだろう。ところがクチネッリ社長は、事業利益は社員の住居や労働空間の環境を向上させるために還元する。
 社長が会社の利益を自分の欲望のために散財せず、社員のために屋内プールやサッカー競技場を造るために使うとわかれば、社員の仕事場に向かう意欲や空気が、まったく他社とは違ったものになるのは当然だろう。
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 企業家としての知識も経験もまったく持たなかった田舎の貧しい一青年が、どのようにして業界リーダーにまでなれたのか。
「簡潔に申し上げれば、答えは<愛情>でしょうね。私は、どんなときでもできるだけ相手に愛情を注ごうとします。そうすると偶然か、これまで常に、愛情で返してくれる相手に出会ってきました。商売も、やはり愛情が基本だと思います。・・・」