56歳で初めて父に、45歳で初めて母になりました

56歳で初めて父に、45歳で初めて母になりました - 生死をさまよった出産とシニア子育て奮闘記 - (ワニプラス)

 こんなこともあるんだと、読みながらこちらまでハラハラドキドキ・・・最新医療ってすごいのだなという驚きもありました。

 

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 夢中で育児に追われ息子の寝かしつけにも慣れてきた。

 息子が1歳になってしばらく経ったある日の深夜、妻から出産に至るまでの迷いを根堀り葉堀り聞いてみると、驚くべき事実を知った。

 というか夫婦に会話がなかったわけではないので、断片的には聞いていたのだが、「そんな大変な思いをしていたとは」と、わが鈍感力を呪い、まったく夫というのはなんの役にも立たないなあと痛感したのである。

 これから書くことは、大げさに言えば、「息子が産まれることで母体が危険にさらされたことが、じつは母親の命を救っていた」という話である。

 妻は、今から15年ぐらい前、30代の頃から子宮筋腫があったのだという。

子宮筋腫があること自体は女性にとって珍しくないんだけど、私の場合はそれが大きくて、徐々に膨張していたのよ。(10年前の)結婚したあたりで6センチはあったかな。年に1回は経過観察をしてくださいと主治医に言われていたの」

 ・・・

 妻の場合、筋腫の数が多いのも心配ごとだったという。

「大きいのが1つあるうえに、私の場合は〝多発性〟で、ほかに小さいのも2つ3つ育ってた。女性ホルモンで育ってしまうんですって」

 ・・・

 子宮筋腫の肥大化でもやもやする一方で、妻の心配ごとはさらに増えていった。

 年に1回受けている女性健診で、2019年9月に、子宮頸ガンの疑いが発覚したのだ。

 ・・・

 ・・・精密検査の結果は、やはり、「子宮頸ガン疑い」の軽度のもので、「半年に一度、経過観察が必要」という診断結果だった。

 加えて、内診とエコー検査の結果、「子宮筋腫がこれだけ大きいと、手術をしたほうがいい。筋腫が血管を圧迫して血栓ができる可能性もある。そうなれば命に関わります」と、心配に追い打ちをかける警告もあった。

 それで妻は、さらに別のクリニックで子宮のMRI検査を受けることになった。・・・

 その結果は―。

子宮筋腫は大きすぎるので、腹腔鏡などで筋腫だけを取るのは困難。開腹で筋腫だけを取るのはリスクが大きく、子宮全摘を考えてもいい時期だ」というのが医師の見解だった。

 妻が振り返る。

「カルテにある私の年齢を見て、『子ども、もういいですか?』って言われて……。そのとき44歳になってたから。そうか、『もういいですよね』と言われる年かと。そういう年になったのかって、このとき現実に直面したのよね」

 妻は、9月に精密検査して、10月にそう宣告されていた。

 この間、私はいったいなにをしていたのか。

 LINEの妻とのやりとりで振り返っても、熱海に1泊旅行をしたり、浅草の「まつり湯」という日帰り温泉に行ったりして、妻とは飲んだくれていた記憶しか残っていない。

 なんてことだ!

 今後の人生を考えて、子宮筋腫の肥大化による血栓の危険性と、「子宮頸ガン疑い」が同時に消える「子宮全摘手術」を現実として考え始めていた妻。

 そのときの心境はどうだったのか。

「お医者さんに、『いや産みたいんで……』という年でもないし、妊活も不妊治療も真剣に考えてこなかったから、そこで『子どもは欲しいので全摘だけはしたくないです』とは言えなかったの。ただ、そこで初めて、『二度と子どもは持てない』『100%無理なんだな』とわかって、ズーンと落ち込んだ。子宮筋腫が大きくなり出した40歳前後から、なんとなく予感はしていたけど、なにもしてこなかったから」

「あとはなによりも、臓器を1つなくすという恐怖。ホルモンバランスがおかしくなるだろうし。その一方で、病気になるほうが怖いし、ガンになるのも怖かったから。手術を先延ばしにすることにあまり意味はないだろうなって」

 子宮全摘手術を勧めた医師に、妻は「わかりました。そっちの方向で考えます」と答えていた。

 ・・・

 このとき妻から相談を受けた記憶は鮮明にある。この先の2人の人生も短くはないだろうし、なにより妻には長生きしてほしいと思ったので、「3月に子宮全摘手術を受ける」と決断した妻に反対する理由はなかった。

