音楽嗜好症 脳神経科医と音楽に憑かれた人々

音楽嗜好症(ミュージコフィリア) (ハヤカワ文庫NF)

 こんなことがあるんだと驚く例が、こんなにたくさん世の中にあったんだと驚きました。

 

P19

 トニー・チコリアは四二歳、とても健康でたくましく、大学時代はフットボールの選手だったが、ニューヨーク州北部の小さな町で評判のよい整形外科医になっていた。・・・

 彼は母親にちょっと電話をかけようと、テントの外にある公衆電話に行った(これは一九九四年、携帯電話時代が到来する前の話だ)。・・・「電話で母と話をしていると、雨がポツポツ落ちてきて、遠くで雷が鳴りました。母が電話を切って、私は電話から三〇センチのところに立っていて、そのときいきなり打たれたんです。電話機から閃光が出たのを憶えています。それが私の顔面を打ったんです。次に憶えているのは、自分が後ろに飛んでいたことです」

 ・・・それであたりを見回すと、自分の体が地面にころがっているのが見えました。『くそ、俺は死んだんだ』って思いましたね。・・・

 チコリア医師が自分の体に戻ったとわかったのは、痛み―電荷の入口だった顔と出口だった左足に負った火傷の痛み―を感じたからで、彼は「痛みを感じるのは体だけだ」と気づいた。・・・

 警官がやって来て、救急車を呼ぼうとしたが、チコリアは断った。その代わり自宅に連れて帰ってもらい(「何時間もかかったように思えました」)、かかりつけの医師である心臓医を呼んだ。心臓医はチコリアを見て、彼が短時間の心停止を起こしたにちがいないと考えたが、診察でも心電図でも異常は何も見つけられなかた。「こういうことがあったら、生きるか死ぬかだ」と心臓医は言った。チコリア医師にこの奇妙な事故による害はこれ以上ないだろう、というのが彼の見解だった。

 ・・・神経系の診察を受け、脳波検査やMRI検査も受けた。またもや異常はないようだ。

 二週間後には元気になったので、チコリア医師は仕事に復帰した。まだ記憶力の問題は残っていた―まれな病気や手術法の名前を思い出せないことがあった―が、手術の腕はまったく落ちていない。さらに二週間が経ち、記憶力の問題もなくなったので、それで事は終わりだと彼は考えた。

 そのあと起こったことに、一二年が過ぎた今でも、チコリアは驚きを感じずにはいられない。生活が一見いつもどおりに戻ったころ、「突然、二日か三日にわたって、ピアノ音楽を聴きたくてたまらないと感じた」のだ。これは彼の過去の何ものともまったくマッチしなかった。子どものころにピアノのレッスンを二、三回受けたことはあったが、「本当に興味があったわけではない」。家にピアノなどなかったし、聴く音楽はロックミュージックが多かった。

 しかしこのように突然ピアノ音楽に対する渇望が始まって、彼はレコードを買い始め、・・・心を奪われるようになった。

 ・・・

 そしてそのあと、このピアノ音楽に対する突然の欲望に続いて、チコリアは頭のなかで音楽を聞くようになった。「最初は夢のなかでした。私はタキシードを着てステージにいるんです。自分が書いた曲を弾いていました。目が覚めてびっくりしましたが、音楽はまだ頭のなかにありました。だからベッドから飛び起きて、思い出せるかぎりを書き出そうとしてみました。でも、自分が聞いたものを音符で記す方法などろくに知りませんでした」・・・

 ・・・

 彼の音楽は止むことがない。「干上がることはないんです。どちらかというと、スイッチを切らなくてはなりません」

 これで彼はショパンを弾くだけでなく、頭のなかでたえまなく流れている音楽に形を与えることも、苦労して覚えるはめになり、ピアノを弾いてみたり、紙の上に手書きで表現してみたりした。「おそろしく悪戦苦闘しましたよ。朝の四時に起きて、仕事に行くまで弾いて、仕事から帰ってきたら、夜どおしピアノの前にすわっていました。妻はあまり喜びませんでしたね。私は取りつかれてしまったんです」

 雷に打たれてから三ヵ月目に、チコリアーかつてはおおらかで陽気で家族思いで、音楽にはほとんど関心がなかった男―は音楽に霊感を受け、憑かれ、ほかのことをする時間がほとんどなくなった。・・・

 ・・・

 雷に打たれてからほかにも変化があったかどうか、私は彼に尋ねた。・・・チコリアは臨死体験以降、「とてもスピリチュアル」になったそうだ。・・・彼はときどき、他人の体の周囲にある光やエネルギーの「オーラ」を感じられると思った―落雷の前には見たことがなかったのに。

 

P141

 私が本書で取り上げている患者や、私に手紙をくれる人の多くは、何らかの音楽的なアンバランスを自覚している。彼らの脳の「音楽的」部位が本人の支配下に入りきっていなくて、独自の意志を持っているかのように思えることがある。たとえば音楽幻聴の場合がそうで、本人は求めていないのに押しつけられる。したがって、その幻聴によって生じる音楽的心象やイメージは、人が自分自身のものだと感じるものとはまったく異なる。・・・

 心と脳が対立するほどの著しい不調和がない場合でも、ほかの才能と同じように、音楽的才能も独自の問題を引き起こすことがある。ここで思い浮かぶのは、著名な作曲家であり、たまたまトゥレット症候群の患者でもあるトビアス・ピッカーだ。私と会ってすぐ、彼は生まれてこのかたずっと自分を「苦しめている先天性障害」がある、と話してくれた。私は彼がトゥレットのことを話しているのだと思ったが、本人はそうではないと言った―先天性障害とは、彼の優れた音楽的才能のことだった。それは天性のもののようで、彼は生まれてすぐにメロディーを認識して拍子をとり、四歳でピアノを弾き始め、作曲をするようになった。七歳のころには、長くて複雑な音楽作品を一度聞いただけで再現できるようになり、いつも音楽によって引き起こされる感情に「圧倒されて」いた。彼が言うには、自分は音楽家になるのであり、ほかのことをするチャンスはないだろうと、物心ついたころからわかっていた。それほど彼の音楽的才能は激烈なのだ。彼にほかの道はなかったと思うが、彼は自分が音楽的才能に支配されているのであって、その逆ではないと感じる場合があっただろう。