マイノリティの「つながらない権利」 ひとりでも生存できる社会のために

マイノリティの「つながらない権利」――ひとりでも生存できる社会のために

 「自分と同じ病気の人しかいない世界があるとしたら、それはどんな世界だろう?」という思考実験をしてみてはどうでしょう、など、新しい視点が色々とありました。

 

P57

 当事者コミュニティのメリットはわかっている。それでも、行きたくない。怖い。安心できない。

 そう口にする人のなかには、コミュニケーションを負担に感じるのとはまた違った事情のある知人がいた。ダブルマイノリティー複数のマイノリティ性を持つ人だ。

 その人と話していくうちに、私とその人はマイノリティ性の名前は違えど似た構造の恐怖や不安を抱えて、当事者コミュニティから遠ざかっていることがわかった。

 私は視覚障害者でセクシュアルマイノリティで、発達障害うつ病を併せ持つ精神障害者だ。

 発達障害のコミュニティで、「発達障害の二次障害として現れる精神疾患の話はNGです」とグランドルールに書かれていたこともあったし、視覚障害者のコミュニティで男女二元論や異性愛規範にさらされ、居心地の悪い思いをしたこともあった。精神疾患の当事者に対する対応はプロでも難航するのは承知の上だが、発達障害コミュニティのそのグランドルールは、「私の居場所はここにはない」と感じるに十分だった。

 セクシュアルマイノリティのコミュニティでも、似たようなことが起こる。レインボープライドが各地で行われており、セクシュアルマイノリティの存在を示すのに重要なものとなっている。しかし、レインボープライドを歩けるセクシュアルマイノリティは限られていることを、忘れてはいけない。例えば私は体力がないし、炎天下を歩くとなれば、アルビノゆえに紫外線対策を厳にしなければならない。そういったダブルマイノリティは忘れられることがあるのではないか。

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 安全でない当事者コミュニティに出会ってしまった経験から、当事者がそこから遠ざかり、ますます困難を増していくのなら、当事者コミュニティ以外の手段が、必要なのではないか。

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 繰り返しになるが、当事者コミュニティのなかは基本的に楽だし、社会は冷たい。

 生存のためだけに仕事をして、他の時間は当事者コミュニティにずっといる、関わっている。そういう生き方も尊重されるべきものだ。でも、それが合わない人もいるだろうし、それでは共生社会から遠ざかってしまう。

 たしかに、マイノリティ性のある当事者が当事者だけで固まって、楽しく過ごす場も必要だ。しかし、そこに留まって、出てこないのであれば、「無理に共生しないで、そっちはそっち、こっちはこっちで楽しくやっていればいいよね」と考える人がマジョリティにもマイノリティにも出てくるかもしれない。それでは共生ではなく、分離へと向かっていってしまう。

 

P72

 公表されている当事者コミュニティ設立の経緯を読むと、コミュニティを設立した人々の、切実な思いが伝わってくる。これまで「つながりたくない」と書いてきた私がこう書くと、矛盾しているように見えるかもしれない。

 しかし、当事者コミュニティ設立、運営に関わってこられた方々の大変さを垣間見たからこそ、私は「マイノリティであるから他の当事者とつながらなければならない社会ではなく、マイノリティであってもつながらないことを選べて、そのことによる不利益が大したものではない社会であるべきだ」と言いたい。

 

P113

 私が「マイノリティの「つながらない権利」」を求めるようになった大きな契機として、「障害の社会モデル」との出会いがある。・・・『「社会」を扱う新たなモードー「障害の社会モデル」の使い方』・・・を手に取り、「障害の社会モデル」がより具体的に見えてきた。同書の著者の一人であり、インターセクショナリティの考え方に基づいてふぇみ・ゼミ&カフェの運営委員もつとめる飯野由里子さんに、マイノリティの「つながらない権利」について、お話を伺った。

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飯野 ・・・「コミュニケーション」が得意であることと、「対話」ができることとは違うと思います。対話は、相手との関係性を構築していく際、どういうコミュニケーション方法が合うのか/合わないのかを探っていく過程も含みます。したがってそれは、上手か/下手かというような話ではありません。

―言われてみれば、学生時代の女性同士の共感などを主目的にしたコミュニケーションは苦手でしたが、仕事をするようになって、メールやチャットでするテキストコミュニケーションはそこまで苦手意識がないですね。

飯野 ビジネスにおけるテキストコミュニケーションは、雁屋さんに合っていたんじゃないでしょうか。それに、人は「違っていて当たり前」なので、関わっていれば、コンフリクト(衝突)はどうしても起きます。コンフリクトを起こさない方法ではなく、コンフリクトが起きたときにどう対処するかを学校教育でも教えるべきなのに、日本においては、対人トラブルを起こさない子が「いい子」とされます。それでは、コンフリクトに向き合うことのできる大人にはなれませんよね。

