この辺りのお話も印象に残りました。
P162
釈 ・・・少し前にこんな話を聞きました。ご自宅で仏教塾をされているある和尚さんのところへ、五〇代前半ぐらいの奥さんが相談に来た。「自分は嫁いでからずっと、病弱で入退院を繰り返す義理のお母さんを介護してきた」というので、「大変でしたねえ」というと、それは大変じゃないと。
久坂部 ほう。
釈 そのお義母さんはすごくいい人で、お世話をいやだと思ったことは一度もない。お母さんが食べこぼしたものを食べるのも平気、というほどの間柄だったそうです。ところが、このお義母さんが認知症になった。食事を持っていったら、「あんた誰?」といわれたというんです。奥さんはこれにショックを受け、いくらなんでも、何十年も世話してきた自分にそれはないだろうと怒りがおさまらない。
そこで、その和尚さんがいいことをいうんですよ。「認知症は脳が壊れる病気で、壊れていくのはお義母さんのせいじゃない。また、腹の底であんたを悪く思っていたということでもない。『あんた誰?』と聞かれたら、『初めまして、セツコと申します。今日からよろしくお願いします』といいなさい」と。
久坂部 ははあ、なるほど。
釈 一年半ほどしてまたその奥さんがやって来て、「母が亡くなりました。和尚さんにいわれたとおりにしてよかった。『初めまして』と挨拶すると、母も機嫌がいい。私も腹が立たず、最後まで憎み合わずに済みました」といったそうです。明日は入院するという日、朝食をもっていったら、「ありがとう、世話になったな。あんた、心優しい、ええ人や」といわれたと。「でも、あんたが足元にも及ばんええ人がおる」「誰ですか」「うちの嫁やねん。あの人にありがとうがいえへんかったのが心残りや」。それで泣けて泣けて。
久坂部 短編小説みたいですね(笑)。
釈 「そのお嫁さんはいまどこにいるんですか」と聞いたら、「もう死んだ」と答えたらしいんですけど(笑)。・・・
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久坂部 ・・・パプアニューギニアにいたとき、こんなことがありました。国内で唯一手術のできる病院から麻酔医がいなくなり、手術ができなくなったという記事が新聞に出た。日本なら間違いなくパニックですよね。でも、あそこの人々は仕方ないと受け入れる。社説に「パプアニューギニア人は問題を解決することより、受け入れることに慣れている」と書いてあって(笑)。でも、よく考えれば、「受け入れる」は問題の万能解決策です。だから、ニューギニアの人たちは顔が穏やか。イライラ、ギスギスしていない。
問題を解決したいと願う限り、ああしたい、こうしたい、あれはダメ、これもダメと思って苦悩するしかなくなります。あるがままを受け入れれば、その苦しみから解放され、肩の力も抜けて「今」を本当にやりたいことに使える。ただし、これはなるようになる方法だから、決して安全ではありません。パプアニューギニア人の寿命も、日本人より二〇年近く短い。でも、リスクも含めて受け入れていかなければ、永遠に悩みは尽きないんじゃないでしょうか。
釈 受け入れた先に絶望しかないかというと、「その先にある喜び」みたいなものもありますからね。・・・
P238
高 ・・・『歎異抄』について語ると何日もかかりそうですが、・・・最大の特徴は、まさにいま述べた「自然」です。世間ではよく、親鸞のたどり着いた境地として「自然法爾」をいいますが、親鸞は晩年の和讃などで、この「自然」という言葉を一文字ずつ読み解いていますよね。「自は、おのずからという。行者のはからいにあらず、しからしむということばなり。然というは、しからしむということば、行者のはからいにあらず」と、「自」とは何か、「然」とは何かを、繰り返し、巻き返し捉え直している。
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釈 ・・・親鸞は、人間も含めた全ての要素が合わさることで「自然」という状態を生み出していると考えていたと思います。親鸞の和讃に「宮商和して自然なり」という言葉があります。「宮商」とは西洋音楽でいうドレミファソラシのことで、この世界のあらゆる要素を表している。それらがハーモニーのようになった状態が「自然」だと。そういう大きな命の流れとして、この世界を見ていたと思います。
高さんのご本に、自死を望む子どもに向かって、「死にたいと思っているのは頭か。頭だけが思っているなら、頭だけ死ぬか。足の裏はどう思っているか聞いてごらん」と言われたお話が出てきますよね。その子は見るからに危うい状態にあったけど、半年ほどして「足の裏の声が聞こえるまで歩きます」という手紙をくれたと。これは大変仏教的なお話です。仏教では、決して脳だけを特別な位置に置きません。心も体も刻々と変化する要素の集合体で、それが大きな命の流れをつくっていると考える。親鸞のいう自然にも、そういう意味があると思います。
もう一つ、親鸞の自然法爾には、仏さまの願いの力によって、自然と往生に導かれていくという意味があります。われわれはこの肉体と自己をもつ限り、仏に任せたつもりでもまた次々と迷いが湧いてきて、ふらふらと揺れながら暮らしていくわけですが、揺れてもいい、間違いなく自然の法則に導かれていくから、という思いが込められていると思います。
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釈 阿闍世は、古代インドにあったマガダ国で父王を殺害したと伝わる王ですね。マガダ国の首都王舎城で起きたその事件は、さまざまな仏典に「王舎城の悲劇」として取り上げられています。阿闍世は凶悪な性質で、貪りと怒りと愚かさに満ちていた。あるとき提婆達多という悪友にそそのかされ、父である頻婆娑羅王を幽閉し、死へと至らしめてしまいます。しかし、その後、父殺しの罪に苦しみ病んでしまう。全身にできものができて熱と悪臭を放ち、苦しみ抜いた末、ついに釈迦と出会って救われます。
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親鸞は「王舎城の悲劇」の登場人物たちを、菩薩の仮の姿を表す「権化の仁」と表現しています。おそらくは阿闍世を、自分を導くために現れてくれた仏のようにも見ていたと思います。
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高 ・・・「善人なおもて往生をとぐ、いわんや悪人をや」とはまことに根源的です。阿闍世は親殺しにして、まさに仏さまに他ならないといっていいのでしょうか。そこに鎌倉の地獄を通して生まれた、親鸞の思想の深さがあると思います。・・・
釈 親鸞の目線は、常に社会の最下層の弱者と共にありました。「いし・かわら・つぶてのごとく我らなり」といっていますが、自分のこともそのへんに転がっている石ころのようなものと見ていた。このことの意味を、もう一度考えなければなりませんね。