さまざまな価値観

とらわれない生き方 母として 「いいお母さん」プレッシャーのかわし方

 柔軟な頭、広い視野を持っていたいなぁと思いながら読みました。

 

P140

 デルスは、イリノイ工科大学ハワイ大学など全部で7つくらいの大学に合格したんですが、・・・最終的にハワイを選びました。そのとき事情を多少わかっている人に「なんでハワイ大学⁉」と言われたんです。大学ランキングでイリノイのほうが上位だからと。でもデルスは彼なりに、どちらの環境で学生生活を過ごすのが自分にとっていいかを、真剣に考えました。私は彼の選択に口出しは一切しませんでした。それにはっきり言って、私が遊びに行きたいのはハワイです。イリノイだったら行かない(笑)。

 世の中の評価やランキングといった、一面的な評価基準を、人生の選択の判断材料にするのは、安直で危険ではないでしょうかね。学校とは何か、教育とは何か、本質的な問いに向き合えば、選択の仕方は変わってくるはずです。

 

P159

 社会の中で認められることは、生きるうえで必要なことです。でも、周りの人からどう見られているかが、ここまで大きくその人の生存に影響しているのは、日本の特殊性だと思うんですよ。封建時代の階級制度のように人を好きになるのに障害があるわけではないのに、自分の気持ちより、社会の目のほうが大切っていうのは……。ヨーロッパじゃ本質的にはありえないですし、アジアでも珍しいんじゃないでしょうか。

 

P168

 年収や学歴って、人間の指標になりがちですが、何を幸せととらえるかなんて、国や地域が変わればガラッと変わるもんですよね。アフリカの奥地の集落に行ったら、うまく獲物を確保できる人が偉くなるでしょう。そこでは、ハーバードの大学院を出た秀才の元には嫁も来ない(笑)。5億円稼ぐことより、今日の家族の食糧になる魚を何匹獲れるかのほうが、価値があるわけです。

 日本の社会で良しとされる基準だって、ほかの国では何の価値も効力も発揮しないということがあるんですよね。

 ・・・

 ざっくばらんに言うと、日本だけ、また身の回りだけで自分の世界を完結させていると、ろくなことはありません。教育に関しても、ほかのことでも。でも、日本の中に留まっていると、自分の世界が狭くなりやすいんですよね。・・・

 例えば、世界には本当に頭脳明晰な人や、ずば抜けて生命力のある人がいます。そういう人たちは、学校教育や学歴には一切左右されません。イタリアでアフリカの部族出身のお医者さんに会いましたが、西洋社会のような学校教育は受けてなかったものの、ヨーロッパに来てから勉学に励み、医師になったそうです。

 そうした心から尊敬できる人たちに会えば会うほど、「いい学校に入れれば子どももとりあえずは無難に立派に……」という考え方には、疑問が湧くんですよ。

 親には安心で幸せなことかもしれません。でも、果たして子ども本人は「無難が幸せ」と思っているのかなと。その子にとっての幸せをもっと突き詰めて考えたほうが、いいんじゃないかなと思うわけです。

 

P192

 ここのところ、「外国人から見たら、日本ってすごい!」という趣旨のテレビ番組が増えていたり、「日本は素晴らしい!」という風潮が目立ちますよね。・・・いいところ、面白いところ、美しい部分だけに目を向けて自画自賛が過ぎるというのは……。ちょっとどうかなと思うんです。

 ヨーロッパの国々、ドイツ、イギリス、イタリア、フランス、ギリシャ各国で最近、「あなたたちにとってどの国がいちばん信頼できますか。また、どの国が信頼できませんか」というアンケートが行なわれたんです。

 結果を見ると、やっぱりみんな、概ねドイツを信頼してるんですよ。信頼できない国は、イタリアや債務危機を起こしたギリシャギリシャの回答もイタリアでした。

 では、イタリアがいちばん信頼できない国はどこかと言うと……自分たちの国、イタリアなんですよ(笑)。私はそこで「これが成熟だ」と思った。自分たちのダメなところもちゃんとわかっていて、「俺たちは仕方ねぇな」とオープンに言ってしまえる。自分たちの弱点を客観的に見ることができ、面と向き合える。その成熟度の高さがイタリアのすごさなんです。

 イタリアがいい悪いということではなく、世界にはそんな国もあるわけです。一方で日本は「自分たちは恥ずかしいことはしていない、落ち度はない」ということに強いプライドを持つ傾向のある国です。でも行きすぎると、自分の首を絞めることになりかねない。それに失敗がないと、人も社会も欠落を抱えたままです、成熟もできません。

 ダメさを隠さない。ダメさを認める。人間に大切なことじゃないでしょうか。