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飯野 『ポリティカル・コレクトネスからどこへ』・・・でも繰り返しふれていますが、日本では差別が心の問題として理解されてしまっています。「差別とは悪意のある人がすることだ」という理解ですね。しかし、差別はそういうものではない。むしろ、それぞれが「これがふつうだ」「これが正しい」と思ってやっていることが社会のなかに偏りを作り出し、特定の人々により大きな不利益を振り分けてしまっているのです。差別をそういった構造として認識し、それを作り出しているのは私たち一人ひとりの日常実践なのだと意識する必要があります。日常実践において、どういった視座を持ち、どういった点に注意を払い、どういった問題意識を持つのか。そのことが、一人ひとりに問われているのです。社会は、誰か偉い人が変えてくれるわけでも、自分一人だけで変えられるものでもなく、社会の構成員一人ひとりの日常実践を通してでしか変えていけないものです。そういったことも「つながる」の一形態として捉えることができるのではないでしょうか。

―悪意もなく自然にやってしまうことが差別になりうるなら、マイノリティ性のある人々は差別を内面化しやすく、自分自身が差別されていると知ること、そして自分のニーズに気づくことがかなり難しいのではないでしょうか。

飯野 「自分と同じ病気の人しかいない世界があるとしたら、それはどんな世界だろう?」という思考実験をしてみてはどうでしょう。現実の社会と架空の世界を比較してみると、現実社会に生きている自分のニーズが見えてくることがあります。例えば、「アルビノの人しかいない世界」があるとしたら、それはどんな世界でしょうか。

アルビノの人は日焼けに弱いので、その世界では地下都市を形成しているかもしれませんね。日光を浴びるのは必要最低限の健康のための行為で、移動も出勤も、極力日光を浴びずに成り立つ世界になっていそうです。それに、皆アルビノだからロービジョンについても問題にされないかもしれません。それに、美の基準も現実とは違ったものになるでしょうね。

飯野 いい感じですね。そういった思考実験を通して、「できることならば、自分はこうしたいんだな」と気づけます。・・・環境が変われば、経験も変わりうるということを実感できる思考実験です。

 

P179

 当初、「他の当事者や支援者とつながらなくても困らない環境が必要」と考えていたものの、飯野由里子さんへのインタビューで、つながる/つながらないの二択なのかを問い直すに至った。

 身近なところで言えば、休む間もなく友人とテキストメッセージを送りあっているのが楽しい人もいれば、相手のことは好ましいが自発的にメッセージを送るのは後回しにしがちな人もいる。また、ある一時期は活発に連絡を取りあっていても、数年連絡が途絶えることもあるだろう。

 つながる距離感やつながる期間にもグラデーションを持たせ、適切な距離を選ぶのも、マイノリティの「つながらない権利」だ。今、その人が求める距離感、つながり方を選択することを妨げられない権利ともいえる。

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 私のマイノリティの「つながらない権利」なる発想が、対面コミュニケーションや、明確な目的のないコミュニケーションや共感を目的としたコミュニケーションからの逃避願望から始まっていることは、嘘偽りなく事実だ。

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 あらためて、マイノリティの「つながらない権利」とは、何なのか。

 それは、自分に適さないコミュニケーション手段や望まないコミュニケーションから解放されるだけではなく、自分に適したコミュニケーションの形態を選んでも、あるいは選ばなくても、情報面において不利益がなく、経済的損失がないと約束されることだ。

 

P221

 本書の始まりは、「コミュニケーションから逃げたい」だった。本書の執筆を終えようとしている現在、それは「対面コミュニケーションから逃げたい」「他者と距離を遠く設定したい」に変化している。

 対面コミュニケーションの訓練をしようとは思わなかった。しなければならないのだろうかと追い詰められた時期もあったが、「それはおかしい」と思い直した。

 どうして私が望んでいないことを生きるために仕方なくやらなければいけないのか。

 生きるために食べるように、それは本当にやるべきことなのか。

 絶対に違う。何のための現代なのか。何のための知性なのか。

 自然とそうなってしまうことに介入し、解決策を見出せるからこその人間だろう。

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 私たちには人権がある。

 それは多様な生き方を肯定し、先に進むためのものだ。

 私が私のままで、そしてこれを読んでいるあなたがあなたのまま生存する。

 そんな社会を実現するのに、マイノリティの「つながらない権利」は一つの希望として存在する。