謙虚で素直でユーモアもあって、一生懸命で、読むと心がすっきりする感覚がありました。
P23
オプティミストたるわたしの生来の性質は、音楽にもよく表れているようですね。「あなたが弾くのはいつも明るく楽しい音だよね」と、よく言われます。
それでいい、とわたしは考えています。明るい音でみんなが幸せな気持ちになれたら、それも素敵なことじゃないかと思うのです。
ただ、だれもがそう感じるわけではないことも、よく知っています。昔から、「いつも明るく浮ついた音だ」と評されてきました。そんなとき、必ず言われるのです。「きみは真に悲しい経験をしていないからだ」と。そう言われればその通りです。たしかにわたしはこれまで、幸せなことに、生きるか死ぬかの争いの渦中に身を置いたこともなければ、飢えや渇きに遭った経験もありません。
それでも、思うのです。明るい音楽と悲しい音楽、どちらがより高尚で真剣かなんて区別はナンセンスではないでしょうか。当然ながらどちらも等価で、それぞれによさがあるでしょう。
その方の人生を反映させたような、切実で悲観的な演奏に心打たれることもあります。そのような素晴らしいピアニストがいらっしゃるからこそ、わたしはわたしにしか奏でられない、明るい音を追求したいと思うのです。
P28
今回のスカラ座公演は、本番の1週間前に指揮者が変更となり、ウクライナの平和を祈念して行われることとなりました。刻々と世界が変容していく中、緊張感が増していくヨーロッパの街で、わたしはピアノを弾くことの意味を改めて自分に問い直すこととなりました。
もちろん、日々見聞きする悲しい現実から目を背けるわけにはいきません。それでもわたしは、演奏そのものにはことさらにメッセージを込めないように注意しておりました。それはわたし自身の想いを乗せすぎることが、時として豊かな音楽を濁らせてしまうからです。
わたしは、演奏するにあたってまずその曲をつくった作曲家に思いを馳せます。作曲家が理想としていた音を想像し、楽譜の解釈を進める。そうして奏でられた楽曲を、聴いてくださるお客様と共有し、一緒に音楽を味わう。こういう時世だからこそ、原則を大事にしたい。
P49
野島先生は確固たるご自身の世界を持っていて、誰にでもオープンに接する方ではありません。もちろんわたしにとっては雲の上の存在でしたから、初めてのレッスンはとにかく緊張しましたね。どうやって部屋をノックしよう、どうやって先生に声をかけようと悩みました。
忙しい先生のことですから、レッスンも頻繁にしていただけるわけではありません。そんななか少しでもお近づきになりたくて、わたしはタバコを吸い始めたんです。先生は愛煙家でしたから、喫煙所では、音楽のことはもちろん、世界情勢からスポーツの話題まで、様々なお話ができて、心弾むひとときでした。
P59
たしかにわたしの解釈は、聴いてくださる方によってずいぶん受け取り方が違うみたいです。わたしは楽譜や史実から得られるだけの情報を得て、自分の解釈を組み立てて弾いていますが、そうではないアプローチの仕方ももちろんあるでしょう。
・・・
・・・わたしの場合、自分の解釈は明確にあるのですけど、それを聴いている方に押し付けたくはないんです。音楽やピアノを使って「わたし」を表現するのではなく、ピアノとともに音楽を共有したい。この思いが揺らぐことはありません。
クラシックの場合、それぞれの曲に、それを生み出した作曲家がいるわけです。楽譜を通して、作曲家が「こう弾いて」と提示してくれている。演奏者はそれを再現し、聴く人と共有する。いわば橋渡し的な存在です。そういうスタンスを忘れたくはない。ピアニストが何かを選択する立場にいると勘違いしてはいけないのです。
だからわたしは、ピアノと格闘するような真似も絶対にしたくありません。どんなに盛り上がる場面でも、常にピアノに寄り添う姿勢を崩さないよう心がけています。ピアノをコントロールしきれず持て余し、挙句の果てに対峙し格闘するようなポーズをとるくらいなら、そんな難曲は最初から弾かなければいいし、弾いてはいけないんじゃないでしょうか。
P65
そういえば、生活のあらゆる場面でわたしは、人の営みを感じたいという思いが強いみたいです。たとえば食事なんかでも、何でもおいしくいただくほうなので、好みを訊かれると困ってしまう。ジャンルにはこだわりがないけれど、せっかくならシェフの腕や、料理への想いがはっきり伝わるものがいいなとは思うんですよ。パスタだったらアーリオ・オーリオ・ペペロンチーノのような、ベーシックゆえに作り手の個性が滲み出てくるような料理だと、いろんなことが想像できて、食べるのがいっそう楽しくなるじゃないですか。
人の営みと、人が生み出すあらゆるものに対する好奇心は、わたしのなかで尽きることがありませんね。その最良のもののひとつとして、音楽という存在があるのだと思っています。
P93
会場の雰囲気や客席の呼吸で、音楽は確かに変化します。だからこそ、本番ならではのグルーヴ感を大切にするためにも、わたしはリハーサルの時点で演奏を決め込みすぎないようにしています。
協奏曲や室内楽では、「その場にいる全員で音楽をつくる」という意識はより重要です。なにしろ協奏曲においては、わたしひとりが理想の音を追求しても仕方ありません。共演者との呼応なくしては、素晴らしい音楽は成立しない―当たり前のことではありますが、実はこの考えに至るまでに、わたしは少々時間を要しました。
18年10月、わたしが19歳のときのことです。・・・指揮は当時すでに78歳の「炎のマエストロ」、コバケンこと小林研一郎さんです。
いま思い返してもその不遜さに赤面してしまいますが、当時のわたしはソリストがコンツェルトの奏法を規定すべきだと思い込んでおりました。自分がオーケストラを引っ張るぞ、と勢い込んで、独りよがりな演奏をしていたのです。
・・・コバケンさんは演奏をストップさせると、わたしの方を向いて「そんな演奏では僕たちは一緒にやることができないよ」と仰いました。さらに、リハーサル後にわたしを楽屋に呼んで「君がやりたいこともわかるのだけれど、オーケストラの音楽をきちんと大切にしなさい」と、懇々と諭されたのです。
自分はとんだ勘違いをしていたのだと、本当に恥ずかしかったですね。それから本番までの4日間、わたしは楽屋に籠ってオーケストラの音を想像しながら猛練習いたしました。
迎えた本番、<1楽章>が始まってすぐに、わたしははっとしました。リハーサルの時には聞こえなかった音が、しっかりと耳に届いてきたのです。自分のエゴがすーっと消えて、オーケストラとわたしのピアノが絶妙に調和しています。
・・・ピアノソロにオーケストラの響きが重なり合うと、そこには完璧なハーモニーが生まれていました。コバケンさんは演奏中にもかかわらず、その場でわたしに向き直り、ぐっと親指を立てて微笑みました。「通じた!」とぞくぞくして、たまらない瞬間でしたね。