日本のアタリマエを変える学校たち

日本のアタリマエを変える学校たち: 誰もがインターナショナルスクールで学べるように

 いろんなアタリマエがあると知ってること、大事だなと思いました。

 

P198

 本書は「日本の子どもたちのために、国際化を頑張っている学校や施設」を紹介したものであるが、「日本と世界が違うこと」や「日本のアタリマエ・自分のアタリマエが他者には通用しないこと」などを伝えることも目的としている。世界の学校事情、生活の様子を日本人から聞くことで、分かりやすくその違いを知っていただけたのではないかと思っている。

 くどいようだが、「どちらが良い」ということではなく、国や地域、そして人によっても「違うことがアタリマエ」ということを私たちは理解する必要があるだろう。

 

P125

 先日、あるオンラインの動画番組に出ていた地方放送局の幹部が、「少子化対策のために、大学進学する若者を県外に出さないことに注力しています。県内大学への進学者には、奨学金を出すなどの施策を行っています」と朗らかに話していた。

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 ・・・こんなおかしな話があってもいいのだろうか。大学生として都会に出ていくと地方に戻ってこないから地域にとどめるという論法がまかり通るなら、これは大問題である。なぜなら、その地域しか知らない若者が、その地域の活性化を目指すのには無理があるからだ。

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 要するに、1か所にいてはいけないということだ。つまり、行く先々には違うものがたくさんあり、自分とは異なる考え方の人がいて、まったく常識の違う世界があるということだ。それらをどれだけ知れるか、現在、それが問われている。

 日本のダイバーシティの範囲はとても狭い。世界の先進国では、男性同士や女性同士が結婚できる国も多いし、お酒が飲める年齢も違えば、車の運転免許の取得方法も違っている。生卵が食べられる国は日本くらいだし、印鑑がないと口座の開設ができないとか、タクシーのドアは、待っていたら自動的に開くというのも日本くらいだ。

 日本にいればほとんどが「日本人」だが、世界の国々に行くと、誰が見てもインド人だという人がデンマーク人だったり、韓国語を話しているから「韓国人ですか?」と聞けば「アメリカ人です」という回答があったりと、驚くことばかりである。もちろん、ハンディキャップのある人々が活き活きと生活している国もたくさんある。

 とにかく、「違うことが当たり前」なのだ。そのことを、自らの体験で若者に知ってほしいと思っている。日本の現在に対する違和感をもたないことには、日本を変えることはできない。日本の若者が世界を知ることは、日本のためであり、世界のためであり、未来のためである。

 

P152

 ・・・カナダのブリティッシュコロンビア州(BC州)に住む高林美樹さん・・・

 日本人の若者をカナダへ、BC州へ誘う教育という仕事をされているということですが、カナダにおける教育の特徴を教えていただけますか。

高林 BC州では、「All Means All」と言って、インクルーシブな学習環境とその支援が充実していてすごいです。教育は州の管轄で、高校までは無償教育です。また、「Core-Competencies(人生を豊かにする力)」と言って、知識のほかに非認知能力教育にも大変力を入れています。つまり、子どもを能力別で分けることはなく、数値だけで評価しないシステムを導入しています。そのほか、公立のセカンダリースクール(中学2年~高校3年)でのコースの多様さと単位制度のシステムは、日本の大学に似た感じとなっています。

 移民で成り立っている国ですから、「人の権利」については小学生のときから教え込まれ、移民の生徒に対するサポートの充実度も半端なものではありません。まったく英語のできない生徒が転入してきたら専任教員が横につくほどで、個別最適な学習が支援されています。そして、高校生活の後半では、キャリア開発と将来のビジョンとデザインができる学習環境となっています。

 日常生活の場としての学校でいえば、校則やテスト、そして教師の働き方も、日本に比べると大変緩やかです。たとえば、服装や髪型のきまりはありません。テストや宿題(とくに小学校)を極力減らし、州の高校卒業統一学力テストなどは廃止になりました。職員室、教師の長時間労働もありません。生徒も教師も、学校が終われば自由時間というわけです。

 また、カナダのように使用言語が200以上もある多民族多文化主義社会にいると、とにかく違うことが前提となった人との付き合いがあります。国民だけでなく、外国籍の住民の人権も憲法で守られており、人権への意識が高い人が多いです。個々の権利主張がさまざまな場面で必要となりますから、発信力の強い人が多いですね。理由づけをしてから対話を進めるんですよ。

