いつだって誰かの優しい声に助けられていた

1歳で両親に捨てられた僕が湘南でラジオDJになった話

 印象に残ったところです。

 

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 つい先日、京都へ行ったとき、僕は思い出したことがある。僕の人生で最もつらい時期だった高校一年生のとき、僕はアルバイトで貯めたお金で、一人で京都を旅したことがあった。大徳寺さんの境内をぼんやり歩きながら、ある塔頭の表門を入ったとき、お寺の方が僕に声をかけてくれた。高校生の男の子が一人でふらついているのが心配だったのか、お寺の方は僕にお茶とお菓子を出してくれた。僕は美しい庭園をぼんやりと眺めながら、お寺の方と話をした。お寺の方は、僕のぐちゃぐちゃした心中の呟きを、黙って聞いてくれたあと、静かにこう言った。

「もし良かったら、お坊さんになりなさい。将来、お坊さんになりたいと思ったら、いつでもここへ戻ってきなさい」

 僕は、黙って僕の話を聞いてくれた優しさに触れ、京都駅までの帰りのバスの中、ずっと涙が止まらなかった。

 僕は、いつだって誰かの優しい声に助けられていたのだ。いつか、僕はお坊さんになろうと思ったりするだろうか。いまはそんなことは考えられないけれど、僕の人生、何が起こるかわからない。

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 ラジオから流れてくる声だけが僕の拠りどころだった頃、ラジオから僕の名前が聴こえてくると、僕はとても嬉しかった。それが僕の生きる希望だったから、僕と同じようにつらい子ども時代を過ごしているすべての子どもたちへ、そして大人たちへ、僕はずっと声をかけていきたいと思っている。

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 バレンタインデーに、初めて手作りチョコを作ったといって持ってきてくれた幼稚園児や小学生や中学生の女の子。たくさんもらったからと義理チョコを分けてくれた男の子たち。ハギーさんが食べて美味しいって言ってくれたら本命に渡すと言った高校生の女の子は、無事に本命にチョコを渡すことができたと報告してくれた。そしてそのあと、その彼と結婚して子どもも生まれて幸せに暮らしているという報告もしてくれた。そんな優しい子どもたちの人生をずっと見ていることのできる幸せ。これは、地元に密着したコミュニティラジオのDJをやっていた僕の特権だ。

 ご飯のお代わりをちゃんと言いなさいと怒ってくれる妻、妻と結婚したことによって、妻の両親を「おとうさん、おかあさん」と呼べる嬉しさ。

 僕は、遠回りをしたかもしれないけれど、遠回りをしている最中に、たくさんのことを経験し、学ぶことができたから、実はそれは遠回りではなかったのかもしれない。近道とまでは言わないけれど、それが僕の道だったのだ。

 昔はローカルタレントと呼ばれることに一抹の悔しさがあった。いつかは全国区へなんて思ってもいたけれど、ずっと地元で僕を見てくれている人たちが、口々に言ってくれる。

「ハギーさんはさ、ハギーさんなんだから、ハギーさんでいいんだよ」

 もしかしたら、これは一番の褒め言葉なのかもしれない。僕が僕であること、僕が僕の道をきちんと歩んでいること。僕の歩みを見守っている人たちがいること。

 僕はものすごく幸せものだ。

 僕は街の人たちに育ててもらったのだ。

 僕の家族は街の人たちだったのだ。

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 駅のホームで電車を待ちながら、ついこの間、従妹のサクラとメグミと三人で電車に乗ったときのことを思い出していた。僕たちは、高齢になった東京の叔父と叔母のところへ一緒に行き、用事が終わって東海道線に乗り込んで、三人でくっついて座りながら、叔父たちの今後のことについて話し合っていた。それは決して楽しい話ではなかったが、そのとき、ある想いが湧き上がってきた。

(あ、これって、まるで兄妹みたいじゃないか)

(これが兄妹っていうものなんだなあ)

 ああでもないこうでもないと、僕らは言いたいことを言い合い、なおかつ親身になって叔父や叔母の心配をしている。ああ、これは、本当の兄と妹の会話だ。僕は感動した。こんなこと、僕以外の人にとってはどうでもいいことかもしれないけれど、孤独だった子どもの頃、大人になってこんな嬉しい時間が持てるなんて思ってもみなかった僕は、妹たちと過ごす時間が心から愛おしく思えた。

 その翌日、僕は仕事で京都へ向かっていた。昨日はなんだか幸せだったなあと、電車の中での時間を思い出していると、ちょうど新幹線が熱海駅を通過した。車窓から見えた熱海の海と坂の街の風景は、僕の時間をあっという間に子どもの頃へと戻したけれど、僕はもう孤独ではなかった。

 ふいに、僕の目から温かい涙が溢れ出した。それは僕の意志とは関係なく溢れ続けるから、新幹線の中でいつまでも涙が止まらなくて恥ずかしかったけれど、流れるままにしておいた。とうに涙は涸れ果てたと思っていたが、涸れ果てたのはつらいときに流した苦い涙で、いま溢れ出している温かい涙は、人生を豊かに幸せにしてくれる優しい涙なのだと気がついた。

(僕は、僕の大事な家族のことを考えるだけで、涙が出るほど幸せなんだ)

(僕がずっと欲しかったものは、僕のそばにいつもあったんだ)

 結婚式のとき、サクラとミノルとメグミの父親が、僕のことを「ウチの子みたいなもんなんですよ」と挨拶してくれたことも思い出していた。