深い真実の反対は、もうひとつの真実

続・宇宙のカケラ 物理学者の詩的人生案内

 この辺りも印象に残りました。

 

P164

 実は、ガン細胞の元気さは、その細胞の構造から見て、人間が子孫をつくるために持っている生殖細胞の元気さと同じなのだそうです。とすれば、ガンに罹患した場合、その生死に関わる二つの相反する働きのどこに妥協点をみつけるかということが、今後の人生を決めることになり、賢く共存することがその答えの一つになります。

 これは、2世紀から3世紀を生きたインドの僧であり思想家でもあった竜樹(150~250頃)がいうところの〝中庸〟を思い起こさせます。この〝中庸〟とは、どちらつかずということではなく、相対するものを包括した上で、一段、高い視座から調和としてみることで、現代アメリカの心理学者、J.フラベル(1928~)が定義づけている「メタ認知」、つまり、自分が認知している知識を、さらに高次の視点から再構築して理解していくという考え方です。この考え方は、陰陽が、たがいに浸透しあいながら変転を続けて世界が構築されていくとする東洋の考え方に似ています。事実、人間の身体の中では、各臓器が深く関わりあいながら連携して働いており、食べ過ぎれば、お腹をこわして食べることにブレーキをかけ、緊張する場面では、心拍を速めて体の運動機能保全の準備を行うというような自動制御機能が内在しています。

 実は、最近、漢方薬の中に含まれる成分を調べてみたところ、一つの機能を制止する働きと、逆に、その機能を増進させる機能の両方の成分が入っていて、それを服用すると、理由は定かではありませんが、この機能の一方を体の方が自動選択して治癒に導くという事実に直面しました。自然の一部である人間には、生命を持続させるためのなんらかの巧妙なプログラムがあるのかもしれません。そのような身体自身がもつ機能に学ぶことがあるとすれば、人間社会においても、まず、対立を乗り越え寛容と協調の世界を目指すことの先に、持続可能な世界が見えてくるのではと、そんな気がしています。

 

P189

 カナダ、オンタリオ州の北部、美しい森と湖にかこまれた町、サドバリー。この一角に、今からおよそ19億年の昔、巨大隕石が落下、東京都の広さに匹敵する南北27㎞、東西60㎞のクレーターができて、今では世界有数のニッケル産地になっています。金属で構成される星の中心部が落下したのです。実は、今から30年ほど前に、流れ星をあしらった町のシンボル旗がはためく科学博物館で、世界中から集まってきた子供たち相手に講演をしたことがあります。題して「星のカケラの私たち」。講演を終えて楽屋に戻ると、ヴェールで全身をつつみ、神秘的な雰囲気を漂わせた女性が訪ねてきました。サドバリー近郊に今なお居住するカナダの先住民、オジブウェー族の祈祷師で、その名は「暁の星」。私の講演内容が、先祖から聞かされてきた世界観とそっくりだったことに驚いたのだそうです。そのことがきっかけとなって、その集落を訪ねることになりました。腰には刀、背には弓矢を背負い、イーグルの羽をあしらった帽子をかぶった酋長が出迎えてくれて、歓迎のダンスが始まり、動物の皮でドーム状に覆った真っ暗なテントの中で、焼け石に水を注いでサウナ状態にして行うビジョンクエストなどの体験をさせてもらいました。中でも強烈だったのは、彼らが信奉する神秘の存在、「グレートクリエーター(偉大なる創造主)」と一体化するための儀式でした。野いちごの収穫期、6月の満月をストロベリームーンと名づけ、その夜、清純な少女の肌に傷をつけ、そこからにじみ出る血液を、香料の素になる植物を撚り合わせてつくった紐に滲ませ、天高く聳える聖なる樹木に結びつけることによって、その部族の代表としての少女と創造主が通じ合うのです。その結果、創造主の意図で、善悪、明暗などの対極的性質が交互に姿を変えながらバランスよく存在することになったこの世界の在りようの中に、たとえば、何か悪いことが起こってもまるごと受け入れて好転する時期の到来をひたすら信じて待つという生き方の規範を祈祷師となった少女を通して見つけることになります。

 そして別れの朝、柳の曲げ木を輪にした中に、動物の腱でつくった糸を張り、真ん中に穴をあけた「ドリーム・キャッチャー」を携えて空港に見送りにきた先住民の少女がいました。それは、なんと普段の洋服姿のあの祈祷師でした。夜の空気のなかに混じっているよい夢だけが網をすりぬけて、悪い夢は、網に絡めとられ、夜があけて、父なる太陽の光を浴びると消失するのだそうです。先住民の深い智慧を窺い知ることになった貴重な体験でした。

 

P198

 現代宇宙論を支える相対性理論を構築したアインシュタインがこんな言葉を残しています。

「今の科学に欠けているものを補うことができる宗教があるとすれば、それは仏教である」

 一瞬、おや?と思う方もいらっしゃるかもしれませんが、相対性理論は、これまで別のものと考えられてきた時間や空間、重力などをひとまとめにした幾何学で表現する考え方で、その一方で、仏教の考え方は、森羅万象のもととなる真理はひとつだが、それを見る立場によっては、いかようにでも変わるとしていますから、両者の間に、共通点を見ていたのかもしれません。さらに、相対性理論と並んで、現代物理学の指導原理ともなっている量子力学の構築者の一人、ハイゼンベルク(1901~1976)は、こうも言っています。

「客観的事実など存在しない。あるのは、自分の目を通して見た事実だけである」

 そして、さらに、量子力学に移行する直前の前期量子論を確立したボーアは、「正しい主張の反対は、ただの誤りだが、深い真実の反対は、もうひとつの真実である」とも言い切っています。つまり、この世界は、真逆の互いに拮抗する性質がバランスしていることで、できているのではないか、ということです。いずれも、現代科学による世界観が直面している状況を示唆するものとして注目すべき言葉です。

 

P217

 これまでの88年の日々を振り返って、つくづく思うのは、人生は、すべてものごとや人との出会いによって構築されるということです。だからこそ、どんな小さな出会いであっても、誠実に、そして真摯に受けとめるという気持ちを忘れないことが大切です。しかし、時には、よりによって、なんでこのような苦境に出会わねばならないのかと、思いたくなるような事態に遭遇することもあります。そんなとき、その原因を、自分以外の他に探し始めると、逆に、自分をますます窮地に追い込むことになります。それを避けるためには、たとえ、そのできごとが極めて不条理で受け入れ難いものであっても、とりあえず、まるごと受け入れ、状況を冷静に眺めてみると、〝こんな状態になっても、まだ、そこまでにならなくてよかった〟という何かが、必ず見つかるものです。どんなに小さなことでも、そのことに気づけば、それを突破口にして、解決への道が必ず見えてきます。〝正しく諦める〟ということです。ここでの〝諦める〟とは、すべてを放棄するという意味ではなく、ひとまず、「すべてを受け入れることに解決への第一歩がある」ということが〝明らかになる〟ということです。

 これも、私たちの人生は、すべて宇宙の中の「できごと」として、独立存在なのではなく、あらゆるものと相互に係わり合いながら構築される相互依存の存在だからです。そして、人生は、後半に入るほど面白く豊かになってきます。それは、未来の半分は予測できても、あとの半分は予測できないのですから、明日を生きることで、いいことに出会える確率が大きくなるからです。・・・