こちらも大平一枝さんのエッセイです。
P21
パソコンに向かうときの姿勢が良くないらしく、首や腕に不調があるので針治療を続けている。あちこちに通院し、ようやく相性のいい鍼灸師さんと出会って一年。
二〇代の彼は、物静かな学究肌。腕はたしかで療術の話になると的確な助言が続くが、世間話を自分からどんどん振っていくタイプではない。
ところが何度か通ううち、彼には大変な特技があるとわかった。今上映している映画にとびきり詳しいのだ。それもほとんどメディアに取り上げられていないような単館ロードショーの外国作品に明るい。
いつからか「今何がおもしろい?」と聞くのが習慣になった。薦められて足を運んだものもある。
なぜそんなにマイナーな映画にも詳しいのか尋ねると、彼は照れくさそうに答えた。
「僕は口下手で、誰とでもおしゃべりできるようなタイプではないので。学校を卒業して鍼灸マッサージ師になれたとき、この仕事を一生続けるにあたり、自分のコミュニケーションの武器はなんだろうと考えました。ところがなにもない。これではいけないと思い、そうだ映画を観ようと。映画の話なら、どんな世代のお客様とも、男性でも女性でも、お話ができるでしょう?でも何から観たらいいのか?とりあえずよくわからないけど映画といえばカンヌなので、カンヌ映画祭の各賞受賞作を全部観ようと決めたんです」
・・・
日本で上映されているものはすべてできるだけ観逃さないようにしているという。私の知る限り、彼は朝一〇時から夜遅くまで鍼灸治療院で働いている。上映期間は限られているので、休日だけでは観きれないはずだ。いったいいつ?
「出勤前のモーニング上映に、よく行きます。翌日が休みの日は、レイトショーへ」
最初は客との話題作りのためにと観始めたら、「すっかり映画の世界にハマっちゃいました」。
・・・
私は仕事柄、本や映画に多少詳しいつもりでいる。初対面の人と話すのも苦ではない。いっぽう彼は、それほど誰とでもべらべら話せないという自分のコンプレックスを起点に、私などよりはるかに深く広く、映画の知識を身につけている。たとえば、三年前のスタート地点では、年齢的に私のほうが映画に詳しかったと思うが、とっくに追い越され、彼のほうがたくさんのスクリーンの中の人生を知っている。逆に、私はこの三年で何を得ただろうか―。
弱点は、意識の持ち方次第で、ときにとんでもないエネルギーを生み出す。
映画の話になると止まらない鍼灸師さんに施術してもらいながら、謙虚がもたらす効用をいつもしみじみと実感する。
帰りは毎回ひどく清々しい。あれは、身体とともに心もフレッシュな空気に満たされるからだろう。
P193
ある日本人研究者の書物を読んで、どうしても内容について聞きたいことができ、連絡を取りたくなった。
面識はない。おまけに彼女はアメリカ在住。どうしたらいいだろうと考えあぐねた。突然のメールは迷惑だろうし、いぶかしがるだろう。ファンレターとも違う。見ず知らずの他人が、あなたの研究のここの部分について教えて下さいなんて、図々しすぎる。
出版社に問い合わせる方法もあるが、そこまでおおごとにしたくなく、試しにフェイスブックを探してみると、すぐ見つかった。よし、これでコンタクトを取れる。
しかし、いきなりアプローチしてお願い事をする勇気がなかなか出ない。
まず、友達承認をリクエストしてみた。
翌日、すぐに承認された。
一週間ほどして、思いきってダイレクトメールを送った。自己紹介と、著作について伺いたいことがあるが、長文になる。可能ならオンラインで質問もしたいと正直に書いた。
あちらの時間で二二時頃だった。
すぐに丁寧な返事が来た。自分にできることがあるなら協力しましょうという。素直に嬉しかった。
その最初の返信に、こんな一文があった。
『メールはいつでもかまいませんが、私はふだんは二一時過ぎにはグースカ寝てしまうので、お返事は翌日以降になってしまいます。ごめんなさい』
ビジネスライクな言葉のやり取りの中で、ひときわ印象的な「グースカ」。
私が勇気を振り絞り、ドキドキしながらおそるおそるメールを出した気持ちを汲み、緊張を和らげるためにあえてこの言葉を使った気遣いが伝わってきた。
誰にも、メール返信のペースには、習慣や癖がある。最初にはっきり伝えるにこしたことはないが、なかなか言いづらいことでもある。
それを彼女は、砕けた言葉で相手に不快がないように、けれどはっきり綴った。
グースカのたった四文字から、思いやりと、人付き合いにおいて自分が大事にしていることはきちんと伝え、けっして無理しない人なのだという両方がわかった。そうだ、私も彼女の前で無理をしないでおこう。なんでも素直に聞いてみようと腹が決まった。
それからゆるやかにメールとZOOMでお付き合いが始まり、もうすぐ一年になる。大雪が降った日の写真が届いたり、私は見たばかりの芝居の感想や近所の桜の写真を送ったり。いつしか研究に関係ないことも綴りあうようになった。
お互い、返信が三週間後のこともある。
今のところ私の友達で、返信が三週間後でも気にしあわないのは彼女だけだ。そういうペースの付き合いがあっていい。
P214
一〇年ほど前、取材で聞いたある女優さんの言葉が忘れられずにいる。
「携帯電話の電話帳を最近整理したんです。本当に電話をかけるような間柄の友達だけを登録しようと思っていたら、最後五人になっちゃった」
ずいぶん思いきったことをするなと印象に残った。その後まもなく、離婚をされたので、自分を見つめ直したり、いろんな荷物をおろそうとしたりというときだったのかもしれない。
・・・
・・・彼女は、穏やかな笑顔で付け加えた。
「本当の友達って、五人いれば十分幸せだなって気づきました。いえ、五人でさえ、多いかもしれません」。
・・・
・・・時折、「友達は五人で幸せ」という彼女の言葉の導きを私は思い出すのだ―。
・・・
人生の残り時間を意識する年齢になった。いろんな人とたくさん話して、笑って、おいしいものを囲みたいけれど、バタバタな日々からひねり出した晩餐の数は限られている。たいして友達は多くないけれど、大きな集まりが続くと、もう少し少人数でゆっくり深く話したいなあと思うことが増えた。そんなとき、初期癌を経験した友人が言った。
「楽しいことは大好きだけど、今は、プライベートな食事の会はなるべく四人まで。理想はふたり、もしくは三人と思っています。全員で話せるのって三人までで、四人でも二対二に別れての会話になってしまうから」
・・・
彼女の話は、自分の人付き合いのあり方を見つめ直すきっかけになった。・・・
・・・
私は誰とでも仲良く、楽しい時間を過ごすのがいいことだと、どこかで思いこんでいた。誘われれば気持ちよく受け、「あの人といると楽しい」と思われたい。「また会いたい」と思われる人間でありたい。
ひょっとしたらそれは、SNSでたくさん「いいね」をもらう心境と似ているかもしれない。・・・
だとしたら、それほどがんばらなくてもいいのではないか。朗らかに「また今度ね」と、次の機が熟すのを待っても。
ところで明日はブログをお休みします。
いつも見てくださってありがとうございます(*^^*)