たくさんの穏やかな最期が紹介されていて、こんな風に旅立つことができるんだと知ることができてよかったです。
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余命8か月と宣言されてから半年後の12月29日、花田さんが小笠原内科の相談外来に来ました。
「先生、私は余命2か月なんです。病院に不信感があるので、治療はしないで自宅療養しています。でも、なんとなく心細くなってしまって……。がん患者で結成された会があると聞いて申し込みに行ったら、私みたいな末期は入会できないって言われたんです。今後、どうしていったらいいでしょうか?」
「そうですねぇ。在宅ホスピス緩和ケアなら痛みが取れるから、最期まで朗らかに過ごされる人が多いですよ。3割の人に延命効果もありますし」
「在宅ホスピス緩和ケアですか。もし必要になったら、その時はお願いします」
「希望があれば、いつでも往診しますからね」
それから1か月以上が過ぎた2月9日、花田さんから電話がありました。
「痛くて動けません。娘に世話してもらっているので、娘の家に来てください」
娘さんの家に緊急往診した私は、すぐにソル・メドロールを注射しました。
小笠原内科が在宅ホスピス緩和ケアで使用するソル・メドロールという副腎皮質ホルモンは、人間が作る副腎皮質ホルモンと同じで約8時間効果が持続します。だから朝は活発に、夜は穏やかにという人間らしいリズムを崩しません。
一方、多くの医療機関はソル・メドロールではなく、利便性があり、約24時間効果が持続する別のものを使っています。「24時間も効果が続くなんていいね」と思われるかもしれません。しかし前述のように、8時間の効果でいいものを強引に24時間も持続させると、身体のリズムが乱れやすくなります。そうなると、免疫力が下がるなど、副作用が出やすくなるのです。
体調が悪化した花田さんにモルヒネやソル・メドロールを使ったところ、みるみるうちに元気になりました。すると花田さんは、
「余命も過ぎたし、遺影を撮りたい」
と言い、岐阜県内にある梅の花で有名な「梅林公園」に行きました。満開の梅の花を背に、とても素敵な遺影が出来上がりました。その後も、痛みもなく、穏やかに過ごしていた花田さんでしたが、3月に入った頃に体調が悪化します。
「さすがに今度はもうダメかもしれない。あの世に行くんですね」
と弱気になった花田さん。もうダメだという気持ちは免疫力を低下させます。そこで、減らしていたソル・メドロールを増やしたり、訪問看護の日数を増やすなど、ケアを充実させました。そして再び元気になったある日のことでした。
「先生、また遺影を撮り直しちゃったの」
なんと花田さんは、今度は満開の桜の木の下で、二度目の遺影撮影をしたのです。
花田さんの密着取材をしていたテレビ局のディレクターが撮影してくれた写真は、末期がん患者さんとは思えないほどイキイキとした、素晴らしいものが出来上がりました。
しかし5月になると、腸閉塞になって食べられなくなり、お腹にゴリゴリもでき、腹水がたまってベッドから起き上がれなくなります。
「先生、さすがにもう終わりだわ」
と花田さんが覚悟を決めていたところ、例のディレクターから、
「6月29日と7月5日にテレビ放送が決まったよ」
と嬉しい電話です。それを聞いた花田さんは喜びながらもこう言います。
「わぁー、私も観たい。でも観られないから残念だわ」
「じゃあ僕が代わりに観ておいてあげるからね」
「いや!私も観る」
「死んだら観られないよ」
「じゃあ私、死なない」
待ちに待った6月29日、なんと花田さんは歩けるほど元気になり、テレビを観ることができたのです。テレビに映る自分と素晴らしい内容に感動し、大満足した花田さん。ところが2回のテレビ放送を生きがいにしていたので、それから急激に体調が悪くなってしまいました。
お腹もパンパンに膨らみ、「今度こそもうダメだ」と覚悟をした7月29日のことでした。またもディレクターから、こんな電話が来たのです。
「小笠原先生、先日の花田さんのテレビの評判がとてもよかったので、8月29日と9月5日に再放送が決まりました。花田さんに教えてあげてください」
私はすぐに花田さんに知らせに行きました。ところが当の花田さんは、
「先生、このお腹じゃお盆まで生きるのも無理ですよ」
と無念そうに言うので、
「じゃあ僕が代わりに観てあげるね」
と言ったのですが……。
1週間後、訪問診療に行った副院長が、飛んで帰ってきました。
「先生、医学ではありえない奇跡が起きています!花田さんのお腹にある、がんのゴリゴリが消えて、腹水も少なくなっているんです」
〝そんなバカな〟と思いながら見に行くと、本当にお腹が小さくなっていました。
「何があったの?」
「私、テレビを観ることに決めたの」
なんと、その強い想いが医学では考えられない奇跡を起こしたのです。
人というのは、とても強い大きなパワーを持っています。でも失望や絶望の中にいると、それは負のパワーとなり、生きる気力、体力すべてを奪い、短命となるのでしょう。逆に希望の中にいると、そのパワーはQOLを高め、その結果、ADLをも向上させ、驚くほどの延命効果をもたらすことがあるのです。
その後、小笠原内科のボランティア養成講座を受けたアロマセラピストさんや、フットセラピストの訪問看護師が、おしゃべりしながら花田さんのフットマッサージを行うと、ふたたび公園へ散歩に行けるほどに回復したのです。
こうした心のケアも在宅ホスピス緩和ケアの一つです。
9月5日、4回目のテレビ放送の日は、余命を半年も過ぎていました。ところが、その後、また体調が悪くなってしまったのです。
10月になると黄疸が出て、とうとう動くことも困難になった花田さんは、
「もう一度テレビが観たいわ。また放送してくれたら生きられる」
と言いますが、さすがに無理そうです。そこで私はこんな提案をしました。
「それなら花田さんの奇跡のような軌跡を本にしたらどう?出来上がった本を自分でも読みたいと思うでしょ?」
すると、「書きたい」と花田さんの目が輝き出しました。私はすぐに医学関係の出版社にお願いし、本の出版許可が出たことを伝えると、花田さんはとても喜んで執筆活動に専念しながら日々の生活を送っていました。
とはいっても、体中は真っ黄色の黄疸です。
11月末に、一緒に住んでいる娘さんから相談を受けました。
「先生、母の顔が黒くなってきたんです。死ぬ時はそばにいてあげたい。だから年末年始は、計画していた旅行をやめて看病しようと思うんですが……」
「在宅ホスピス緩和ケアでは、タイミングを見計らったように旅立つ方が多いんですよ。だからお母さんは、あなたのいない時には旅立たないと思うよ」
私がそう話すと、娘さんは安堵の表情を浮かべました。
「そうなんですか。だったら旅行に行ってきますね」
娘さんの願いどおり、花田さんは無事にお正月を迎えることができました。
・・・
・・・1月23日の朝のことでした。いつものように6時30分に家を出る準備をしていた娘さんが、花田さんとおしゃべりをしていると、突然花田さんがもごもごと口ごもったのです。〝お水が欲しいのかな〟、そう思った娘さんがお水を取りにいき、戻ってくると、花田さんの呼吸は止まっていました。それは、娘さんが会社に出掛ける5分前のことでした。
花田さんは、娘さんの願いを叶えて旅立たれたのです。・・・