大事なことだなと思いつつ読んだところです。
P150
広場に至ると、右手にはツリーハウスがあり、小川が流れ、柵の中にヒツジとロバがいる。・・・
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「彼らを見て気づいたのは、それぞれのやり方で才能を発揮することはあっても、誰も互いの真似をしないし、比較に興味がないこと。だけど僕らは真似をする。真似て同じことをすると優劣がつく。そこで少しでも他人によく見られたいという思いも出てくる」
工房には、木を傷つけることを喜んで行う人がいる。商品に結びつかない、社会的に意味を持たない非生産的な振る舞いだ。それゆえ「健常者のような労働ができない」という評価を下されはしても才能などと到底思われない。
「僕らの社会はそうした〝非社会的行動〟をとにかく削除してしまう。でも、それで後に残るのは何かと言ったら常識だけでしょう?」
P173
ゲストハウス「たみ」を経営している蛇谷りえさんは、三宅航太郎さんとともに「うかぶLLC」という会社を共同運営している。たみは鳥取駅から電車で一時間ほど離れた湯梨浜にある。駅前には寂れたとしか見えない土産物屋と「いったい誰が買いに来るだろう」というような商店や喫茶店があるばかりで、山陰初のゲストハウスをなぜこのようなひなびた町につくったのか?と疑問に思った。・・・
旅人は何に魅せられてたみに来るのか。たみは撮影禁止で取材も受けないため、SNSにはほとんど情報が載っていない。ただ、うかぶLLCの掲げる、社としての三つの方針を読むと、何となく持ち味や向かう先が想像できる。
・あたらしい風景を自由に見るための土台であり、舟である
・個人の持つ可能性を拡張することで、社会をいかに生きるか探求する場所である
・留まることなく、常に変化しつづける時間である
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蛇谷さんは元々グラフィックデザインを手がけ、アートプロジェクトの企画に携わっていた。三宅さんも元はアーティストだ。アートの可能性を体感する経験があったから三つの方針を掲げたのだろう。ひょっとしたら厳密にビジネスとアートを区分していないのかもしれないし、鳥取には独特の経済活動が成立する土壌があるのかもしれない。そう思ったのは、湯梨浜に越して一年くらいは現金が登場する機会がほとんどなかったというエピソードを彼女から聞いたからだ。
「『家でたくさんつくりすぎたからこれあげる』とおかずを差し入れてくれたりとかいっぱいモノをくれるんです。何か返さないといけないんですけど、それがお金じゃないのはわかる。何を返したらいいんやろとモタモタしてたら、次々に差し入れがあるから、借りているものがどんどん貯まっていくわけです。ミカンでもお返ししようと出かけて行くと、お菓子とかお茶を出されて店の中でしゃべる。そして、また『これ余りもんやからどうぞ』と言われる。さすがにお金を払おうとすると、『いらんよ』と言われる。そうやってお金が登場しない期間が一年くらい続いたんです」
地元の「おばちゃん」は商店を実質切り盛りしている存在で、彼女たちは「横のつながりを大事にすること」に長けているという。
「それぞれ家族も家庭の背景も違うから、『あの人はこういう価値観でやっているからこの辺で関わってもらおう』みたいな配慮も完璧」
蛇谷さんの話からわかるのは、お金のやり取りだけではなく、そのようなコミュニケーションの取り方によって町が成り立っていることで、それを含めた経済なのだということだ。
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蛇谷さんは「利益を生むよりも循環させること」を念頭に置いているという。それをソーシャルビジネスや生業とわざわざ呼ばずにやっている。彼女の暮らしの中で紡がれた「おばちゃん」たちとの関係はいつも穏やかで快適なわけではないだろうし、人からすれば「しがらみ」に見えることもあるだろう。
けれども、その土地を離れないで生きていくという関係の中では、「横のつながりを大事にする」という配慮が不断に行われている。
もしかしたら、それはケアに近いのかもしれない。人の話をよく聞き、その人の思うところを捉え、互いに生きやすいように工夫する。その行いのサイクルの中で彼女の事業もまた動いているのだとしたら、それはすなわち、ケアと経済とアートの融合と言えるのではないか。ひょっとしたら鳥取は日本の中で最先端を走っているのかもしれない。