 ・・・

 さばさばしているように見えた妻だが、「今だから言えるけど……」と前置きして、こう明かした。

「すごく重たい思いを抱えていたんだけど、周りの友だちには誰も相談できなかった。だって同年代で人知れず不妊治療をしている友だちは多いだろうし、そういう人はそろそろ不妊治療をあきらめる時期だろうし。なにもしてこなかった私が、『子宮を全摘することになったの』と同情を買うようなことはとても言えなかったのよ」

 その「重たいもの」をいったん忘れるように、2019年末の年越しタイ旅行で、夫婦ともに弾けまくって遊んだことは1章で書いた。その結果、奇跡的に赤ちゃんに恵まれたというわけだ。

 タイ旅行から帰ってきて、妻は体の異変に気づいたという。

 ・・・

 ひどく動揺したらしい。

 子どもができてから、妻はよく私に、「変化を楽しもう」と言っていたのだが、それは変化が好きじゃないことの裏返しだった。

「いまさら生活が変わるのかと、不安でいっぱいになった。嬉しくてたまらないのだけど、頭の整理がつかない。年齢も年齢だし、元気な子を産めるのだろうか、自分の子宮で大丈夫なのか……。摘出しなければいけないような状態だったわけだし、もうハラハラドキドキが止まらなくなって、口から心臓が出てくるってこういうことかと思ったわ」

 それでも、妊娠検査薬の判定ミスなど万が一のことがあるかもと思い、夫の私にも親にも言えず、かかりつけの婦人科で診てもらったのだという。

 医師は「妊娠検査薬で出たのならばほぼ間違いないでしょう」と言ったあと、検査を始めた。

「エコーで勾玉みたいな形をした2センチの赤ちゃんがくっきり映っていて、先生から『声も聴けますよ』と、エコーから聴かせてもらうと、『ドクドクドク』ってすごい速さの心臓の音が聴こえてきた。その瞬間、わーっと涙が……」

「大丈夫でしょうか?この子」と聞く妻に医師は、「元気だし、エコーを見た限りではなんの問題もないですよ」と出産にGOサインを出した。ただ、高齢出産のうえ、子宮筋腫があるという事実は動かしようがない。

 医師は、「出産年齢よりも、筋腫がちょっと心配だよね。あなたの場合はハイリスクなので。日本医大付属病院で出産まで診てもらいましょう」と紹介状を書いてくれた。

 ・・・

 ここから先の、日本医大付属病院での妊娠経過観察から、東大病院での帝王切開手術による出産、妻が妊娠中に患った心筋炎の危機は、長々と綴ってきたとおりだが、驚くべきことに、出産によって妻の体の中の懸念が2つとも消えていたのだ!

 子宮頸ガン疑いである「軽度異形成」については、出産前の検診で「消えていますよ」とあっさり告げられた。これは自然治癒する例もあるのだという。それも、お腹の子が助けてくれたのだろうか。

 そして、心配の種だった大きな筋腫については、帝王切開手術のときに、筋腫から出血があったため、「取っておきました」と、こちらも産科の執刀医にあっさり報告を受けたそうだ。

 妻の詳しい話を聞き終えた私は、しばらく呆然とした。

 晩婚で、時にケンカもしながら2人で楽しく暮らしてきた。

 老後のことを考えるより、次の休みにどこへ行って、なにを食べるかを大切に、今を生きてきた。子どもができるか、できないか、それは授かりものだと思っていた。そのときそのときの今が楽しく生きられればいい。

 その考えに後悔はないが、これから先も、もっと自分の、妻の、体の声も聞きながら生きていけば、悪しき前兆を食い止めたり、楽しさが倍増したりするのかもしれない。

 今をもっと大事にしよう。

 我が家では、まさに神様から授かったとしか思えないタイミングで、妻が子を宿した。

 しかし母体と子どもが命の危険にさらされた。その危険な状態が劇薬となって、妻の体から懸念材料を消し去ってくれた。人間の持つ底知れぬパワーを思い知らされる。

 そのパワーはかけがえのない今を毎日、笑って過ごすことから生まれる。

 妻よ、我が子よ、本当にありがとう。