 そのうえ、友好な関係を保つために秩序や境界線(バウンダリー)を尊重し、大切にしていますので、無闇な介入を嫌うといった傾向が強いです。これが、多様な人たちが共存していくためのコミュニケーションのコツとなっています。

 

P167

 ・・・デンマークに住む海老原さん。・・・

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 ・・・私は日本でも教師として働いていたので、教師の働き方も大きな関心事となっています。

 勤務時間や業務内容などに大きな違いがあります。たとえば、デンマークでは出退勤に関する管理はなく、授業の準備は家でやってよいことになっています。授業終了後、すぐに帰宅して家で準備する人もいれば、準備室で行っている人もいます。教師の権利が守られており、一人ひとりの裁量権が大きいということが特徴となっています。

 子どもに関していえば、成績評価が大きな違いでしょう。8年生(中学2年生)になるまで、基本的に成績はつけられません。デンマーク語や算数の習熟度を知るためのテストはありますが、それは子どもの現在地点を知り、教師が授業に役立てるためのバロメーターとなっています。

 本格的な成績は8年生で初めてつきます。その成績も、「あなたのほんの一部を表すただの数字」といったスタンスです。一人ひとりの子どものなかから湧いてくるモチベーションを大切にしており、テストや受験のような外的要因のために学ぶという考え方がないからです。「学び」に対する捉え方の違いだと思いますね。

 

P182

 マレーシアに住んでいる宮内さん・・・

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宮内 マレーシアは多民族国家ですから、同じ国に住んでいるからといって、人種の壁がないわけではありません。うまく距離をとって、大きな争いにならないように保っているような感じです。

 ごく自然に歴史や戦争について子ども同士で話す機会があり、異なる意見・背景をもっている相手に対して、どのように対応し、付き合うのかを一緒に考えるよい機会となっています。

(次女が登場!)

次女 マレーシアでは、ステレオタイプの大切さと危なさが学べます。相手の人種や宗教を知り、相手の価値観、置かれている状況や考え方を想像することは、相手に失礼なことをしないために大切です。ただ、ステレオタイプなことばかりをしていると個人的な関係を築きにくいので、相手の属性を念頭に置いたうえでその人と仲よくなるためには、一度ステレオタイプ的なことを脇に置いて、その人自身がどのような価値観をもっているのかを尋ねたうえで自分自身の価値観をオープンに伝える必要があります。

 また、子どものころから多様な価値観に触れていると、「自分は人と違う、人は自分と違う」が当たり前になりますね。パーソナルスペースや境界線を相手のために尊重し、自分のためにはっきり伝えることが大切だと思っています。

 さらに、自分の問題と相手の問題を切り分けることも大切です。これができれば、大人になって社会に出たとき、多様な価値観に出合っても戸惑うことが少ないと思います。

有澤 15歳にして、そのようなことを理解し、発言につなげられるとは……日本では体得できないスキルだと思います。日本の子どもたちが劣っているというのではなく、経験によって得られるものが大きいと感じました。

 最後に、日本の方々、とくに保護者や学校関係者に伝えたいことがあれば、ぜひお話しください。

宮内 私は「よい教育」というのは存在しないと思っています。大切なことは、その教育がその子どもにあっているのかどうかではないでしょうか。そのためにも、選択肢が多いことが重要だと思います。

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次女 私はインターナショナルスクールに通ったことで、小さいころからさまざまな価値観に触れられたと思っています。だから、よい意味で人への期待が低くなりました。たとえば、相手に伝えたことが50パーセント伝わったときには、半分しか伝わらなかったではなく、半分は伝わったのだからよかった、となります。また、人への期待が低くなると、自らにチャレンジ精神が生まれると思っています。新しい場所、新しいことで50パーセント位の成果を出せたときには、「割と上手にできた!」と思えます。

 チャレンジして、成功しても失敗してもよいというのは、インターナショナルスクールで学んだことです。一番の失敗はチャレンジしないことで、チャレンジさえしたら、結果が成功でも失敗でも自分の経験につながり、その経験は自分の自信につながりますから。

 マレーシアに住むという経験をしたことで、人生は一本道ではなく、何が起こるか分からないということを、身をもって学びました。この国に住んでいると、取り巻く環境が日々変化するし、周りの人から予想もつかない反応があったりもします。「Expect the unexpected ‼(何が起こるか分からない)」という言葉がしっくりきています。