小澤征爾さんへのインタビュー、興味深く読みました。
P93
―常日頃、小澤さんは「個」が大事とおっしゃっていますね。音楽をやるにも、何をやるにも。それはどういうことですか?
「個」っていうとわかりにくいかもしれないけど、政治でも、音楽でも、商売でも、大きな会社でも、小さい会社でも、でかい国でも、小さい国でも、その政府とか、あるいは会社にいるその人が大事なんですよね。誰がやるのか、が。
その人の価値というか、その人の考えが一番大事。
たとえ組織の中であっても、その人が何をやるかが大事なことなんですよ、きっと。と、僕は思うんですよ。最終的には。
その人のポジション、もちろんそれも大事だけれども、その上に立っているのはその人の個性というか、一人の役割で、その一人がどれくらいの力を出せるか。人間としての価値がどれくらいあるか、ということが出てくると思います。
―音楽家で言うと、それはどういうことですか?「個」を大事にすることとは?
これも専門的になって説明しにくいんですけどね。西洋音楽って、非常にたくさんの規則がある。
例えば、この音のひとつ上をたたいても駄目。この音のひとつ下をたたいても駄目。ちょっと速くたたいても駄目。ちょっと遅くても駄目。ちょっと高くても駄目。ちょっと低くても。ピアノを弾いても、バイオリンを弾いても、歌を歌っても、楽譜の五線紙に含まれるインフォメーションは決まっていて、それ以外はやっちゃ駄目なわけね。
その通りにやるっていうのは大変。技術的にもね。
だから六歳くらいからバイオリンを始めるでしょ。その人たちはだんだんそれをマスターしていく。それができると、何となく音楽ができたような気がしちゃうわけ。
ところが音楽を聴きに来るお客さんにとって大事なのはそれじゃなくて、その人がその弾いている曲を、書いた作曲家を、どう解釈して弾いているのか。
解釈した人間性が出てこなきゃいけない。それがね、出ないで終わっちゃっている。
ところがまずいことには、コンクールなんかは減点式ですから、間違いがなくて、どれくらい正確に弾き、終わりまでどれくらい完ぺきだったか、ということで点数をつける。
僕は、それは間違いだと思うんだけれども。上手な人がたくさんいるとね、やっぱり、間違えた人を落としちゃうわけですよね。
で、その大事なところが、あまり問題にならなくなる場合があるらしい。
・・・
―その「個」を大事にし、ずっと持ち続けるためには、どういうことを心がけ、どういうふうであればそうあり続けられるんですか?小澤さんのように。
その辺はわからない……。教育をしていて、そのこともときどき考えるんだけれども。
あの、一番悪い弟子はね、僕のことを真似たりする。それはね、斎藤先生の真似をしたり、カラヤン先生の真似をしたり。
カラヤン先生はすごく偉くて、魔法みたいな指揮をする人だった。それを見て真似する人がいたの。僕はずいぶん軽率なことだなと思った。
カラヤン先生というのは、カラヤン先生の育ちがある。あの人はザルツブルクで生まれてギリシア人の血が流れている。子どもの頃からモーツァルトなんかをやっていて、ピアノもうまくて、才能もすごいというのに、そうじゃない人があの真似をしたって駄目だろうなと思った。
案の定それを真似した人は、あまり伸びませんよね。一時はよくても。
だから、こう……真似するのは駄目だね、この音楽の場合は。
―真似するのではなく、自分で自分を見るということですか?
表面的なことは真似ができても、中身は真似できませんから。
弾き方でも表面的な手の動かし方を真似ちゃうのは駄目ですね。中身がちゃんとしている人なら伸びていくんだと思うけれど。
そこで「個」ではないかと、僕は思うんだけれど。
僕の音楽塾には六〇人ぐらいの生徒がいて、全体として伸びるよりも、一人一人に伸びてもらいたい。
例えば塾では、リーダーを決めている。バイオリンの一番とか、セカンドバイオリンのリーダー、ビオラのリーダー。そして、そのリーダーを楽章でどんどん替えちゃう。だから何人もがリーダーをやるわけですよ。
それがすごい経験になるわけ。もう露骨な経験にね。自分が裸で、そのまま出ますから。そういうやり方を僕はしているんだけれど、そういうやり方はヨーロッパでは流行っていない。アメリカでもあまり流行っていない。
だけど僕は、日本ではそれをやったほうがいいと思う。なぜいいかって、その「個」の問題が、どうしても埋もれちゃうような気がしてね。
特に弦楽器の人なんかは、なるべくみんなと一緒に、あまり目立たないでやろうなんて考えてしまうことがある。
でも、それをやらないとドアを開けられないから、僕が代わりに蹴飛ばしてやろうと。乱暴なんですけどね。
あえて乱暴でもそれをやろうと言って、先生たちもそれに同意してくれて。学生もまだいまのところ、文句を言わないでやっていますから。
それで元気な学生には、「私、やりたい」なんていう子もいるんですよ。「そこをやってみたい」というのが何人かいますからね、そういうことに勇気づけられますよね。